今どきの緩和ケア、在宅医療 中編 「最近の緩和ケアの流れ」
そして開業へ
こういう患者のつらい体験を知り、それなら、相手の家で自分が診察し、あらゆる診察を全て引き受けるのが、一番良いと思いました。そして、開業を決意しました。66平米ほどの小さいテナントを借り、主にがん患者たちのための外来診療と訪問診療(往診)を、始めました。往診車も緊急自動車に改造し公安委員会の認可を受けました。この緊急自動車、ホスピスカーについての詳しくは今年(2017年)金原出版から出版した本(『超・開業力』)に載っています。
この自動車(シルバーのトヨタアクア)で1人、荷物を持って回ります。

もちろん訪問看護師、リハビリ、薬剤師のスタッフも一緒に患者のケアにあたります。家に行く日時はみんなそれぞれの時間で行くので、週に1回は必ず集まり、顔を合わせて、患者や家族について話し合うようにしています。
さて、ホスピスで働いていたときも、在宅の患者もみんな同じことを言います。「苦しみたくない」と。以前のようにがん患者たちに嘘をつくことはなくなりました。ほとんどの患者は、認知症などでない限り、自分ががんだと知っています。今苦しんでいなくても、将来苦しむのではないかと恐れています。
緩和ケアの新しい流れ
自分は緩和ケアを実行することで、ある程度患者の苦しみを軽くすることが出来るようになってきました。しかし、まだ世の中には緩和ケアは知られているとは言えず、医師一人一人の緩和ケアの技術も不十分です。それでも緩和ケアに関しては、2007~2008年くらいから、厚生労働省も力を入れ、急速に教育と啓発の機会が増えました。また2日間の緩和ケア研修も全国の病院で行われるようになり、地域の医師同士の交流の機会が増えました。こうして、一般の医師も随分がんの痛みを止める医療用麻薬を使うようになりました。
私がホスピスで働き始めた2002年のころは、がんの痛みに麻薬を始めるためだけにホスピスに入院する人がいました。今はそんな患者はいません。外来できちんと麻薬が処方されるようになりました。
そして、今のホスピスには患者は亡くなる直前にしか来ません。日本のホスピスは病棟の一部みたいなものが多いですが、アメリカ、イギリスだと患者は家にいます。イタリアは日本に似ていて、入院するもよし、家にいるもよしと、国によっても違います。日本では最期まで家で過ごす患者は、10%未満ですが、アメリカやイタリアでは40%位です。どの国でも終末期のケアを受けるようになると、30~ 40日くらいで亡くなるのが普通です。私がホスピスをやめるころには、平均在院日数は30日を切りました。1週間以内に亡くなる人が17%、22床のベッドで年間200人以上が亡くなっていきます。

一人ひとりの人生に寄り添う、そういうことを大事にしたいと思っていました。一人ひとりの思いを聞きながら、その人に合った亡くなり方を探そうとホスピスで働き始めたのです。ところが、ホスピスで働いた10年間でわかってきたことは、あまりにも亡くなる人数が多いのと、みんな最初はホスピスの入院を望んでいないということでした。それでもホスピスに入院し自分が診療する以上、苦しまずに最期を迎えてもらおう、家族や本人との対話をしっかりしようとやっていましたが、これを長く続けていくのは本当にきついことで、特別な訓練も必要です。
ある研究によると、がんの人たちは、亡くなる1ヵ月前になると、外来に来られない体調になります。だから、本当に動けなくなってから、どこで最期を過ごすのかと準備を始めていては間に合わないのです。がんの人たちが本当に寝たきりになる時間、そして看病、介護が大変な時間は短いのです。自宅で療養するがん患者たちも、看病が大変なのは最期の1ヵ月。2週間が踏ん張りどころです。
同じ研究でさらに分かったことは、がんの症状による苦痛は亡くなる半年前から既にあり、そして亡くなる1ヶ月前になると苦痛が高まります。ですから、緩和ケアが、外来に来られなくなったような患者たちや、亡くなる前1ヶ月だけを対象にしていてはいけません。最期だけ緩和ケアをやるというのでは、全く患者の役に立たない。亡くなる直前だけではなく、外来に通院しているような早い時期から、緩和ケアを実践しないと患者のためにならないと世界中で分かってきたのです。
多くの患者たちに(がんの患者だけとは限らない)緩和ケアは必要です。しかし、緩和ケアは患者や家族に嫌われます。緩和ケアにはネガティブなイメージがあり、「死」を連想させてしまいます。また、患者も家族も緩和ケアはどんなものか、どんな治療、ケアを受けるのかよく知りません。ですから、患者が自分から緩和ケアの外来やホスピスに来ることはまずありません。この状況は日本だけでなく世界中同じ状況です。そして、この10年くらいは“早期からの緩和ケア”というキーワードで緩和ケアの新たな活動が始まりました。アメリカで行った“早期からの緩和ケア”の研究では、早期から緩和ケアの外来診察を外来で最低月1回以上すると、肺がんの患者のQOLが上がりました。また不安やうつ状態も改善しました。病気の恐怖に1人で悩むのではなく、ある程度医療者がちゃんと聞いて、将来や生活の不安を相談するところをつくるだけで、うつや不安が減っていきます。さらに、早期から緩和ケアを提供すると生存期間が大幅に延びることも分かりました。それまで、緩和ケアは「患者に寄り添い、苦痛を緩和することは議論の余地なく善行である」と言われていただけだったのですが、きちんと科学的にも裏付けされました。
この研究論文が2010年に発表されてから以降いろいろな国、病院で早期からの緩和ケアに関する追試験はありますが、おおむねいい結果が出ています。ずっと以前から患者、家族はがんの苦痛に耐えていまし、緩和ケアの必要性を感じていました。医療者、特に医師はやっとこれらの研究を通じて、緩和ケアの価値とパワーを信用するようになったのです。
緩和ケアの課題、医師と患者のコミュニケーション
「ちゃんと体に触れ、聴診器を当ててくれたことがとてもうれしいです」、こんなことを最近診察した肺癌の患者から言われました。その患者は、ある病院の呼吸器内科で肺癌の治療を受けていました。しかし、診察のたび、医師は目を合わそうともせず、コンピューターの画面をずっと見ながら診察していたそうです。聴診器を使い診察することもなかったと言いました。

家族は第2の患者
先ほど紹介した、 “早期からの緩和ケア”の研究はボストンの病院でした。彼らは、外来の診察室で、患者の問題と家族の問題をそれぞれに扱います。緩和ケアでは、家族は第2の患者なのです。例えば、患者の普段の食事をつくるのは家族です。食欲がなくなってきたら、家族は何をつくったらいいか困ります。がんで食欲が落ちた患者の治療は、難しく、何か薬を使ってもう一度食べられるようにすることはまずできません。治療の成果がないときに、医師はどうすればよいのでしょうか。緩和ケアでは、患者や家族の体験を大切にします。他の患者で、こういうものなら食べられた、食欲がないときはこう考えた、こうしのいだという話をたくさん覚えておき、目の前の患者に伝えます。そして、家族には、食べられないことを受け止めていく助言をします。例えば、「食べられないのはしょうがないから、食べろ食べろと言うのはやめにしましょう」と言います。「つくるときは、こうつくったらどうでしょう」「これくらいの体調だったら1日2食で十分ではないですか」と言うと、食べさせなくてはというプレッシャーから少し解放されたりします。
治療している医師の苦痛を軽減するのも緩和ケア
がんにはいろいろな苦しみがありますが、まず患者が苦しみます。当たり前です。これを見ている家族も相当な苦しみを持ちます。医療者もこれに引きずり込まれ、必ず苦しみのトライアングルの中に入ります。だから、先ほどのコンピューターしか見ない医師も実は苦痛の真っただ中にある。自分でなすすべがないのです。こういう治療の成果が出せないとき、自分一人の力ではもうどうにもならないときには、登場人物を増やすのが一番です。緩和ケアは、患者が苦しんでいるときだけでなく、家族や、医療者が苦しんでいるときにも大きな力を発揮します。

私が病院で働いていたときには、治療を担当する医師に「苦しい症状は全部私が診ておきますから、先生は治療のことだけ患者と話していてください」とよく言っていました。患者にも「あの先生には治療の相談だけして、あとのことは私に言ってください」と言うわけです。こうして医師自身の苦しさを軽減できます。だれかの苦痛が軽くなると必ず連鎖しますから、全体によい影響が出てきます。治療を担当する医師も緩和ケアの力を借りることで、再び患者と目を合わすことが出来るようになることを、私は望んでいるのです。緩和ケアは、たとえ患者の死が約束されている状態からでも、患者、家族、医療者の苦痛に対処することで、誰かに良い結果が出せる可能性があります。患者、家族、医療者の苦痛は連鎖しているのです。
これが今の緩和ケアの大切な役目だと思います。
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