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2020年11月 7日 (土)

フードフォトグラファー新城からのメッセージ「物事には手順がある」

こんにちは、フードフォトグラファーの新城です。

今回は、「物事には順序がある」という大切な事を、皆さんに伝えなくてはなりません。というのは、かねてより私は、子供の頃からどうしても、解く事ができない問いがあるのです。それは、「ラーメンに入ったメンマの、食べる手順」の事なんです。

どんなラーメンにも入っていることの多いメンマですが、その調理について、本当に幼い頃から、どう食べたら美味しくなるのか、考え続けてきました。

メンマはどう考えても脇役、主役は麺とスープです。こだわりのスープ、手打ち麺など、ラーメンを作ることができない客が見るとつい、何か特別なことがこのラーメンにはあるのだと店の看板から知らされることになります。

こだわりのスープ、12時間熟成と書いてあると、テレビの「ガチンコ!」や、「プロフェッショナル仕事の流儀」でみた頑固な店主の天才的かつ、努力の結晶が連想されます。12時間も手間暇かけたものを自分は目の前にしているのだと、そう思った時点でもう勝負はついています。そこそこの味であっても、受け身である私達は必ず負けてしまう構造になっているのです。

こだわりのスープの「こだわりの」とか、手打ち麺の「手打ち」と客のイメージを明確にすることが、実は脳科学を応用したプロの仕事です。

私が実際に体験する味覚よりも、コピーという視覚から連想させられてしまった味覚で先に体験し始めているのです。これは脳科学で最近明らかになってきた知見に合致します。

人間の運動は、脳の中で先に運動のイメージが出来上がり、感覚まで予測します。そして、実際の運動としてアウトプットし、運動を通じて得た感触から、自分の運動の学習と補正を行います。

分かりやすく解説しましょう。あなたは川の側を歩いています。でも耳にはお気に入りのAirPods Proから音楽が聞こえてしまっていて、視覚、聴覚の情報がやや落ちています。その時歩く動作というのは全く意識されず、脳の中で右足、左足、体幹、上肢と連関された運動を、脳は先に作り出しそして、順調にアウトプットします。つまり無意識に歩いています。

その時です。足の裏にむにゅっとした嫌な感触がありました。その瞬間、脳は運動のイメージから実際の運動を起こすフローを中断し、そして何が起こったのか知ろうとします。

皆さんが想像している以上に、足の裏、足の指というのは、敏感な感覚器官です。私の足の裏は一瞬でそれが犬の排泄物であろう事を推測できます。まだ目と耳とそして鼻で確認していないにもかかわらず、一瞬で何が起こったのか悟ります。

そして自分の脳の自動的な作業を恨むのです。どうして、スバルのアイサイトのように、先に気がついて止まってくれなかったのかと。

このように人間の意識下にない行動は、どのような順序で起きているかを知っておくことは、これから犬の排泄物を踏まないためには大切な教訓です。

ラーメンを食す間にも、その脳のイメージとそして実際の味覚との時間的な差異が産まれます。さらには、感覚の予測すら先行しているため、いつも味覚は自分の脳が作り出すのが先なのです。

「うまいだろう」そして、実際の舌から味わった「うまい」が後から来ます。「うまいだろう」の期待値を計算することで、人間は瞬時にその標準偏差と分散を導き出し、実際に「うまい」であろう確率を計算します。その分布が1に近ければ近いほど、本当に不味かったときにも、「うまい(のかな?)」と、仮説が棄却される危険を回避することができると言うことです。

ラーメンは、脳科学と物理と数学の基本を反映した作業を私たちに知らないうちに行わせているのです。学問は、根本的に人間の快感の解明に結びついている事が、皆さんにもお分かりでしょう。

スープは熱々、ラーメンも茹でたて、湯切りの具合でとても良い温度となっています。しかし、それに加えたメンマの温度を計算していないため、やや冷めたメンマを口にしたときに「あれ?これは?」と違和感を誰もが感じるはずです。

その違和感は、先行する味覚イメージがないため、不味いと判断されるオッズが高まります。「台湾産の麻竹から作られた伝統の味」などとメンマのイメージを先に提出されることは、まずないのです。

先行するイメージに固められた集団の中で、たった一つだけ事前確率の計算されていない物質が混じっている、私たちはその異物に対しては相当公平な判断を下します。

「冷めていて不味い」このことに私は幼い頃から腹を立ててきましたし、食事という三次元の状態に収まり、時間軸という大切な四次元の観念を料理に含んでいないことがメンマの不味さを引き立たせます。

かくして、私はまず美しく盛り付けられたラーメンを、メンマを含む全ての食材の温度を均質にするために、箸で混ぜ合わせてしまうになったのです。これが食べる前の儀式となってしまいました。

でも、本来ならメンマの温度を管理して、出来上がった瞬間のスープや麺との温度差を計算し、そして時間と共に、対流、伝導で均質化しようとするエントロピーを、メンマも含めて計算する作品を作り上げて欲しいのです。

私は冷めたメンマを美味いと感じることができず、不味いと判断してしまうのは、作品の作り手が、メンマに対する思慮がないことも一因でしょう。こだわりがないのです。冷蔵庫から出して、麺とスープを処理する間にまあ、それなりのぬるさになるわな。それを、最後に入れれば見映えもよいじゃろ。この油断に不味さの要因があるのです。

「物事には順序がある」食べる順序を計算した、作品を私は長く待ちわびておりました。

そんな時に私が出会ったこの冷麺は、「桃のクリーミー冷やし担々麺」でした。桃はもちろん冷えていますが、それぞれの食材の温度、そして一部は赤紫蘇のジュレが食感だけではなく、温度のアクセントを与えます。一部は凍っていました。

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この作品には、人間の知覚と感覚のフィードバックをどのように脳で処理されているのかをきちんと理解している盛り付けがなされています。食べ始めた瞬間に、全ての具材を混ぜ合わせる、作品の仕上げを客に求めるようなことはありません。

食材の一つ一つの温度とその展開、当然口の中に入れれば、人間の体温36-37℃の間に緩衝をおこし、秒単位で違う温度へと達します。しかしその温度感覚も口腔、咽頭を通り過ぎたとき、胃に達すること頃には表在感覚ではなく、内臓感覚へと変化するのです。

世の中のメンマに出会う度に、私には「物事には順序がある」という言葉を思い出さずにはいられません。メンマに対して、フーリエの熱伝導式と多次元微分方程式から正しい手順が導かれるはずなのです。ジョン・デューイの思考の方法と同じく、メンマのあり様を意識し、さらに明確にし、仮説を作り検証することです。

私たちは何のために勉強するのか、子供に問われて絶句する質問の一つです。しかし、私ははっきりその理由を答えることができます。それはメンマの正しい温度と、ラーメンの食べる順序を知ることを追求するような事なのです。

違う人間の個としての体験を再現し、そして共有し、身体という圧倒的な境界に分断された、個と個が結合する人類共通の目標に近づくためなのです。私は毎日そんなことを考えながら、食と向き合っています。

 

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