2022年3月
2022年3月29日 (火)
2022年3月22日 (火)
本の帯をどうしてますか?
埋もれない外観を与えよ
文字列の表記にこだわる歌人が、どうして歌集の装幀にはこだわらないのだろうと思うことが多々ある。(中略)どれだけおいしいケーキでも、新聞紙に包まれて置かれていたら買わないだろう。(中略)また、帯文についても同様に、本にとっての強力な武器となる。(天才による凡人のための短歌教室、木下龍也、ナナロク社、p98、2020)
素晴らしい比喩です。でもその本の表紙と帯の相性が今ひとつなのです。読んでいる間に帯が破れてしまう、そして帯を外して読むと、その帯が何の本の帯だったのか分からなくなってしまう。紙の質感、大切です。
| 固定リンク
2022年3月14日 (月)
ケアの日本語訳は、世話ではありません。配慮です。
昨日は、所属している六甲フィルハーモニー管弦楽団の、定期演奏会でした。2年前に演奏会直前に中止を決めてから2年が経ってました。この間いくつかのオーケストラに参加したのですが、音楽活動や音楽体験の根本的な違いを、知ることになりました。
音楽活動は、自分の「出番」がきちんとあると思える団体にいないと、自分がそこにいる意味を感じることが出来なくなります。大勢の中の一人として、自分は参加していないけど、自分の楽器と放つ音は確かに参加していると思う状況になります。
終演後も何の感慨もなく、楽屋を出ることになります。仕方がない。自分の「出番」を探せなかったのですから。プレーヤー自身が気持ちを開き、古参のメンバーが、ケアしないとその人の出番は作れません。
長くケアの仕事をしていますが、ケアの日本語訳は、世話ではありません。配慮です。
そして、「出番」を作れると、次に「音楽体験」を味わうことができます。優れた指導者が、音楽の作り出す世界を示し、アイデアを共有し、それぞれのプレーヤーが受け容れることができたとき、新しい音がするのをみんなが同時に体験します。その瞬間、「大きい、小さい」「速い、遅い」「合ってる、合ってない」といった、批評音楽からの脱出ができます。
例えば、新しい服を試着した時に、「明るい、暗い」「青い、赤い」「大きい、小さい」と言われているようなものです。「似合う」「カワイイ」「なんか〇〇みたいでいい」と言われて初めていい気になるものです。自分が音楽のアイデアの一部になっている、大きなコンセプトに自分が巻き込まれている、そういう幸福感が味わいたい、そう思うはずです。決めた音の長さで演奏できた、みんなの息があって、始まりのタイミングが同じだったというのは、本当はくだらない事です。相手の着ている服を「赤い」とか「青い」とか言ってるのと同じです。
自分の出番がある人生は幸運です。さらにそこでの体験の幸福感を、恥ずかしがらずにオープンにできたらと思います。
最近は仕事上でも、自分と同い年とか、さらには年下の方が亡くなりつつある現実に向き合っていると、自分にも可能性という機会が無限にはないことを思い知らされます。昨夜のような、自分の「出番」と、「体験」を得られた時、今までよりもこの感触に深く感謝するようになってきたのです。
あと何回こんな体験ができるのだろうか。
2022年3月12日 (土)
敗残の兵は何を思うのか

2022年3月11日 (金)
「どんな時も直ぐに診察してほしい」
2022年3月10日 (木)
きみは本当の鎮静を知っているのか
2022年3月6日日曜日の夜に、終末期ケア協会(JTCA)のセミナー「きみは本当の鎮静を知っているのか」を協会の会員の方限定で配信しました。
岩谷 真意 (代表理事、看護師)さんは、前職の社会保険神戸中央病院(現、JCHO神戸中央病院)の緩和ケア病棟で一緒に働いていた同志です。
2019年に協会の設立と、テキストブックの執筆から始まり、時々事務所に伺って色んなアイデアを話し合ってます。教会は2020年から最初の会員を募り、試験をして、継続的な学びの場を提供する、大変有意義な活動をされてます。
私も全面的に協力して、また時にはアイデアを形にする大切な機会をいただいてます。オンラインセミナーがまだ一般的でなかった、2020年5月から、新型コロナウイルス感染症に関わる現場の戸惑いを共有させていただき、全国の会員、同志に出会うきっかけを得ています。
前回の緊急セミナー「僕らに銃口が向く前に 〜見えない防弾チョッキを着ておこう」では、お互い多くの経験をしてきたのに、かなり緊張し当分立ち上がれないほどのエネルギーを使いました。僕も研修医一年目の最初の学会発表以来の緊張感と集中力で、その日は終わってからも眠れなくなるほどでした。
この時から、事務所の一角のスタジオから二人で配信しています。昨夜は鎮静に関するテーマの話でしたので、二人ともリラックスして話しました。その内容を抜粋します。
・まず耐え難い苦痛をどう人は確信できるのか、人が苦しんでいると分かる時、自分の中でどういう条件があるのかを考えないとと話しました。まだ苦しむ余地があるとか耐え難いとは言えないと思う時何を思うのか。
・その場にいる患者、家族、医療者は全て連環した苦痛を感じるはずなんです。その苦痛を感じる時僕らの心では何が起きているのか、その事を考えてほしいと思いました。適応や薬の使い方は、もう確立しているので慣れだけです。方法を語り合うのはもういいので、次はその事をよく考えて下さい。
・「最期は苦しまずに死にたい」というのは、何も安楽死を権利として願うという、大きな話ではないと思います。普通に人が願う、小さく個人的なでも大切な願いです。医療者は、大きな話ではなく、小さな願いにどう応えるか真剣に考えて欲しい。その方法が鎮静であるのなら、きちんと身につけて欲しい。
まだこれからも多くのアイデアを協会の皆様とカタチにできるよう、自分自身のアンテナの感度を高めていきたいと思います。また皆様も是非協会の活動にご参加ください。終末期ケア協会の詳細はこちら。
積まれた本と再会しよう
皆さんの歩く速さはどのくらいでしょうか。
そして、皆さんの本を読む速さはどのくらいでしょうか。自分の手持ちの時間を想像しながら、本屋で多くの本を手に取るときどんなことを考えるのでしょうか。
読み終わった後に出会う、少し変わった自分を楽しみにしていることでしょう。
しかし、現実は自分の時間は、不思議となくなり、本たちは積まれていくのです。あなたとの出会いを、部屋の本棚で待ち続けています。
さて、先日出版された本の一部を引用して、伊藤亜沙さんが話しを展開して下さいました。
皆さんが積んであるこの本と再会する方法の一つを教えます。それは、3月27日日曜日の19時から、川口有美子さんと語りあうイベントに参加することです。本を読んでいなくとも、本を読んだ気持ちにさせてみせましょう。
詳しくはこちらから。
(オンラインのみ。1ヶ月見逃し配信あり)
“医師の新城拓也さんが、川口有美子さんとの対談で、カルテについて語っているのですが、その内容に驚くと同時に、妙に納得もしてしまいました(『不安の時代に、ケアを叫ぶ』青土社、2022年)”
苦し紛れのアンダンテ(伊藤亜紗) | みんなのミシマガジン