« 「一旦医療者はアドバンスケアプラニングをストップせよ」 医療者は弱者の切り捨てを始めているのではないか | トップページ | コンフォートセットは誰のため? 不適切な薬物使用を止めるために »

2019年2月26日 (火)

But being (居続けること)なんてできない

ホスピス、緩和ケアにはよく知られた言葉がある。

Not doing, but being.

「行動するのではなく、存在すること」これでは意味がわからないので、超訳すると、このような意味だろう。「何もすることができなくとも側に寄り添え」「治療や処置といった何かをすることよりも、側にいてケアすること寄り添うことが大切ですよ」

しかし、以前からこのような言葉は至言であり、いわば人生をかけて到達しやっと心に形作れられる言葉であって、初学者や私のような修行者には遠い遠い言葉だ。

いくらbeingが大切でも、「じゃあ何をしていればよいの?」と人は行動とそして、行動の結果得られる成果を求めてしまう。僕の嫌いなPDCAサイクルなんて、緩和ケアやケアの現場にはとても不向きだ。

ただ現場に居ることのつらさ。そして、あてもない時間を過ごすつらさ。医療者は、現場の退屈と向き合ってなお、その中から価値を見出さなくてはならないのだ。

それでも現場で何らかの価値を共有した同僚、仲間は、いずれ去っていく。何度も何度もメンバーチェンジと再構成を繰り返しながらも、現場の何かを回し続けなくてはならない。

去っていく仲間、変わる自分の心境とどう向き合うかやっとヒントを得る本に出会いました。著者の葛藤はまさに自分の葛藤でした。僕も何度、現場に居るのがつらあと思ったことか。そして今も現場に留まるつらさを感じています。

人はdoingしなくては、自分を見失い、beingし続ける退屈なつらさを乗り越えるには、経験だけでなく、知恵が必要なのです。かつてホスピスで働き始めた頃の無力感を思い出し、どう乗り越えてきたかを思い出しました。居続けることのつらさ、そして捉え方に気づかされる素晴らしい本に出会いました。

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

|

« 「一旦医療者はアドバンスケアプラニングをストップせよ」 医療者は弱者の切り捨てを始めているのではないか | トップページ | コンフォートセットは誰のため? 不適切な薬物使用を止めるために »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: But being (居続けること)なんてできない:

« 「一旦医療者はアドバンスケアプラニングをストップせよ」 医療者は弱者の切り捨てを始めているのではないか | トップページ | コンフォートセットは誰のため? 不適切な薬物使用を止めるために »