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2024年4月12日 (金)

「他人の苦痛を、私は知ることはできるのか 後編」

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後編

3. 鎮静の新たな解釈 2012年から現在まで

在宅療養中の患者に対する鎮静

10年の緩和ケア病棟での勤務を終えて、自分のプライベートなクリニックで、主に在宅療養をする患者の緩和ケアを続けた。当初は、緩和ケア病棟と違う自宅では、患者や家族はよりよい状態になっていると思っていた。自分の生活していた場に患者がいれば、奇跡的に症状は軽減し特にせん妄はかなり減り、それにつれて鎮静する必要もほとんどなくなるだろうと予想していた。しかし、その予想はまたもや覆され、ほぼせん妄も鎮静も緩和ケア病棟と体感的に同じくらいの頻度だった。鎮静の手順は病棟とは違う相当な困難があった。

まず、医師、看護師の訪問が11-2回程度では、鎮静の深度を調節することは相当困難だった。病棟に鎮静をしていたときよりも尚一層慎重に、特に効きすぎないように投与量は少なめになった。さらに難しいのは増量だった。投与量が調整できるシリンジポンプでは、最大でも10ml、ミダゾラム 50mgまでしか充填できないため、鎮静を維持するには、12回以上の訪問が必要になった。また静脈注射で短時間の間に鎮静するdeep sedationを行うときには、深く眠るまではよいが、1時間足らずの訪問診療の時間では、その後維持するにはどのように鎮静薬を投与したら良いのか、予測するのが相当難しかった。初回投与は自分一人で行っていたが、注射薬の維持投与を行うときには、家族の力は全く借りられず、また看護師と共働しながら薬がなくならないように調節するのは、はっきり言って相当面倒だった。真夜中や日曜日に薬がなくならないように、先を予測して行動するのが大変なのだ。鎮静薬の投与を維持するのがやっとで、投与量を細かく調整することはできそうになかった。

在宅療養では鎮静薬や抗痙攣薬の坐薬を用いて鎮静する理由もよく分かった。医師や看護師だけではなく、家族も坐薬なら直接患者に投与できるため、鎮静の維持に協力を得られるからだ。また注射薬の準備をするために訪問診療の後に一度クリニックに戻りまたその家に行くという時間の手間がかからないのも坐薬の利点だということも、身に染みてよく分かった。苦痛の緩和をするために鎮静薬を投与することが、これほど自宅療養中の患者には手間のかかることだということは想像していなかった。

しかし、私は坐薬を使った鎮静を何度かやってみて、できるだけこの方法は避けた方が良いと思うようになった。その理由は、家族が坐薬を患者に入れると、家族自身が患者の死により加担していると思うようになると気がついたからだ[13]1個坐薬を入れる度に、家族の中には、患者の背中を押して死に向かわせていると感じる人もいた。また経験の浅い看護師も、時に坐薬を入れてから数時間以内に患者が亡くなると、どれだけ関係ないことで、鎮静薬のあるなしに関わらず患者は死んだだろうと慰めても、心に残った傷がその後の遺族の悲嘆に影響することも分かった。

緩和ケアに明るくない医師達の躊躇

クリニックで働くようになってから、地域の大規模病院や、近隣のクリニックの手伝いを複数するようになった。2012年以降は、使用できる医療用麻薬の種類も増え、緩和ケアに関心がある医師は、病院の勤務医であっても、開業医であっても癌の痛みに麻薬を使うのは普通の診療になっていた。色んな医師の診療を観察して一つ分かったことがあった。癌の痛みに医療用麻薬を使い始める、増量する、時には減量し、他の薬に変更する、副作用の対策をするということに関しては、どの医師も同じレベルになってきていたが、苦痛緩和の限界をきちんと判断できる医師はほとんどいなかった。相当に患者が苦しんでいても、医療用麻薬を増量するか、レスキュードーズを頻回に使い対処することがほとんどだった。

また鎮静という治療を知っていても、2000年以前に医療用麻薬を使うことに躊躇していた私と同じように、「使ったことがない薬をうまく使うことができない」という理由で、鎮静を避けていることが分かってきた。また基幹病院の緩和ケアチームの回診を手伝うように分かったのは、医師と患者と家族の信頼関係が構築されていないと、鎮静のような重大な決断を必要とする治療は始められないと言うことだ。私が、これ以上の苦痛は緩和できない、鎮静が必要と判断しても、私の判断で鎮静を始めることはできなかった。私と患者と家族との治療関係が不完全だからだ。

主治医や関わる看護師は鎮静を躊躇していることがほとんどだった。医療用麻薬の使い方を自分が教えてもらったときのように、その主治医と一緒に鎮静の手順を教え、病棟の看護師もその過程を体験しないと、患者や家族が苦痛から救えなかった。ほとんどの医師は、数回一緒に鎮静の場面を共有し、薬の使い方、患者と家族への説明の仕方、さらに周囲の医療者との討論の仕方を教えれば、一度でも一緒に体験すれば、次は一人できるようになっていた。

患者の鎮静に対する意識の変化

鎮静についてのガイドラインが緩和医療学会から発表されたのが、2004年それから相当な時間が経過しているにも関わらず、実際に治療を受ける患者は鎮静という治療を知らないことも気がついていた。患者や家族から「鎮静をして欲しい」と要望されることが一度もなかったからだ。まだ普通の人達に情報が届いていなかった。そんな時、2015年からNHKの密着取材を受けて、自宅療養中の患者に対する鎮静を記録した。当時多くの緩和ケア病棟は取材を拒否して、私の所に来たことを知った。患者のプライバシー保護を主な理由として取材を拒否していたようだが、どこの緩和ケア病棟も懸命に生きる患者の姿や、ボランティアの関わる平穏な活動は取材を受けるのに、何故実際の苦痛緩和の治療の場面や、日常行っている鎮静を隠そうとするのかは、何となく察しが付いた。

「市民は鎮静の治療をテレビで見たら、安楽死と誤解する」複数の医師から苦言を言われた。私はこういう医師の考えこそが、鎮静と安楽死の境界が曖昧である事の証拠であると感じていた。取材に応じ、その様子は放映され[14]、以降も私は積極的にSNSや自分のブログ、複数のメディア(新聞、ネットメディア)に書いた[15]。自分が受ける治療は予め知っておいた方が良いという思いだった。「医療用麻薬できちんと癌の痛みは緩和できる」という内容では繰り返し、市民に啓蒙するのに、「緩和できない苦痛に鎮静を日常的にしている」ことを伝えないのは不誠実だと思った。

社会には色んな問題があり、医療の中にも問題がある。一つ良くなってもさらに次の問題に直面しまたそれを乗り越える、それが世の中のあらゆる事象に対しての人間の向き合い方だ。鎮静に関しては、特別な誰かしか受けられない治療ではなく、誰でも受けられるかもしれないと知らせたかった。いつでも市民の願いは、「死ぬ前に苦しみたくない」ただその一心で、医療がその願いにどう応えているのかをマスコミも私も伝えようとしていた。安楽死の代替の方法として鎮静が受け止められることのないよう、私はしつこく説明を尽くしたし、相手が喋って欲しそうな単語は使わないようにした。短い言葉で本質を伝えるために言葉を練った。時間と予算とそして社内で力のある誠実な取材者だけを受け容れるようにした。

患者の意識が変わってきたなと現場で感じるのには数年かかった。やがて鎮静は新たな局面を迎えたのだとはっきりと実感することとなった。

患者から鎮静を提案された

自宅療養中でほぼ寝たきりのある患者から、私が以前に書いた鎮静に関するネット記事をスマートフォンで見せられたのだ。そして、自分も恐らく近い将来この治療が必要になると思うので、その時はよろしく頼むと言われたのだ。患者の側から鎮静の話が出てきたのはこの時が初めてだった。さらに時々自分から鎮静を話す患者は現れた。そして、今まで聞いたことのない話をされるようになった。

「自分が望むときから、鎮静を初めて欲しい。本当に苦しむ前に」と。同時期に複数の患者からこういう話をされるようになった頃、NHK2回目の密着取材が始まっていた。取材を同意した患者と家族が、鎮静を将来受けるかどうかは分からないまま、取材者一人でかなり長い時間私の診療を通じて患者や家族に接していた。やがて私も彼らもそのうちカメラを意識することなく、率直なやり取りをするようになった。取材者は空気のような存在だった。優れたジャーナリストは、自分の気配も思想も消して、現場に受け入れられるのを待つ。決して自分から世界に影響を与えないように、ひっそりとそれでも親密に現場にいたのだ。

やがて、「明日の昼から鎮静をして欲しい、家族には自分の苦しむ姿を見せたくない」という患者や、「お正月が過ぎて家族みんなと過ごしたら、もう眠って最期の時を過ごそうと思う」という患者が次々現れた。私が鎮静の話しをしていないのに、患者は鎮静を治療の一つとして先に知っていたし、具体的に考えていた。二人の患者はそれぞれ同時期に予防的な鎮静を思いつき、そして私に求めてきた。鎮静を患者が知れば、当然始めるタイミングも自分で決めるのだと初めて気がついた。今までのように先に医療者がカンファレンスで決めてから、鎮静の説明をするではなく、患者や家族も鎮静を予め知り、鎮静の適否の話し合いに参加すれば、自分から鎮静を求める機会を得ることは、よく考えれば当たり前の事なのだ[16]

医療者は、鎮静の対象となる苦しみが、身体の苦痛なのか精神の苦痛なのか、実存的な苦痛なのかと分類を求める。身体の苦痛であれば鎮静を認め、それ以外では認めない傾向がある。しかし、鎮静が必要な直前の患者は、本人にとっては苦しみの分類は意味がないし、患者自身が耐え難い苦痛を訴えているのに、その耐え難さを医療者が審査することにも意味はない。身体は痛く、夜は眠れず、そして死は怖いし、死ぬまでに苦しむのはもっと怖い。全人的苦痛を強調する緩和ケアの専門家が、鎮静に関してはやけに苦痛の分類にこだわる。予測される苦痛を回避するのも緩和ケアの一つだと思うが、予防的な鎮静に、医療者が忌避感を感じるのは何故だろうか。

鎮静と安楽死の違いはあるのか

誰でも自分が死ぬ前には、苦しみたくないと思っている。まさに安楽な死を迎えたいと思っている。そしてこの数年、様々な国や地域で積極的安楽死が相当な勢いで認められるようになっている。日本国内では、安楽死に賛成する市民は多いが、その心は、海外のような死の権利を認められるべきだと考えているよりも、ただ苦しみたくないという人として当たり前の感覚だ。緩和ケアの中に安楽死は含まないと専門家が表明していても、患者の権利を重視する司法判断や、立法が積極的安楽死や医師による自殺幇助を認めてしまう潮流は止められそうにない。ひとたび安楽死が認められると、患者は安楽死の権利を得て、そして医師は実行する義務を課せられる[17]。そして一人の医師が安楽死には加担しないと自分の信念で患者を退けても、自分の代わりに別の医師が結局安楽死を実行し患者の権利は守られる社会になっていくのだ。

安楽死ができる社会を望むある方から、鎮静と安楽死に関するインタビューを長時間受けたときに、こう言ったことがある。「もしも鎮静を含む緩和ケアを受けてもなお苦しいのであれば、その時に安楽死を受けたらどうだろうか」と。鎮静は患者の苦痛を緩和する最後の手段になるのか、安楽死は治療方法といえるのか、まだ議論の論点を定められないとしても、緩和ケアが失敗したときに安楽死を位置づけておかないと、患者の自殺に医師が加担するような現場には私はいられないと思った。恐らく、国内で積極的安楽死ができるようになると、緩和ケアの素養をもち、患者の苦痛を扱い、倫理的な論点で仕事ができる医療者ほど、「いい加減な安楽死をされるくらいなら、自分がきちんとやりたい」と思うかもしれない。責任感の強い医師が、十分な心理的な支援を受けられないまま、信念を曲げて心を痛めながら、安楽死にあたるようになるのだ[18]。まだ国内でも緩和ケアが十分に受けられない現状では、安楽死と鎮静の境界を、緩和ケアという言葉で明確に区別しておいた方が良いと思っている。

患者は生物としては死を迎えていないが、持続的に深い鎮静を受けることで、社会的には死を迎えているという指摘通り[12]、鎮静が単なる苦痛の緩和だけではなく、死を先んじるという意味も含蓄してしまうことを普通の人達も医療者も直感している[19]。だから、本当は安楽死と鎮静の境界は曖昧なのだ。鎮静の深さや方法で、安楽死と区別できるかもしれないが、普通の人達は同じようなものと考えていると医療者は思っていた方が良い。

鎮静は患者の全てには必要はないが、必要な患者には確実に実行されなくてはならない。その一番の理由は、残された家族や医療者には、患者の残した苦しみの記憶が、いつまでも心の傷として残ってしまうからだ。最期の場面が、その後を生きる人達に及ぼす影響は大きい[20]。鎮静は患者のためなのか、家族のためなのかという問いを見たことがあるが、当然その両方だと私は答えたい。さらには、そこに立ち会う医療者のためでもあるのだ。患者、家族、医療者全ての苦しみの総和を小さくするのが、緩和ケアの本質なのだから。

4. コロナ禍の壊れた緩和ケアと感傷的なエピローグ

様々葛藤を生じながらも、順調に発展してきた全ての医療、また世界が2020年以降停止し変わってしまった。今、コロナ禍と呼ばれる、新型コロナウイルス感染症に翻弄される世界に私たちはいる。いくつもの緩和ケア病棟は閉鎖され、非流行期にも続く面会制限は、確実に緩和ケアの本質を壊してきた。病院の病室では、患者と家族は最期の時を十分に過ごすことができないまま、死別を迎えている。入院する事がすなわち、先んじた死別になっているのだ。

タブレット端末の面会は、操作と会話が十分できる患者には有益かもしれないが、ないよりましといった程度で、衰弱した患者にはそれ程役に立つものではない[21]。終末期の患者とのやり取りに必要なのは、言葉で情報を交わし合う言語コミュニケーションだけではなく、その身体や手に触れることで、多くの情を伝え合い、そして自然としての体の摂理が迎える終わりを周囲の人達は知るのだ[22]。患者の死を家族は、医療者から与えられる知識だけではなく、自らの体で死に逝くことを感じ取る大切な瞬間を奪われているのだ。

一方、自宅療養は宿命的に、患者の死の過程と苦痛の全てを家族は目撃しなくてはならない。緩和ケアを適切に行っていても、苦痛を全て避けることはできない。自宅療養中の患者を入院させるとき、いつも私が考えているのは、後どれくらい家族は患者の苦痛を見つめ続けることができるだろうかということである。しかし、面会制限のある病院に入院することを決断できなければ、時にいつもより早いタイミングで鎮静を始めるほかない。時期が早めの鎮静で、入院が回避できるならそれも良い方法かと考えてしまっている。

面会制限を続けながらもケアをより良くしていこうと、家族の写真や手紙を病室に置いて、それについて医療者が患者に話しかけるということは相当酷なことと気がついているだろうか。「この写真は息子さんかな、お孫さん可愛いね」などと以前のように話しかける医療者が、その患者がもう子や孫と生涯会えないのかも知れないと想像できているだろうか。会えない家族の話を医療者が患者と交わすのは、時に患者の淋しさ、つらさを深めていくことだってある。

患者に限らず、人間は死を意識することで不安を感じる。そして、何気ない日常的な近親者とのお喋りや、何か別のことに好奇心をもつ、例えば子や孫の様子を話すことで、不安を軽減している。さらには、本当に今現実に起こっていること、不治の病を抱えていることや、死を間近に迎えていることを曖昧にしておくことで安らぎを得ている。死を見つめて最期の日々を過ごすよりも、死を意識しないで過ごすことを大切にしている患者は多い。お喋りや世間話で家族や見舞いの客と臨終の人それぞれが、一時死を忘れることで、不安を鎮静しているのである[7]。病院の面会制限は、こういった薬を使わない心の鎮静の機会を失っている。

また面会制限が行われている病室では、患者の苦痛を家族は代理評価できず、また家族のいない病室では、患者の苦痛はよほど大きいものでなければ、勤務交代が常の医療者に静観されることもあるだろう。また反対に、特にせん妄で興奮のある患者に対しては、鎮静が行われやすい状況にあるかもしれない。そのような鎮静は、身体拘束の一つである薬物拘束(ドラッグロック)だ[23]。患者の苦痛を、医療者が推測し、適切な手順をおって鎮静の適応を判断されても、家族という監視者が不在であれば、物理的な身体拘束(フィジカルロック)ではない、罪悪感の少ない身体拘束として鎮静が始まってしまうかもしれない。

私が医療の現場で患者や家族、そして医療者といつも考えてきた鎮静の現実とその変化について論じてきた。鎮静の薬や使い方は、この25年間ちっとも変わっていない。しかし、人が鎮静の考え方を進歩させてきたことは確かだ。終末期の苦痛緩和を目的としてた鎮静は、まだ不完全な技術で、実行する上で考えるべき様々な知識が医療者には不足している。人が最後まで生き抜き成長するためには、苦しみが耐え難いものにならないように、医師をはじめとするあらゆる医療者は、確実な治療技術の習得と思想の研鑽を続けなくてはならない。苦痛に絶望する患者を救うのは可能性だ[24]。その可能性とはあなた自身のプロフェッショナルな能力に他ならない。常に備えよ[25]、皆さんの前にはまた苦しむ患者が来る。

 

引用文献

  1. 竹田青嗣、自分を知るための哲学入門、東京、ちくま学芸文庫、1993
  2. 苫野一徳、未来のきみを変える読書術、東京、筑摩書房、2021
  3. 山崎章郎、続 病院で死ぬということーそして今、僕はホスピスに、東京、主婦の友社、1993
  4. The AM, Hak T, Koëter G, et al. Collusion in doctor-patient communication about imminent death: an ethnographic study. BMJ. 2000 Dec 2;321(7273):1376-81.
  5. 森田達也, 角田純一, 井上聡, 他:症状緩和のための鎮静における意思決定過程. ターミナルケア 1999;9:65-72
  6. 林章敏、誰でもできる緩和医療(総合診療ブックス)、東京、医学書院、1999
  7. マルティン・ハイデッガー、存在と時間 、東京、筑摩書房、1994
  8. フリードリヒ・ニーチェ、道徳の系譜、東京、岩波書店、1964
  9. 日本緩和医療学会 ガイドライン統括委員会、がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き 2018年版、東京、金原出版、2018
  10. 西研、哲学は対話する プラトン、フッサールの<共通了解をつくる方法>、東京、筑摩書房、2019
  11. Arantzamendi M, Belar A, Payne S, et al. Clinical Aspects of Palliative Sedation in Prospective Studies. A Systematic Review. J Pain Symptom Manage. 2021 Apr;61(4):831-844.
  12. Materstvedt LJ, Bosshard G. Deep and continuous palliative sedation (terminal sedation): clinical-ethical and philosophical aspects. Lancet Oncol. 2009 Jun;10(6):622-7.
  13. 新城 拓也, 石川 朗宏, 五島 正裕, 在宅療養中の終末期がん患者に対する鎮静についての後方視的カルテ調査, Palliative Care Research, 2015, 10 巻, 1 号, p. 141-146
  14. NHKクローズアップ現代、在宅で迎える”最期のとき”終末期鎮静をめぐる葛藤、2016年1月19日放映
  15. 新城拓也、「最期は苦しみますか?」全ての苦痛は緩和できるか、ヨミドクター、読売新聞、2017
  16. NHKスペシャル、患者が”命を終えたい”と言ったとき、2020年12月26日放映
  17. 児玉真美、家族に「殺させる」社会を生きる ― 「大きな絵」の中で「小さな物語」に耳を澄ます In 安藤泰至、島薗進 編 見捨てられる<いのち>を考える、東京、晶文社、2021
  18. Antonacci R, Baxter S, Henderson JD, et al. Hospice Palliative Care (HPC) and Medical Assistance in Dying (MAiD): Results From a Canada-Wide Survey. J Palliat Care. 2021 Jul;36(3):151-156.
  19. Takla A, Savulescu J, Kappes A, Wilkinson DJC. British laypeople's attitudes towards gradual sedation, sedation to unconsciousness and euthanasia at the end of life. PLoS One. 2021 Mar 26;16(3):e0247193.
  20. Bruinsma SM, Brown J, van der Heide A, et al. Making sense of continuous sedation in end-of-life care for cancer patients: an interview study with bereaved relatives in three European countries. Support Care Cancer. 2014 Dec;22(12):3243-52.
  21. Mercadante S, Adile C, Ferrera P, et al. Palliative Care in the Time of COVID-19. J Pain Symptom Manage. 2020 Aug;60(2):e79-e80.
  22. 伊藤亜沙、手の倫理、東京、講談社、2020
  23. 桐山啓一郎、一般病棟での身体拘束の最初化に向けて、看護管理、30(6)、511-517、2020
  24. セーレン・キルケゴール、死に至る病 現代の批判、東京、中央公論新社、2003
  25. 甲南学園 編、新 平生釟三郎のことば、神戸、甲南学園、2005

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