僕が在宅医療と、病院勤務で実際に見聞きした残酷な別れを、きちんとプライバシーが守られるようにフィクションにして記しておきます。
新型コロナウイルスという未知のウイルスのため、僕も世界も冷静さを欠き、動揺し続けています。やっと一息つき、今大切なのは、この数ヶ月に体験したことを記録して、検証することだと考えています。
僕は幸いにも、地元の友人とは何とか店を開けてくれていた喫茶店で、距離の離れた友人とは定期的にYouTube liveで私的なラジオ番組として話し合い、自分の感じている事を言葉にする機会を持ち続けてきました[1]。そのお陰で身の回りに何が起きているのか、自分の心はどう変化しているのかを確かめながら過ごすことができました。

エビデンス偏重の弊害
エビデンスがあまりにも重視され、感染対策が全ての価値観の上位にくるという、市民レベルでも異常な毎日を過ごし、まだその余韻が残っています。僕の一番嫌いな言葉に、「正しく恐れる」というものがあります。科学的なエビデンスを重視して、自分の行動を規定していく理性的な過ごし方をする「正しく恐れる」は、その言葉自体に矛盾があります。
毎週のように新たになるエビデンスは猫の目のようにくるくると変わり、軸足が定まりません。エビデンスを重視するということは、早い変化を受け容れるということです。今目の前で見ているエビデンスは、まもなく古くなり、別のエビデンスに上書きされるということです。エビデンスの積み重ねは盤石な地面を作っていくことではなく、意味も解釈も変化していき、あたかも今まで固いと思っていた場所がぶよぶよになり、沈んでいくような世界なのです。
「免疫パスポート」(新型コロナウイルスの抗体を持っていれば、危険な仕事にも従事できまた、自由に生活できる)、「集団免疫」(市民の間である程度感染が拡がれば、ウイルスの免疫が確保され流行が起こらなくなる)はどうやら意味がなさそうだということも分かってきました[2,3]。人間は事後的にしか、今起きている物事を理解出来ませんので、現在と未来を生きる、もっと正しく言うなら今、この瞬間を生きている人間に「正しく恐れる」ということはできないのです。今と未来が恐ろしく不安、過去を振り返ると自分の大胆さに呆れる。それが普通です。
さて、僕が体験したこの2月から6月の間のことを、きちんと記録として残しておこうと思います。なぜなら、僕は自分自身のわずか数ヶ月前の過去に呆れているからです。
新型コロナウイルスのために、私達医療者が患者や家族から奪ってしまったものをきちんと記録しておかなくてはならない、そしてこの文章は僕なりに、関わった患者と家族への自分なりの弔いとして、心を込めて書こうと思います。
言葉のない、手も握れない親子の別れ
僕とほとんど年の変わらない40代の男性の方でした。普段僕が診療する高齢者と違い、その肌と目には身体が生きよう生きようとする力を感じました。しかし腹部にできた癌のため食事は食べられなくなり、その身体は痩せ細っていました。そして、さらに脳の中にできた癌のために、頭の痛みや吐き気が続いていました。
僕は緩和ケアの医師として彼に関わり、できる限り薬の治療をしました。それでも病院では接触できる時間は限られ、チーム医療の一員である看護師や薬剤師は部屋の外や、距離の離れたところから見ているだけとなりました。僕もいつもと違い、聴診器を使わず、会話をするのも大変な彼と、離れたところから大きな声で話しました。返事をする彼の声は小さく、やっぱり口元に僕は耳を近づけました。
「今はやってはいけないことだけど、やっぱり言葉をきちんと聞き届けたい」僕も覚悟を決めました。彼は「頭が痛い、頭が痛い」というだけでした。身体の痛みをまずきちんと薬で抑えることが一番大切でした。
長年緩和ケアに関わって、その限界もよく知る僕としては、全ての痛みが完全になくなることはない、でも普通の会話ができるくらい、ときには笑って話すぐらいにはできると感じています。そして取り切れない残った痛みは、ケアの力で緩和しようとします。そのケアの中でも一番大切なものは、家族の関わりです。痛みのある場所をさする、ただ手を握る、言葉はなくともそばにいる、そういう家族の情愛が、「痛み止めで取りきれない痛みをとるクスリ」になるのです。
でも彼の病室は面会が制限されているため、短い時間しか家族はいません。老いた母親が、彼のために時々来ていることは知っていました。しかし僕の短い、その病院での勤務時間の中では、直接会うことはできず、彼の母親に言葉をかける機会はありませんでした。
もっと傍にいたい母親を制し、1時間にも満たないわずかな時間で面会を終わらせることが続いていました。病棟の看護師が「時間ですよ」と急かすことなく、自発的に母親は部屋から出て行っていたそうです。きっと子供を亡くすつらさは、余りにも大きかったことでしょう。いつもなら僕なら、十分に付き添いをさせ、さらにその母親を支える家族の誰かが一緒に面会するように助言します。
僕もかつてホスピスで働いているときに、いつも家族にこう助言していました。
「家族一人一人が24時間、隙間なく付き添いするのではなく、できるだけ家族が複数になる時間を作って下さい。そのために患者が一人になる時間ができてしまったとしても」
僕は経験的に、家族のつらさは家族同士が共有する方が、医療者が直接家族の一人一人をケアするよりも、良いケアになると思っています。そして、病状の説明も複数の家族に同時に話した方がよい。責任もつらさも、そして負担感も共有(シェア)することがケアの要なのです。
しかし、この新型コロナウイルスによる面会制限は、面会時間だけではなく、面会できる人数も制限するため、この家族内のケアの機会も奪ってしまいました。
そしていつも一人で病室にいる彼のために僕が考えたことは、いつもなら考えないことでした。いつもなら痛みと眠気が相容れない状況になっても、できるだけ家族と話ができるように無理に薬を増量しない。痛みがあっても昼間は話せるように、夜は眠れるようにできる限り調整するというやり方から、家族の付添がなく一人で部屋にいるのなら、眠気があってもできるだけ痛みがないように薬の種類や量を多めに調整するということでした。
たった一人の病室で、苦痛と向き合うよりも、うとうと眠って苦痛のないように過ごす方法を選択したのです。もちろん、一緒に診察する医師や看護師とも、苦痛緩和の方針を言語化して共有しました。
そして、あまり医療者とも言葉を交わすことなく、苦痛のない表情のまま彼は逝きました。
直ぐそこにいるのどうして会えないのか。
別の方の話です。高齢の父親が入院し看病にとても熱心な娘さんがいらっしゃいました。この方もやはり癌で、寝たきりとなっており自宅で過ごすことができなくなり病院に入院していました。家で介護、看病をしていた娘さんは、いつも通り病室に来ていました。
やがて、新型コロナウイルス感染が拡大し流行期となると、それまで短時間なら面会できていたのに、全く面会ができなくなりました。家で洗った洗濯物を持ってきた娘さんは、病棟の手前で事務員と険しい表情でやりとりしていました。
「洗濯物を受け取ったら、今日はお引き取り下さい」と言われていた娘さんは、父親に会いたい一心で、「そこを何とか」と交渉していましたが、事務員の方が判断し病棟に入れることはできません、あと一歩先に進むことができず、帰宅することになりました。
僕はこのやり取りを目撃するその直前に、父親の診察を済ませていました。ベッドから起き上がることもできないので、この娘さんがいる場所まで、せめてガラスの病棟の自動ドアの前までと思っても、自分の足で来ることはできません。診察を終えて、他の病棟へ行こうと移動しているときに、娘さんが泣きながらうなだれている姿を見ました。
僕も顔を知っている娘さんに、「お父さんは苦痛なく過ごしていらっしゃいました」と声をかけるのがやっとでした。僕はこの不定期に勤めているこの病院では、自分勝手な裁量で「さあ、僕が一緒に病室まで行くから、直ぐそこにいるお父さんに会いに行きましょう」と娘さんの背中を押すこともできず、ただ「面会できないことは、本当に申し訳ありません」と、病院の一員として頭を下げました。
距離にしてもわずかなところに、父と娘はいるのに、会えないのです。「今は仕方ない」と病院の職員も自分の心を必死に抑えていました。僕も「例え死の床にあっても、今本人と家族が会えないのは仕方がない」と思ってしまったのです。4月半ばのことでした。
その親子はその後ホスピスに転院しました。そこで再び会えていたと信じたい。あの時やっぱり僕はこっそり病棟に自分のネームキーを使って、自動扉のロックを解除し、父と娘を会わせれば良かった、その行為でその病院の職を失っても、自分の本業はきちんとある。僕は、自分も同じく、患者と家族を分断する残酷な行為に加担したのだとその時の自分を恥じています。
「病院ではもっと一緒に居たいと心の底から思っていましたが諦めました。」
とあるクリニックから診察を依頼された、腹部の癌の男性でした。往診ができる医師を探していたということで、僕が関わるようになりました。仲の良い老夫婦で、たくさんしゃべる奥さんが、無口で微笑むご主人とケンカしながらも、仲良く暮らしていました。こういうケンカは家族以外の僕から見れば、動物のグルーミングのようなもので、無目的にお互いの存在を確かめ合うようなものです。僕から見ても微笑ましいやり取りでした。
ある日、男性は急に眠り込んでしまいました。起こしても起きないということで、僕に連絡があり往診しました。診察すると、今までにない何か重大な問題が起こっている、恐らく脳卒中だろうと見立てました。いつもなら、「脳に何か大きな異変があったようです。今すぐ救急車を呼びましょう」と言うのですが、その時はまずこう言いました。
「いつもなら救急車を呼びます。そうすると恐らくは、近くの病院に入院することになるでしょう。入院すれば今のコロナの状況では、面会することがほとんどできなくなります。入院すれば会えなくなります。それでも病院へ行きますか?」と今まで言ったことのない説明をしました。さらに、
「これも寿命と考えて、このまま家で最期を看取るなら、僕も覚悟を決めてお供します、人も集めます」と続けました。でも、奥さんは本当は気が弱い方、心の支えなしでは自宅で看病できないだろうと経験的に分かりました。他の家族が誰かしばらく一緒にこの家で生活してくれれば何とかなるかもしれない、そう思い言葉を続けました。
「誰か、他の家族は、ここでしばらく一緒に居ることはできますか」と尋ねると、「無理です、いや子供達には迷惑をかけたくない」と答えます。
お子さん方はきっと協力してくれるだろう、でもこの男性の状態は緊急事態であまり時間の猶予はない、また奥さんの気の弱さと自責感の強さを考えれば、やっぱりこのまま自宅で一緒にみていくのは無理だなと僕は思いました。
医師にとって大切なのは、色々と対話しても最後はきちんと決めて線を引くことです。僕はこう言いました。「やっぱりすぐ救急車で病院へ行きましょう。その後のことは、またその後考えましょう」そうきっぱりと言い、救急車を呼びました。
間もなく来た救急車で、直ぐ近くの病院に運ばれ、脳卒中のため入院となりました。僕は約束通り、入院してしばらく経ってから、奥さんだけが居るその家に訪問しました。
奥さんは、「病院では面会ができず、できても15分だけ。時には大目に見てくれる看護師さんもいるけど、やっぱり上の方が来て『そろそろ時間ですよ』と声をかけられてしまう。もっと一緒に居たくても仕方ない帰ってくるんです」と、泣きながら話していました。悲しい涙というよりも、悔しい涙です。何に気持ちをぶつけたら良いのか分からない様子でした。
僕はいつもなら必ず入院した患者の見舞いに行くのに、それもできなくなりました。
自分が診療している患者が入院すると、必ず病院に見舞いに行き、時には担当している医療者とその方の病状や人となりを直接伝えます。医師として、自分の診療技能を高めるため、自分の診断と実際の検査はどう違うのかをきちんと確かめます。
そして患者に会いに行く時には大抵それが最後の別れになるので、きちんと自分なりに納得して、自分の診療を終える、そのためでもありました。
しかしこの方とは、病院からの文書で、病状を確かめることはできても、自分の中で患者と別れができていないままとなりました。
本人は意識もなく眠ったままで、もう残った時間はそれほどないだろうと話を聞いて分かりました。病院の医師や看護師も、心を持った人間です。ずっと一日中付き添わせてあげたいと思っていても、勤務する医療者は、僕のように「自分の責任は自分でとる、自分が決められる」開業医とは違います。働く医療者の一人一人の感情と、それを管理する病院の方針は相容れないこともあります。そして院内感染予防のためのウイルス対策という側面だけではなく、十分な対策をしていても、院内感染やクラスター発生がおこった組織には、風評被害という社会的な制裁が下されます。
新型コロナウイルス感染は、ウイルス対策と、周囲の人間に対する対策を同時にしなくてはならないのです。面会を制限、禁止するのがそのどちらにとっても合理的であることは僕にも直ぐ分かります。
僕はあえて、奥さんに提案してみました。
「病院の人達の言うことは無視して、ずっと一緒に居たらどうだろうか。さすがに警備員を呼んで追い出されることはないのではないか」と言うと、奥さんは、「もしも自分が勝手なことをしたら、もう二度と会わせてもらえなくなるかもしれない。いつももう少しだけ時間を延ばして一緒に居ようとも思うけど、やっぱり規則を破れば、会うこともできなくなるかもしれないから」と下を向きながら答えたのです。
家族が入院して、病院の管理下にあるというのはこういうことなんだと悟りました。患者も家族も病院の中では、人権を制限されても意見を言えない弱い立場なんだと知りました。
患者の権利、死者の権利
ここに書いた3人の方はもうこの世にはいません。そして残された家族は、それぞれ一人の生活が始まっています。患者は治療を受けるために入院すれば、移動の自由が制限されます。しかし、人と会う自由は確保されなくてはなりません。あらゆる患者の人権を医療者は、新型コロナウイルス感染を防ぐためには妥当な方策だと制限しました。今のように徐々に制限を解除すれば、生きている僕たちは人と人の交流を取りもどすことができています。しかし、死者の権利は奪われたまま、もう取りもどすことはできません。
そして、残された家族は、患者を弔う機会を奪われたままです。看取りの現場にずっと関わってきた僕は、亡くなった後の葬送儀礼が弔いではなく、亡くなる前からの家族と医療者を中心とした、周りの人たちのケア、看病、見舞い、そしてお世話こそが、死者に対する弔いの始まりではないかと考えています。通夜や葬式、その後の法要だけが、弔いではないのです。
新型コロナウイルスのために、エビデンスに偏りすぎた僕たちは、今こそもっともっと大きな、死では終わらない物語、不条理に直面した人々の心を、励ます力のある物語で自分自身の生き方を改めて考えるときだと思います[4]。今のような物語のない世界が続けば、もっともっと残酷な別れと殺伐とした世界観に支配され続けるのです。
エピローグ
毎日楽しみにしていたNHKの朝の連続ドラマは、撮影がコロナウイルスの影響でできなかったため、今週は(6月15日)番外編を放送しています。亡くなった死者は、あの世でジャンボ宝くじに当たると、閻魔大王にお小遣いをもらえて、「一泊二日の地上への旅行」がプレゼントされるという粋な物語です[5]。
このよくできた物語に、今日僕の心も少しだけ救われました。そして、今この時期だからこそ、新型コロナウイルスで心が傷ついた人々には、エビデンスではなく物語が必要だと気がつきました。この世でも政府が景気対策のために旅行クーポンを配る話しがあります。それならば、この数ヶ月残酷な別れをした方々に、あの世でも、地上への旅行クーポンを配布して、彼らと残された家族を再会させて、十分な弔いをする時間を作ることができたなら、どんなによいかと心から思います。
付記)(後藤正文の朝からロック)黒人の命「は」「も」「こそ」の記事を読み、タイトルの訳語を改訂しました。
1) 黙ってられないラジオ https://www.youtube.com/watch?v=M9ZyaKwt3Tg
2) Hall MA, Studdert DM. Privileges and Immunity Certification During the COVID-19 Pandemic. JAMA.2020;323(22):2243–2244. doi:10.1001/jama.2020.7712
3)Randolph HE, Barreiro LB. Herd Immunity: Understanding COVID-19. Immunity. 2020;52(5):737-741. doi:10.1016/j.immuni.2020.04.012
4) 釈 徹宗, 死では終わらない物語について書こうと思う, 文藝春秋, 2015年
5) NHK あらすじ第12週 アナザーストーリー NHK連続テレビ小説「エール」2020年https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_12.html