反省は長く、謝罪は短い。
ここには書けない事情があり、僕の発案で毎晩、22時45分から15分間(延長5分まで)1週間連続で家族会議をして、その内容をレポートに書くことになりました。今夜が最後の家族会議でした。テーマは、「反省とは何か」でした。反省を知るために、謝罪と何が違うのかも討論しました。
みんなの話をまとめていくと、反省は個人に留まり、また未来から過去を振り返るもの、失敗も成功も等しく検証することと分かりました。
また、謝罪は個人を超え、世代を超え、行動することです。過去の歴史の謝罪を実際に関わっていない自分達がしなくてはならないのです。そして反省は他人に要求されることではありません、謝罪は他人に要求されることでもあります。
謝罪は直ぐにできますが、反省は時に長い時間がかかります。
僕の反省はこういう内容でした。昨日名古屋でオーケストラの練習の途中の休憩で、当時の後輩二人と話しをしている時、過去の自分を含めた活動の反省がやっと言葉になりました。
音楽の楽しさを伝えることなく、かなり長時間練習していました。合宿は志賀高原でしたが、夜中3時近くまで起きて練習し、次の日は8時前に起床でした。夏の高原にいても、ほとんど外出は許されず、ひたすら練習でした。
「あの頃は無茶していたなあ、これもまた良い思い出の一つだ。若気の至り。青春青春」と思っていたのですが、最近になってから、「あれはひどいことをしていた」と過去を反省するに至りました。
ああいった長時間の練習に苦痛を感じなくすることは、いわゆるブラックバイト、ブラック企業を内面化する作用があるのです。苦しみを共有したものが、一番大きな力を発揮するという信念を植え付けて、無意味で効率の悪い、そして楽しむこととはどういうことか分からなくするのです。
僕もブラック大学医局の研修医時代に心身のバランスを乱しそして逃げ出しました。自分自身がこの反省に至るまでに、30年近くかかることを家族に告白しました。また「反省をさせると犯罪者になります」(新潮新書 2013年)の言葉通り、反省を即時求めると、相手に合わせて手触りの良い嘘ばかり言うようになります。
家族会議に臨むまでは、反省とは何か分かっていませんでした。たった20分程度話しただけでも全員が、なるほどと納得できる何かが分かりました。この家族会議で家族それぞれは、反省を重ねた人間の末裔として成長したことを実感したのです。
こんな風に長い話を日常書き投稿することを、高校1年生の頃から続けています。無理矢理読まされていた過去の人たち、そして今のあなたには、直ぐに謝罪をします。お時間を頂き申し訳ありませんでした。しかし、このこと反省にはまだ相当長い時間がかかりそうです。
| 固定リンク