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2017年9月16日 (土)

誰もが「多面」人格であるように

(この文章に書かれている人物にモデルはありますが、私の心の中に居る方です。)
今日の診察中にある方から問われました。「私は、もう色んな事を諦めて、死を受け容れなくてはならないのでしょうか。」私はしばらくどう答えたら良いか分からず、黙っていました。
その方は、まだ若い女性です。子宮にできた癌が肝臓に転移し抗がん剤の治療を受けていました。抗がん剤の治療を受けている病院から促され、私の医院に来るようになりました。治療を受けている病院とはいつも連絡を取り合いながら、それぞれの役割を果たすようにしていました。病院では、抗がん剤の治療と検査を、そして私は癌の症状と、毎日の食生活から、生活、仕事に関しての相談を大凡30分かけて話すようにしていました。
抗がん剤の治療を続けてきたものの、効果がなくなり、ついには病院の医師より、「もうこれ以上の治療方法はない、今後の過ごし方をよく考えて欲しい」と言われ、その方はとても落ち込んでいました。しかし、それも現実なので、どうにか受け止めて次にどのような行動を起こしたら良いのか、一人で悩んでいました。
「◌◌先生(病院の医師)は、もう残った時間は半年ないだろう、仕事や家庭のあらゆる事に関して、整理をした方が良いと仰いました」と、その方は話し始めました。そして、「私なりに職場を辞めること、家族と今後のことを話し合おうと思います。ただ、私自身はそんなに短い間しか生きられないとはとても思えないのです」と続きました。
余命が6ヶ月未満になると、末期癌の状態と言われます。保険会社から生前に保険金を受け取るとき、介護保険の認定を60歳未満で受けるときは、一つの目安として6ヶ月という期間を医師として予測する必要があります。しかし、医師が、目の前の患者の余命が6ヶ月未満であるという見立てをすることは、私は不可能だろうと思っています。多くの研究と、自分の経験からも余命が2ヶ月未満程度にならないと、精度の高い予測は出来ないと思います。それでも、社会から医師という仕事を信託されている以上、それ程根拠がなくとも、精度が低いといえども、余命6ヶ月と線を引かなくてはならない事は多々あります。医師というのは、明確な線がない連続した平面に、線を引かなくてはならないのです。生と死の線、全治にかかる期間の線、登校可能な線、そして、余命の線です。誰かが線を引かないと話が前に進みません。
その方も余命を6ヶ月未満と告げられつつも、ご自分には実感がありませんでした。このような方を診ると、以前は、残された余命の目安を知り、人生の時間を大切に、かつ計画的に使い切って欲しいと思っていたものです。死から今を逆算し、何を今すべきなのか考えて欲しいと思っていました。しかし、多くの方々の生死を見守り続け、この考えは間違っていたと今は思うのです。
私は、その方にしばらく沈黙してから答えました。「あなたは、◌◌先生の前では余命6ヶ月の患者として接して下さい。家族や、職場、そして私にはまた違う接し方をして下さい」と話しました。そして、「職場には、まだこれから何年先も生きる前提で、色んな仕事、プロジェクトをこなせば良いです。家族には、ある時には余命6ヶ月の、またある時にはずっと生きていくつもりで話せば良いです」、さらに言葉を続けました。「余命は思ったよりも当たりません。私は◌◌先生の前で見せるあなたの顔、人格だけで、あなたが生きていく事はしない方が良いと思います」と。
人は誰もが、相手との関係性によって、見せる顔、口調、言葉遣いまた性格すらも変わります。どの自分が本当の自分かではなく、どの自分も全て多面的な自分なのです。私も家族に見せる顔、職場での顔は違います。子供達一人一人に見せる顔も、一人一人違います。こちらではこう言っているのに、あちらでは全く別のことを言っていることだってあります。ある方と一緒に話すと、なんて自分はユーモアのある人間なんだろうと思い、また別の方と話すと、なんて自分はつまらない無口な人間なんだろうと思います。母親と妻に見せる顔、口調、言葉遣いは全く違います。そして違っていて良いのです。どれか一つの唯一の自分になってはいけません。
また誰しも、自分が関わる集団でも当然見せる顔は異なります。あるグループではとても自信に満ちて周りの人たちの中心にいることもあるでしょう、しかし別のグループに入ると借りてきた猫のように自信がなく、人から話しかけられるのが怖くなるほど緊張することもあるはずです。自分のもつ多面的な顔、つまり人格は、自分が気に入る、気に入らないはあるかもしれません。ただ多ければ多いほど、その人の毎日は豊かになるに違いないと私は思っています。
この方にとって、多面的な顔、人格を維持するには、全ての相手、全てのグループで「余命6ヶ月」でいる必要はないのです。一貫してしまう方が、人は生きていく希望を失います。一つの顔に押し込めていくことで、人の心は病みそして、壊れていきます。
丁度読み終えた「人は人を浴びて人になる」(夏苅郁子著)という本があります。この本で、著者は心の病にかかった精神科医で、母親が統合失調症であったことを告白しています。その中にこんな一説がありました。「講演する時の医師の立場が小さくなり、「患者4割、家族4割、医師2割」の心情で話すようになった。(中略)曖昧な自分に白黒つけたいと焦っていた私を救ってくれたのは、やはり人との出会いだった」。自分自身が、患者であり、家族であり、医師である。そのどの立場も全て自分だが、まるで自分の人格が分裂しているような違和感を感じ、白黒付けたいと潔癖に焦っているのです。私は、その分裂した状態を、多面人格と読み換え、そしてそれは本来の人の本質であると読みました。そして、人との出会いでさらに多面的な顔、多面人格(アモルファス(注)のような物を私はイメージしています)の面を増やしていくことで、救われていくのだと思いました。
余命を告げられたがん患者は、一見他人からは、不合理な言動があるかもしれません。それでも、その不合理な言動こそが、「多面的な顔」であり、生きる原動力なんだと私は深く確信しているのです。がん患者に限らず、人はつらい時こそ、自分の顔と人格を増やしていく事を続けて欲しいのです。自分自身の存在や心を白黒付けようとしたり、一貫性を持とうとしたりすることを止めて欲しいのです。そして、私はそのことをこの方に、この日伝えようとしたのです。
注)アモルファスとは、元素配列に規則性がなく全く無秩序な金属のことです。偶然にも紹介した「人は人を浴びて人になる」の著者が参加していた絵の同好会の名前がアモルファスの会だったとのことです。

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