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2021年9月

2021年9月19日 (日)

コロナが収まったら・・・「ニヒリズム緊急事態宣言」

僕は最近精神科や緩和ケアの領域でよく言われている「ネガティブケイパビリティ」(事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力)を知っていても良いと思うのですが、自分の仕事に採用することを否定しています。医療に関わるなら何か役に立つことを考え続けなくてはなりません。

「どうせ何をしてもどうにもならない、だから最初から『ネガティブケイパビリティ』耐える力を蓄える」というこの考えはある種の麻薬です。何もしないことを、何もできないことを肯定しますし、またこのような考えは、能力の低い医師の不勉強と訓練不足を肯定してしまいます。

粘りあがき、成果を信じてまた裏切られ、患者と共に最後まで何か役に立つ方法を探し続けて欲しいそう思います。患者に害を与えぬよう、何かを探し続けて欲しいそう思います。
きちんと気管内挿管ができて、心臓マッサージができる医師だけが、患者に「心肺蘇生不要」の話ができる、そう若い医師に教えてきました。僕は幸い20代の頃に厳しくトレーニングを受けてきました。大勢の先輩に粘り強く指導をして頂いたことを今でも良く覚えています。
きっとそういう「何でも良いから役に立ちたい」という思いが誰にでもあり、またそれがおかしな医療を創り出す原動力になってしまうのだと思います。「インチキ」と「ほんもの」の医療の境目はどこにあり、それぞれをどう確信するのか、それを議論しないと「インチキ」の本質は見えてきません。
僕が思う、「インチキ」の本質の一つは物質信仰です。助言や励ましという言葉での治療ではなく、何らかの物質を介在させます。それは薬であり、治療方法であり、そしてイデオロギーの物質化です。なので、エビデンスを強調することも、四つ足動物の肉を食べることを禁止することも、僕から見ると隣り合わせです。
また、「インチキ」のもう一つの本質は、低い能力の医師の存在です。能力が低いと言うよりもニヒリズムのために成長を自ら止めてしまった医師が、「若い頃の貯金だけで仕事をしている」医師が関わる医療が「インチキ」です。患者や家族に僕はある意味厳しいです。自分の試練を自分事として捉えてどうにかこうにかやっていく力を身につけて欲しいその一心で関わります。しかし、「インチキ」な医師は自分の怠惰を肯定すると同時に、患者や家族の怠惰を肯定します。「鶏肉さえ食べていればそれで大丈夫なんだ」、「病院で抗癌剤をしなければ、自分の病気は治るんだ」、「体をアルカリ化したら癌は治る」という考えは、自分の試練を引き受けない怠惰の一つなのです。簡単で安易な解決策に医師と患者と家族が共謀したときに、「インチキ」は完成します。
でも、きっとその境目はそれぞれの人にあって、それが何かを話し合うことでやっと少し良い世界になっていくのだと思います。でも、自分が「インチキ」なのか、「ほんもの」なのか、自分は「インチキ」な世界に加担していないのか、いつも問い続けなくてはなりません。
妻が良く「いつかコロナが収まったら○○しようね」と人に言うのを見て、体よく誘いを断る去年からのキラーフレーズかなと内心思っていたのですが、そうではありません。異常な世界を生きている自分達を自覚しつつ、未来を信じる強い力なんだと考え直しました。
皆さん、いつかコロナが収まったら、あれやこれやしましょうね。そしてそういう日が来ると信じていなくては、今を生きていけません。希望を捨てることは、ニヒリズム(虚無主義; どうせ何をやっても意味ないじゃん)で今蔓延している病気の一つです。現在、新型コロナウイルス感染症に緊急事態宣言が発令中されていますが、僕の周りのこの雑な世界を見ていると、「ニヒリズム緊急事態宣言」なのです。

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