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2018年5月 4日 (金)

医者の夫婦喧嘩

必ず夫婦の喧嘩になる話題がある。それは妻の知人からの健康相談だ。「親が○○という病気になった。どこの病院へ行ったら良いのか」「子供が病院から××という薬をもらってきたが、本当に飲ませて良いのか」と言った内容だ。既に医者に診察を受けた上で、さらに不安を感じ相談をうけることがほとんどだ。

自分は医者だけどその前に、プロなので無償の相談には一切応じない。人の能力を使うのに代価を差し出さないのはとても失礼と言うより、人間の営みとして、帳尻が合わないのだ。いつも僕は「診察していない方のコメントはできない」と妻に返答する。そうなると必ず喧嘩になる。

昨日も妻の友人の親の病気に関して相談を伝言された。しかし、答えようがないのだ。診察して欲しいという話なら、二つ返事で必ず診察し、適切な助言とこれからどうするかプロとして集中して考えるのだが、LINEや電話でちょっと意見を聞かせてはひどい。

それを妻に話しても「あんたは冷たい人やなあ」で嫌な後味を残す。人の命がかかったような相談を、簡単に答えられるわけがない。「ちょっと教えてあげてもいいやんか。そんなに自分の返答が相手に影響を及ぼさない」と妻は言うが、その程度なら聞く必要もない。

人間はうまく社会の仕組みを作り出してきたもので、そんな七面倒くさいと言わず、正規のルートで物事は進めないとろくな事がないのだ。そして、人の好意には必ず何らかの対価を作り差し出すこと。マナーではなく、人間同士のエネルギーのバランスの話しなのだ

占い師にお金を支払うのは、彼女の能力を個人的に利用した、アクセス料なのだ。いや待って欲しい、「占いは当たるからお金を払うのでは?」と思う方もいると思う。しかし、当たるなら支払うが、当たらないのなら支払わないという考えでは、到底この社会では生きていけない。なぜなら、物事の価値は全て「私が決め」、その代価の価値も「私が決める」という考えでは、結局の所、周囲の人からまさにその私が価値がないと判断されてしまうのだ。価値のある私の判断が何よりも上位にあるのだという考えであるのなら、周囲の人間の能力にアクセスする必要は最初からなかったからだ。
他人の能力の価値を軽く考え、そして無償でアクセスすると、相手には貸しを作りその貸しは結局自分で取り返さなくてはならなくなる。ひどいときには、貸しを返すことができず、その命を落とすこともあるのだ。古来そのような状況を、「呪われた」と言う。
繰り返すが、簡単な事でも相手の意見を求めるだけではなく、相手の能力にアクセスするのなら、その対価を用意しなくてはならないのだ。

ああ、それにしても自分で自分が面倒くさい。友達が少ない理由が自分でも分かる。

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