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2020年11月 4日 (水)

フードフォトグラファー新城からのメッセージ「担々麺の写真は難しい」

皆さん、良い週末をお過ごしでしょうか。まとまって集中する時間をなかなか取れない、フードフォトグラファーの新城です。今、阪急電車に揺られながら集中でき、やっと皆さんに、世界の真理についてお知らせする機会を得ることができましたのでお伝えします。

さて、フードフォトグラファーにとって、いや正確には日本で暮らし日本語を使う日本国籍の日本人にとって、どのような食べ物の写真が、題材として一番難しいかご存知でしょうか。

それは、「担々麺」なのです。あの独特な赤い色調の中にある、瑞々しさ、辛さへ期待が高まる心情を、カメラに収めたことは、まだ私にはありません。何故できないのか考えておりましたが、やっと二つの真理に到達しました。

その真理の一つ目は、構図や露出、フォカースといった技術的な難易度が高いということではないのです。

まず、この写真をご覧ください。美味しそうだ、食べてみたいと皆さんは率直に思いますか。きっと思えないとはずです。

また、自分の撮った写真だけを見ても私にも、これから始まる、口の中での大戦争と、顔面から吹き出す汗を予感することはできません。

私は、一口目から辛さの痛覚と、パクチーの不味苦さ、さらにはゴーヤの刺激的な苦味に、七転八倒するかと思いきや、イカ墨の冷麺が仲を取り持つことで、新たな味覚に、恍惚とした時間を過ごしたのです。

そうです、まず心の中で確信するのは、時間展開性を写真に収めることができないという哲学的なテーゼに応えられない事に至ります。この担々麺を食べる前には、写真を撮影したその瞬間には、自分は「蓼食う虫も好き好き」の「虫」にさせられた気分、例えるならカフカが「変身」で描写した、毒虫になったザムザになった擬似感覚を、写真は素直に描写してしまうのです。現に、この写真は見事にその感覚が収められてます。

自分が人間ではない、他の何者かにされ、虫の気分のまま担々麺を食すという予感を写真は伝えているのです。

しかし、人間にとって虫と区別しうる高等な感覚を現実には体験するのです。つまり現実には、担々麺を食したその一口目から、視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚の五感の配分率を調性のとれた和音を体験することで、一気に「虫」から「人間」を超えた存在に辿り着くことを確信するはずなのです。

その時間展開性を、一連の時間としてキャプチャーするこが、写真ではできないのです。

そして二つ目の真理とは、日本人はこの担々麺の赤に対して、一定の警戒感を抱くという民族的な事実です。

人類学では、隣の部族、民族が同一の食品を求めないことで、共存関係になるという知見があります。ある民族とある民族が同じ食物の奪い合いを始めることが最も原始的な争いの原点です。

たった一つの唐揚げを取り合う家族にも、その争いの一端を見ることができます。互いに価値のあるものとして認識することが、争いのそして、戦争の基になるのです。それが、魚であれ、肉であれ、石油であれ、宗教の聖地の争いであれ、民主主義の解釈の違いであれ。

担々麺の独特な赤には、根本的に日本人を退ける作用があります。「これはとっても美味しくないどころか、食べたら死ぬかもしれない」と警戒させるのです。

その、「死ぬかもしれない」覚悟を通り越す体験こそが、フグ毒に打ち勝ちフグを食べてきた、私たち日本人の禁を犯す背徳感を伴う、食文化の豊かさなのです。

しかし、写真には食べない方が良いという「警戒感」を切り取ることはできるのですが、食べることを通じて得られる、背徳感に平伏する人間の恍惚を、描くことができないのです。

激辛ラーメンを食べて、その後下痢が続いて、肛門の粘膜に痛みが走る快感、抜けかけた歯を、わざわざ自分でぐらぐらといじり、歯茎の痛みを感じている快感、そしてお漏らしてしまったのに、その羞恥心に耐えながら、股間が濡れていく快感は、写真に描くことができないのです。

恍惚感には背徳が伴う、そしてその背徳は、やはりアプリオリな概念なのです。写真は、視覚情報をアプリケート(認識)できても、アプリオリ(先験的)な概念を伝えることはできません。

さて、皆さんにも私の伝えようとする二つの真理と、フードフォトグラファーとしての限界が分かって頂けたと思います。

もちろん、この後私はこの自分史上最高の担々麺を食すことになるのですが、食後の恍惚感については、このような形で皆さんにもお伝えするしかありません。

食後の皿の写真からは、何も伝えることができないとカメラを置きました。皆さんも自分の好きなものが伝わらないこと、好きなものを分かって欲しい誰かに伝えられない辛さを日々体験していることと思います。

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多くの若者は、私の伝えた真理を、「これ、ヤベエ」「ヤバイ」の一言で全てをまとめます。優れた要約能力で、日本の国語教育の賜物でしょう。でも皆さんは、時間展開性と、先験的恍惚感を伝える努力をこれからも続けて下さいね。

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