消える原稿
今までに幾度となく人前で講演してきました。話すことを準備をし、予め調べてそして内容が固まってきたその時、ファイルが消えてどうにもならなかった事が何度かあります。
2000年前後のMacは気まぐれにフリーズしその瞬間作っていた文書が全て消えるというのは、当たり前の事で、「保存」「保存」と一行書く毎にショートカットキーを押していました。今でも手が自然に物書きやプレゼンをしているときに、一呼吸おく度に「保存」している自分に気がつきます。
しかし、作られたプレゼンの資料を次の日に見返し、そして折角保存されているのに何度も消したくなり、もう講演の直前までいじりつづけ結局ぶっつけ本番になることも増えてきました。この10年は「Presentaton Zen」(ガー・レイノルズ)も流行り写真だけ見せて、話はその時考えるという、即興紙芝居のようなこともして、話す内容は未来の自分に聞けとヒリヒリした緊張感で臨むことも増えてきました。手汗びっしょりで、うまく話せていたのかも分からなくなって来ました。
歌人の岡野大嗣さんは、”それでも十代のうちは「自分は特別になれる」という思いが胸のなかでくすぶり続ける。そのくすぶりの火種が熾るたびに詩を書こうとしたが、結果はいつも同じだった。書いている瞬間は「自分は特別だ」という気になれてしまうのに、一夜明けて読み返せば自分の平凡を突き付けられる。いつしか、表現という営みはあらかじめ選ばれたものだけに許された、聖域のものだと思いこむようになった。詩に対して、アレルギーを持つようになった。"
今日は誰にも愛されたかった
谷川俊太郎、岡野大嗣(だいじ)、木下龍也、ナナロク社、2019, p160
と自分の若き日の自意識と表現を正直に書かれています。僕も講演、書籍、投稿原稿、そしてブログの文章を次の日の朝に全てしててしまいたくなる、そんな衝動と向き合ってきました。
しかし、救いもあります。
最近、調べものをするためにネット検索したところ、「なるほど、わかりやすい。この人はよく考えてるなあ。今の僕には、すとんと落ちる内容だ。やるな。」と感心して読んでいたました。最後の一行に書いてあったのは、自分の名前。そうです、忘れていましたが、随分前に自分が書いたものでした。
翌朝消したくなる原稿も、自分も忘れることで生きていけるのです。
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