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2025年3月14日 (金)

『死を前にしたひとのこころを読み解く緩和ケア・精神医学』

昔を懐かしんで原稿を書く日が来るとは思っていませんでした。しかし、確実に時間は流れて、そして私も年を重ねています。懐かしい思い出。こころの科学に書いた書評です(掲載誌は発売済み)。シェアします。

森田達也、明智龍男[著]
『死を前にしたひとのこころを読み解く緩和ケア・精神医学』

今から二一年前の春、私は著者の二人に札幌の緩和医療学会で初めて出会った。私たちはまだ三〇代で、全国から集まった気の合う一〇人くらいの同僚と熱気に溢れる討論をした。学会の本会場では日本にホスピスを作ろうとする第一世代の医師や看護師が、延命中心の病院医療への対抗として、本人に病名の真実を伝え、死の話題も避けずに扱う実の場をどう開拓するか熱く語り合っていた。第二世代の私たちは、研究を通じて緩和ケアを医療の一部門として進歩させることはできないかと、「学会の裏枠」として会議室で話し合っていたのだ。
この二〇年ほどの間に、緩和ケアの関係者は純粋かつ強かに政策決定者に働きかけ、ホスピスに手厚い診療報酬を獲得し、緩和ケアの医療者を大規模病院に配置すること、緩和ケア研修の卒後教育の実践に成功した。著者ら研究に熱心な医療者は、EBM(エビデンスベースドメディシン)に基づく臨床研究に没頭した。緩和ケアは急速に発展し今に至る。著者らがかかわった研究の中には、精神腫瘍学(サイコオンコロジーといわれるがん患者の心理、精神を扱った分野もあり、この二〇年の回顧録とも言うべく、成功と失敗、達成と深化の記録が本書である。
本書では、タイトルの通り「死を前にしたひとのこころ」をどう捉えて研究してきたのかが述べられる。
がんであることを知り、死を意識した患者は不安になり落ち込む。この当たり前の反応をうつ病と診断し治療をするのか、そのまま様子をみるのか。「いっそ早く死にたい」と告白する患者に、「いずれ死ぬのに、
今生きている意味がわからない」とため息をつく患者に、医師はどう向き合うのか、そして医学は通用するのか。死別した遺族の悲しみは、治療ができるのか。著者らは、患者や家族とのかかわりや解釈を「過度な医学化」と振り返る。
次に、「死を前にしたひとのこころを支えるための方法」として、重要な技術としてのコミュニケーションについて考察される。医師と患者との対話は、どのようなスタイルが患者にとって有益なのか、支持的精神療法、共感、傾聴といった、害の少ない技術の実践と注意点について語られる。ただ話を聞く、この態度がどう実践できるか、著者らは対話の言葉と、声や表情を含めたあらゆる倉号を感じとることが基礎であることを述べる。カウンセリングや心理についての学びが十分でない緩和ケアの医療者にも「転移」「逆転移」を知る機会が著者らによって示される。死を前にしたひととは「ひととひととしての対話が多くなってよい」と助言する。
最後に、患者・医療者関係と意思決定について述べられる。今や病名はがんであっても患者自身に告げられることが普通で、治療についても選択を求められる。しかし、患者が治療、さらに生き方を意思決定することはできるのかという著者らの本質的な問いが語られる。「治療すれば治ると見込める治療を断る患者さんの意思決定が妥当か」という現場ではたまに見かける風景について、著者らの解釈が述べられる。何もかも自分が決めるということは、患者にはできないのではないか、一見選択肢を与えているように医療者が説明したとしても、結局は医療者が決めた道筋に治療や療養が進んでいる現実に、著者らは本質的な疑問を投げかける。
私も緩和ケアという、医療の中でも、人間の負の感情、死と喪失が日常的に扱われる特異な分野で、患者に何ができるのか、自分はどうあるべきか、医師として探求を続けてきた。時代を経ても、社会が変化しても問い続ける本書の著者らの言葉は、二一年前の春とまるで変わっていない。著者らも私も髪は白くなり、あの頃よりも、社会的に責任のある立場を引き受けてはいるが、こころは青いままなのかもしれない。
(しんじょう・たくや/しんじょう医院)

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