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2022年4月

2022年4月17日 (日)

「体を重ねることって」

僕が18歳との時、初めての女性の感触に夢中になった。一つ年下のガールフレンドは、クリスマスイブの夜に、どちらから誘ったわけではないのに、とても自然に一つのベッドの中にいた。

僕はどう行為を進めて良いのか分からず、じっとしているだけだった。僕の知識はせいぜいポルノビデオで、力強い男がただ女をねじ伏せて、やがて女は官能にいたるそんな筋書きばかりだった。

自分にはそんな力強さもなく、またねじ伏せるような愛情の示し方は、彼女にはふさわしくないと思った。その時彼女は、ただ服を脱ぎ、「あなたも服を脱いでただ、ベッドの中に入ったらよいのよ」と優しく微笑み、静かに教えてくれた。

僕は言われたとおり、自分も服を脱ぎ、肌触りの良いシーツと、薄い布団の中に入った。まだ昼間なのに、緊張で周りが見えなくなり暗く感じた。

その時、彼女は僕の背中側からただそっと僕の緊張した身体に触り、自分の肌の感触を僕に伝えるような仕草をした。そこには、快感はなく、僕の身体は性的な反応は全くしなかった。彼女に触れられただけで、一瞬で緊張が解け、身体が軽くなった気がした。初めての感覚だった。

「ただ、お互いの肌の感触を伝え合ったら良いのよ、そうするだけで安心するでしょ」そう背中からささやくように言われた。彼女の触れる手が僕の肩から胸に伸びてきた。でも彼女は決して僕の快感が高まるようなことはしなかった。

僕は少し不満はあったけど、身体の向きを変えることなくしばらく目をつむり、彼女の手の動きに集中して、身を委ねた。彼女はゆっくり、身体の上を指でなぞるように動かし始めた。

その動きにはやっぱり性的な快感はないけれども、僕はやがて味わったことのない静かな感触に引き込まれていった。

とても安心した気持ちになり意識が遠のいたとき、彼女の手の動きが止まった。どちらが先だったか分からなかったが、しばらく眠りについてしまったようだ。僕は夢の中で、彼女の背中から僕と彼女の二人を見るという不思議な光景を目にした。二人の呼吸と心拍、そしてどうしてそんなものが、見えたのか分からないけど、脳波が完全に一致しているのが分かった。

気がつくと日が暮れていた。昼間の優しい光と優しい肌の感触は、周りの暗さで急に現実に、引き戻された。「早く家に帰らないと」彼女は静かに言って、自分からベッドを離れてしまった。僕は彼女の手を、初めて強い力で引き寄せようと、ぐっとつかんだ。

でも彼女は、「また今度」と全く未練のない、媚びない笑顔で、あっという間に服を着てしまった。そして振り返ることもせず、部屋から出て行ってしまった。裸のまま一人取り残された僕は、自分の性的な欲求を持て余すことなく、始めての女性の感触の余韻に満たされていた。

その穏やかで優しい感触は、どこに行き着くこともないけど、僕を確かに安心させて、人と人は分かり合えないけど、言葉を使わずとも、肌と肌で何かを伝え合うことができると確かに知った。

彼女はしばらくすると、思い当たる理由もなく、僕の前には現れなくなってしまった。

その時から、僕は自分の中で生まれた優しい感触を長い間求めてきたが、再び得ることはできなかった。彼女を求めているのか、あの感触を求めているのか自分でも分からなくなったまま、時間が過ぎていった。

「もしかしたら、あの感触を再現できるかもしれない」と、思った事もあるが、駄目だった。ただ肌を触れあう、優しい肌の感触を確かめ合うことができる人とは出会いないまま、猛々しく、どこか演技的な性的な快感を追い求め、行為の時間を終わることが、一連のことなのかと思うようになった。

始まりがあれば、きちんと短時間の間に終わりがある。性行為も、仕事のプロジェクトと同じように、キックオフがあり、〆切がある。その〆切に向かって、納期に間に合うようただひたすらに、自分を鼓舞して、アドレナリンを分泌させるように仕向ける。それを快感と喜びと思い込むように努力してきたのではないだろうか。

彼女と過ごしたあの午後のひと時から、身体的な充実感を体験できず、段々と体力と、自分で高める性的な快感にも、限りがある年齢に達してしまった。

久し振りに彼女と会い、僕も彼女もすっかり年齢を重ねてしまったことを実感した。でもあの午後の彼女と同じように、「ただお互いの肌の感触を伝え合ったら良いのよ」と、あの時と同じように彼女はひんやりとした床の上で、僕にささやいてくれた。でも、あの時と同じ静かな気持ちにはもうなれなかった。

18歳の僕が、たった一度だけ体験したあの時の感触は、あの時の彼女にしか、僕の心の中に作り出せないものなんだと、彼女の表情を久し振りに見ながら確信した。

なぜ肉体の快感に没頭できず、自分の心に冷めた場所があるのか、今まで僕が何を求めていたのか、あの日から30年経ってやっと分かったのだ。

 

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死を憧れていた彼女

彼女は最初逢ったときから、気になることを言っていた。「人間が死ぬことは自分の意思でどうにでもできることなのよ」と、死に対する憧れを話していた。

「ねえ、この本読んだ?この本の主人公はとっても美しい死に方するわよね。少しずつ身体と魂が透明になっていく感じがいいわ」

いつも彼女は家に帰ろうとしなかった。家には自分の居場所がなく、遅い時間まで広い公園や、自分の通院している名古屋の病院の大きな待合室の片隅に留まっていた。

その日ももう診療時間も終わり、人のいなくなった病院の待合室で、僕と二人並んで座っていた。

ここに来るのはもう何回目だろう、長い時間彼女の横に座ってきた気がする。暗くなった待合室の椅子には色がなく、並んだ椅子の一つ一つには、なんの個性もなくただただ並んでいた。色のない椅子に座り、彼女もいつのまにかその色になじんできてしまったかのように、会う毎に色が抜けていった。

だんだん透明になってきたんだなと、僕は口には出さないけど実感していた。

彼女はこの病院の心療内科に通院していた。僕も何度か診察に付き添ったけど、担当医の診察は立ち会うことができず、その日も長い時間、診察室の外で待っていた。

彼女は両親との関係は健全そうにみえていたのだが、家に帰ると体調が悪くなるし、学校へ行こうとすると、身動きできなくなるほど、家の布団で寝ていても、苦しくなるので、とうとう入院することになったのだ。

入院中の彼女に会いに行った。その日も誰もいない夜の待合室で、いつものセーラー服ではない、パジャマで顔色の悪い彼女の横に座り、僕はいつも通り、背中を弱い力で撫で続けていた。自分の心が何かをもっと求める動機がおきないように、少しでも撫でている手に、意思が込められると彼女は直ぐに察して、すぐに身体を離してしまうのだ。

彼女にただ触れていたい僕は、待合室の暗さにもう一度自分を同化させ、欲望を殺した。そして恐る恐るもう一度手を伸ばすと、彼女は再び僕を受け容れてくれた。

「やっぱり身体って不自由よね。心が自由にならないのはこの身体のせいだと思うわ。ねえ、私ね、今日がちょうど良いと思える日が来たら、そのまま死のうと思っているのよ」と穏やかな表情で、僕の方を向くことなく、自分で一人つぶやくように話した。

僕は、「それは止めておこうよ」と両手で彼女のことを背中から抱きしめると、彼女は嫌がることなく僕に抱かれていた。それでも、彼女は全く僕の動きに応えることなく、身を固めてじっとしていた。

彼女を救うことはできなくても、僕はどんな色でもいいから、自分のできる方法で彼女に少しだけでも色を付けたかった。分からないくらい薄いクリーム色でも良いから。

いつも待合室の時間は残酷だった。僕の心の熱情は、手を通じて、彼女に気持ちを伝えているはずだった。なのに彼女は抱きしめている間、全く心が動かないように、努めている様子だった。 僕の熱情が自分の心に入ってこないように、拒絶しているように感じた。

心に何も伝えられなくても、せめてその心に、一滴の色だけは付けたかった。彼女を死を止めるには、それくらいの方法しか思いつかなかった。

「ねえ、こういうことをしても、不思議よね、全く私の心は温まる感じがないのよ。きっともう随分透明に近くなってきたんだと思う」とどこかうれしそうに話した。

本の主人公の透明な心に憧れ、自分が主人公に同化しようとすることで、今の自分を忘れることができると思ったのだろう。自分の心を透明にしていたら、いつのまにか僕に対する恋心もなくなってきたようだった。

僕はもう彼女にはこれ以上近づけない、心が絡み合うことはもうないと悟った。抱きしめていた手を緩め、彼女から離れようとした。その時だった。彼女は僕の右手首をもち、自分のパジャマの中に導いた。

「あなたは、きっと熱くなっていると思うの。でも私はどうしても冷めたままなの。身体のどこを触っても同じ温度なの。どうして私がこんなに反応しないのか私にも分からないのよ」と言いながら、僕の手を自分の身体に這わせて、自分の身体に反応がないことを僕に知らせていった。最後は下着の中に僕の右手を入れたまま、僕の手を持っていた手の力を緩めた。

僕の手は自由になり、熱さを感じるはずの場所でしばらくじっとしていた。彼女の敏感な場所にしばらく指を当てていても、何ら彼女の熱を感じることなく時間が過ぎていった。まるで木の幹に手を当てている感触だった。

僕はしばらくすると諦めて、彼女の下着から手を戻し、そして彼女に何も言うことなく、待合室をあとにした。僕は彼女に付ける色を持っていないことを、はっきりと知らされ、自分でも分かってしまった。この日が彼女に会った最後の日になった。

その後、病室へ行っても面会を断られた。電話しても出なかった。それから時間が経ち、彼女がよくいた場所を探しても、町で見かけることもなく、彼女の家の近くまで行っても、彼女の気配はなくなった。恐らく本当に彼女は透明になってしまい、熱さのない身体を捨ててしまったのだろうと思った。

彼女と一緒に居ても、いつも安心できず追いかけ追いかけ、そして自分の心が届かないことを、はっきりとこの手に教えられてしまった。

その時の彼女は、自分が憧れていた、温まることも冷めることもない透明さを手に入れていたと思う。僕にとっては残念なことだけど、彼女にとってはよかったのではないかと、今から振り返っても思える。

もう20年も経って、僕も住む町を変え、このような時間も忘れたころ、ある時自分のSNSに見慣れない返信が入っている事が分かった。ハンドルネームはTとだけ書いてあった。返信の内容は、何も書いておらず、最初は間違いなのかと思っていた。それでも、しばらくそんなことが続き、ハンドルネームTは彼女の名前のイニシャルだった。彼女なのかもしれないと、僕はなんとなく思った。

その日から僕は、しばらくの間、夜寝る前になると、午前1時前に「今日もあなたの一日の努力が、周囲の人達の色に溶け込み、そして一体になりますように」とか、「今日という一日に、からだのどこかが熱くなり、透明な心に一色でも新しい色が混ざりますように」とか書くようになった。

僕が発信するメッセージには、10回に1回くらい、Tからメッセージのない返信があった。僕はこんなやり取りを6ヶ月も続けながら、あの時透明になった彼女が、今もどこかで生きていると確信した。

通り過ぎ、止まった時間がもう一度動き出したのかもしれないと思い、ある時空白で透明なコメントにメッセージで返信してみた。

「一度どこかで会いませんか?」と書いてみた。しばらくその返信はなかったが、1ヶ月くらい経ったある日、短い言葉で最初で最後のメッセージが届いた。

「今の私の心には、少しだけ色があるのよ」とだけ書かれていた。

人は色をつけてもらえる誰かに出会うことで、やがて愛を知ることができる。

きっと彼女はあれから、僕ではないたくさんの誰かに、多くの色を付けてもらえたのだろう、その事だけはなんとなく知ることができた。

彼女から返信があってから、僕は彼女に宛てたメッセージを書くのを止めた。僕も再びこの町で色のある世界に戻ることにしたのだ。

彼女は今、どこにいるのか、何をして生きているのか分からない。でもきっとあの町を出て、もしかしたら案外僕の近くで生活しているのかもしれない。

彼女は今になって、短いけれども、分別のあるメッセージで、過去の僕と今の僕を決着してくれた。大人になった今の彼女の心には、きっと白と黒くらいの色はあるのだろう。彼女の作った色が、きっと彼女生きられる場所を作り出すだろう。

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