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2020年11月 8日 (日)

フードフォトグラファー新城からのメッセージ「時間を超えること」

皆さんこんにちはフードジャーナリストの新城拓也です。前回よりしばらくの内観の時間をいただき、さらに食と写真についての構想を練っておりました。ここにまた皆さんにお伝えしたい事があります。

さて、一部で私の文章の展開が長すぎて、一度流したら水が止まらない、壊れた水洗トイレのようだという指摘を頂きました。それには反論したいと思います。何故なら、やまない雨はない、止まらない水洗トイレはないと言う、物理学的な真理があるからなのです。第一種、第二種永久機関は存在しないことは、既に証明されており、永久に思えるような、言葉の連鎖もいずれ終わりを迎えます。

終わりというのはいつも事前に決まっているものではありません。終わりはいつも表現者によって、意識され、選択されながら進行していきます。しかし、その過程と終着は、おおよそ表現者にとっては思わぬ方向に向かうのが必然です。

よく小説家や、漫画の作家が、登場人物を自分で作り出しているのに、その終着は、登場人物が決めると良くわからない事をいう方がいます。「自分の創作物には、自分で決着させろ」と言いたくなる事でしょう。意図をもって、出発してそして終われと。

しかし、一つの文章が終わりに向かいつつも終わらない理由の一つは、「人間の意図というものは、事前に決定できるものなのか、実は事が終わってから、意図を作り出しているのではないか」と言うことです。

このように表現者が自分自身もついにどちらに向いているの分からなくなり、迷子となっている状態があります。例えば、ストーリーが既に破綻していると感じられる、「進撃の巨人」はその代表です。表現者にとっても読者にとっても、時間の流れすらも何が何だか分からなくなり、自分が人間何だか、巨人なのかも分からなくなってきます。

巨人として人間の物語を読んでいるのかもしれない、そんな疑念を抱かせて、自分の身体の等身大を失い、大きくなったり小さくなったり感じます。まさに「不思議な国のアリス症候群」の知覚変容を体験させられているかのようです。

最近上映された、クリストファーノーラン監督、「TENET」も同じように過程と終着で、観るものを混乱させます。この映画を一度では理解することは無理ですし、また後期高齢者であればなおさら、意味が分からず「とにかく主人公の名前は何だったっけ?」「どうして車がバックで猛スピードで走るんだ。どうやって運転するんだっけ?」と、混乱の中から、本質的だが無意味な問いにたどり着きます。そう、主人公には名前はありませんし、車はバックしているように見えているだけです。

実は、科学理論の意味を変容させながら、もっともらしい展開をしていく方法は、「媒概念不周延の虚偽」という詭弁の一つです。「時間の流れは一定ではない。なので、順行だけでなく、逆行することもある。だから、同時に一つの世界で順行と逆行は起こりそれは知覚できる」というもちろん詭弁なのです。

しかし、一見詭弁に見えても、優れたストーリーは、並行世界(パラレルワールド)を作り、そこから自分に向けてやってくるメッセージから二つの世界を交流させます。そのメッセージは謎めいていますが、自分にとっては親密な内容で、自分の心を捉えてしまいます。そしてメッセージに抗うことができなくなり、自分の行動が変わっていくのです。

そして並行世界のメッセージが届く瞬間は、いつも時間や知覚にわずかですがずれを生じています。実は、そのような時空を変化させる装置は、皆さんにもときどき現れているはずです。

進撃の巨人の壁、TENETの回転ドアはその一例です。もしもそのような装置を発見したら、自分の意識を集中し、中に入っていこうと試してみて下さい。

私も先日そういう装置を見つけてしまい、つい深く中に入ってしまいました。その時のことを、写真と共にお伝えしておきましょう。このソフトシェルクラブの冷製グリーンカレー和えそばを食べた時の出来事です。

時空を変化させる装置は見た目は普通ですが、知覚のずれ、時間のずれを生じさせます。このソフトシェルクラブ(脱皮したてのカニ)を口にしたとき、皆さんこう思うはずです。「しまった、殻ごと食べてしまったと」そしてその次に、吐き出して、身だけを取り出さなくてはと思うはずです。しばらくすると、「あれ、これは食べれちゃうのか、あれれ」と感じた瞬間に、皆さんの知覚はずれはじめて、時間の流れが逆行します。

「さっき食べたあれは何だったのだろう」と視覚の記憶と味覚の記憶から、自分の体験した違和感をどうにか理解しようとします。時には店員に「あれは何が入っていたのか」と尋ねます。しかし、記憶や説明からは、何ら自分の体験のずれを埋めることはできず、決着しない問いだけが、宙に浮いたまま時間が順行していきます。

さらに、なぜグリーンカレーなのに冷製なのか、中華を食べに来たはずなのに、タイ料理なのか、タイ料理と思ったら、ひんやりとレモスコヨーグルトソース(レモスコとは、レモンと酢、青唐辛子で作られた調味料)の味がして、あれタバスコではないピリッとしたヨーグルトは何だと疑問が駆動し、時間の流れが逆行します。

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一口ずつ食べる毎に知覚がずれるので、全てを食べた後には、一体自分の時間がどう流れていたのか分からなくなります。確かに自分の口の中には、様々な香辛料の感触は残っているのですが、その体験の認識と知覚がずれているため、何が起こったのか理解出来なくなるのです。

もしかしたら、空になった皿の上で使っていた箸を踊らせれば、時間が逆行して、もう一度一口毎に、皿に戻ってくるのではと確信する体験をするはずです。

食後しばらくしてから、私はあるメッセージを並行世界から受け取りました。あなたの世界は、食べれば必ず料理がなくなる皿しかない。しかし、その皿にあった料理を知覚し記憶するのは皿ではない。

フォトグラファーとして思うのは、食べ始める前の写真は意味はありますが、食べ終えた後の写真には意味はないのです。認知と知覚の時間を私たちはいつも逆行して理解しようとしますが、順行した時間からは、事後何もヒントを教えてくれることはありません。

一言で言いましょう。「覆水盆に返らず」(≒ It's no use crying over spilt milk.)

このことわざはこぼれた水が元に戻ることはないという真理を教える言葉ではありません。実は、私たちの意識は絶えず、「水に満たされた盆」を、空になった盆を見ながらも、意識できるという時間の変容を示す真理なのです。皆さんが意識さえすれば、きちんと水は盆に戻っていきます。

この世界では壊れかけた人間関係も、時間を逆行させれば、修復できます。一度吐いた唾だって呑み込むことも出来ます。

誰でも時間を自由に動かしながら、人は生きていくことができますし、そのきっかけはいつも知覚と認識のずれです。そして時空を変化させる装置は、案外皆さんのすぐ側に現れるのです。よく周りを見渡して下さい。そして、自分の周りの時空を歪ませてみて下さい。

 

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