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2019年10月26日 (土)

全ての人は、自分の心の中にあるプライバシー設定を見直さなくてはならない

面識のある、Romiさんのnoteをシェアしつつ、自分の中に棲むモンスターについて書いておきます。最後に患者、家族、そして医療者、患者会の皆様に、私からの提言があります。
最近、学会でも個人的にも、発言していることですが、今一度、患者のプライバシーを医療者は軽視していないか、その事を皆さんに伝えたいと思います。

私は開業してから在宅医療に関わるようになり、患者や家族から、「先生がブログやSNSをしているのは知ってます。私のことも書くのですか?」と聞かれた事が何度かあります。

私が診療して私の目や耳で得た情報は、相手のものではなく私のものだ、どこかでそう思っていた傲慢さに気がつく事が出来ました。

まもなく地元、神戸で死の臨床研究会が開催されます。私は開業してから、この研究会の伝統的なあり方に疑問とさらに問題を感じ、退会しました。

この研究会では、患者や家族のプライバシーが守られていない事に大きな問題を感じたからです。この研究会が大切にしている事例検討に、私もかつて2回演題を出し、話した事があります。この事例検討では、自分の迷いや、多くの人達の助言を得て参加者全体の大きな力となったと信じています。

さて、私の事例検討は、他と同じく、患者の個人情報(名前、住所)は伏せていました。恐らく個人を特定することは、研究会の参加者はできないでしょう。
しかし、家族構成や、本人の性格、私に患者や家族が話した人生の道のり、家族との赤裸々なやりとり、またきっと伏せおくべきだった、生活様式、生活状況の情報を、事例検討ではその患者と周りの家族を知る大切な情報として開示してしまいました。

今考えると、恐ろしい事を私はしました。患者や家族の秘密は守られていないのです。「個人情報の保護」という、医療者が勝手に設定した情報を伏せることで、自分でOKと思い込んでいたのです。Aさん、X年、B病院と書けばあとは何を書いても、何を話しても良い、そう思っていたのです。

今年も多くの事例検討が、神戸で赤裸々に開示されるでしょう。その全てに患者、家族は同意、いや納得ができるのでしょうか。

また、家族(遺族)は、亡くなった方のプライバシーをどう扱うのが現時点では良いあり方なのでしょうか。夫婦の間で話した事、私だけに伝えられた、亡くなった人のメッセージは、残された私の持ち物として、自由に開示して良いものなのでしょうか。

以前、新聞のインタビューを受けた時、自分の子供の疾患について開示するか伏せるかを記者と話し合いました。その時、中学生だった息子に「いいよ」と許諾を得ましたが、親は子供のプライバシーを軽視しているのではと記者の方に今一度助言され、自分の傲慢さを恥じました。

SNSに子供達の写真や、赤裸々な言葉を語る私達は、子供達のプライバシーの侵害にどの位、意識的なのでしょうか。

死の臨床研究会に限らず、ありとあらゆる緩和ケアに関する学会や研究会、勉強会では、守秘義務の範囲を超えた情報が日夜討論の場に晒されています。

緩和ケアは多職種連携が基盤、その事には私も全面的に同意します。しかし、その多職種は守秘義務について、きちんとした教育を受けていないのではないでしょうか。私達医師にはヒポクラテスの誓いというものがあります。それと同程度、もしくはそれ並みの教義に自分の欲望を制御できる、何か委ねている大きなものを持っているのでしょうか。私は甚だ疑問です。

職場で得た患者や家族のプライバシーに関わる事を、夫婦で話したり、酷い時には、職場の飲み会で酒の入った状態で声高に、医療者が話しているのを、見かけます。

先日も食事に行った時、カウンターの隣では(しかも両隣)、医療者らしき人達の、下衆な会話が聞こえてきました。最悪の時間になりました。

なぜなら酒場で交わされる話には、懸命に生きる人達への愛情よりも、差別的で、非難するような話がどうしても多くなるからです。

診療を受ける人達の守秘義務は、全く守られず、また軽視され、SNSの時代には、拡散されます。そして、その倫理観の欠如は医療者だけでなく、その傍に居て共に苦楽を共にする家族にもあるのではないか。

さらには、自分の「言葉で何かを誰かに伝えたい」、「書くことで誰かに認められたい」という、私自身の中にもまだまだありそうなモンスターを、手なずけることができていないのではと思うのです。

Romiさんの投稿は、彼女自身が感じた事を、自分の言葉で語られた、とてもプライベートな内容です。その内容に私は一切の疑問を感じておりません。
また、患者、家族、さらには患者会の方々におかれましては、死の臨床研究会を含む、あらゆる学会の参加を通じて、医療者の心の中に棲むモンスターの姿を見て見ぬ振りせず、問題意識を持って、時には、勇気をもって批判、非難する事を求めます。患者、家族、患者会の方々は学会に、「黙っている事」を条件に入場許可を得ている、手なずけられている参加者ではなく、これからは、良き監視者であって下さい。

 

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