2021年1月の鬱日記
昨年3月以降の、このコロナの閉塞的な状況の中、昨年12月までは、とても気ぜわしく動き回っていてました。動き回りすぎて10月頃に鬱になりましたがどうにか乗り越え今に至ります。
しかし、この1月から自分でも不思議なくらい、仕事がなくなり、勉強する時間、本を読む時間、パンダに会いに行く時間ができました。
事務員はテレワークなので、仕事の合間に自分のオフィスに行ってもシャッターが閉まり、誰もいない。一人静かにNHKの連ドラをネットで見ながら、静かに弁当を食べる時間を、最初は貴重に感じていましたが、やっぱりつらくなってきました。
検温、マスクをして、しゃべらず手洗いし、スポーツジムへ行っても、何だか隠れて悪いことをしているような気分になり、またつらくなる。
多くの講演やレクチャーは以前と違いネットで配信されます。車の移動中や犬の散歩中はほとんど音声だけを聞き、今までに知らなかったことを学び続けています。でも、その学びを共有して討論できる人はいません。
特に所属するアマチュアオーケストラの練習、演奏会が次々にキャンセルとなり、バイオリンを弾く時間、他の演奏者と一緒に音楽活動ができなくなったことが、一番心にこたえています。週末の予定も真っ白になりました。
このやっと得られた落ち着いた、内観できる時間が、どうにも自分には居心地が悪く、勝手に悶々としています。
自分の心の種火が消えると、また去年の10月のように苦しくなってしまうので、火を消さないようにしたい。心の種火が消えてしまうと、もう一度火をつけるのには相当な時間がかかります。
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