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2017年8月 8日 (火)

夏の夜の夢と苦しみ。不眠の私が、不眠を考える。

今年も夏が暑い。暑さに弱い私は、昨年から不眠(夜中に何度も目が醒める)にもなり、さらに弱々しくなってしまった。夜中に目が醒めると、次に眠るきっかけを作るためなのかついついトイレに行き用をたす。なるほど私が診察して来た人達も、夜にトイレに何度も行くのはこう言う理由だったのかと、身をもって知るようになった。いや、私はただ夏の暑さに弱いだけで、決して前立腺が変化したわけではない、そう自分に言い聞かせながら、今夜も眠れぬ夜を過ごすのだ。

こんな私が、ある雑誌で不眠への対応について述べたのだが、専門的な雑誌でもあるため、ここに再録しておこうと思う。
不眠の治療を考える上で、まずは患者と医療者がどのような関係であるのかについて改めて考えてみたいと思う。

私は現在、在宅医療を中心に緩和ケアを提供している。そもそも在宅医療という言葉自体が医療者の目線である。患者の居場所が病院ではなく「在宅」であって、そもそも病院で行うはずの「医療」を在宅で提供するのだ、という意味を大いに含んでいる。

不眠の治療に限らず、この医療者目線が、全ての問題と誤解を生むのだと私は思う。
入院、つまり患者が病院の中にいれば、起こる問題のあらゆる事には医療者が何らかの責任の一端を自覚しなくてはならないと、思い込んでいるのだ。患者が病室で転倒し怪我をしたとき、医療者がわざと足を引っ掛けて転ばしたのではないにも関わらず、何かしら過剰な反応をしなくてはならない。家族に、「なぜ病院にいるのに怪我をするのだ」と言われると謝罪する以外にない。医療者自身が加害していないのに、病院内で起こることに責任を引き受けなくてはならないのだ。そして、この責任というのは負の責任であるから、医療者にとっては非常に窮屈だ。

患者が急変し亡くなったとする。家族から「どうして病院にいるのにこんなことになるのだ」と責められれば、医療者は何かしら責任を感じてしまう。しかし、本来患者の病状と変化は、医療者がコントロールできることばかりではないのだ。それなのに、患者、家族から「どうしてこんなことに」と言われてしまう関係性が、病院の中では自ずと出来上がってしまう。このねじれた関係にどうしても私は慣れることが出来なかった。そこで私は、患者が病院を離れて自分の責任の及ばない空間、つまり自宅にいる状態で、私には過剰な負担と思えた負の責任を引き受けない関係で仕事をすることにした。

医療者の目線から見た在宅医療とは、患者の目線から見れば自宅療養だ。この患者の自宅療養を支えること、療養するのに最適な環境を提案し、あらゆる生活面の事を一つ一つ指導することが、私の役割だと考える様になった。もちろん、患者は自宅で過ごしているため、私があれこれ指導したとしても、その通りにするかどうかは相手次第だ。また、患者一人一人の生活を理解した上で指導しないとどんな指導も意味がなくなってしまう。自分の持ちうる知識を駆使して、一人一人に一回限りしか通用しないような繊細さをもって生活の指導をする必要がある。指導というよりも助言に近いだろうか。「こうしなさい(指導)」ではなく、「こうしてみたらどうだろうか、こう考えてみたらどうだろうか(助言)」を積み重ねていくのだ。

高血圧や糖尿病のような生活習慣病のフィールドでは、生活指導と薬物療法が、同じくらい価値のある治療として存在する。食事、運動、そして生活スタイル全般をどのように変化させていくことが病気の改善に役立つかを根気強く何年もかけて指導していく。患者の生活習慣を変えていくということは相当なパワーと手練手管が必要な事で、うまく行くことばかりではない。何度も失敗を繰り返し、時には医療者と患者が衝突することだってある。それでも根気強く粘り強く何度も指導を繰り返し、患者自身が自分で日々の生活を変えていくことを援助することが治療なのである。生活指導に根気強く粘り強くなれない医療者は、簡単に薬物療法を始めてしまう。

高血圧でも糖尿病でも何らかの薬を使い数値的な目標を達成することで、治療の満足感を高めようとしてしまうのだ。糖尿病の患者であれば、それほど食習慣が変わらず、またどのように毎日の食事を見直すかを教えないまま、薬物療法のみでHbA1cを下げてしまう。短期的には治療の成功は得られるが、患者はその病気を抱えてこれからもずっと生活しなくてはならない。本当に十分な治療ではない事は明かだ。

一方、がん、緩和ケアのフィールドではどうだろうか。生活指導よりも薬物療法に重きをおくことで、短期的な目標を達成しようとする傾向はないだろうか。生活習慣病の患者に対する粘り強さを失ってはいないだろうか。確かに予後の限られた患者には、治療にスピードが求められることも多い。今痛みが強い患者にのんびり治療をしていては、患者のためにならない事は、多くの医療者が同意することであろう。しかし、拙速過ぎる薬物療法を繰り返し、予後も短いことから、短期間しか患者の治療に当たらないことで、大切なことを忘れているのではないか。私は自宅療養を続けるがん患者の緩和ケアに専念するようになり、そう思うようになった。

がん、緩和ケアが必要な患者への生活指導が、余りにも陳腐になっていることに自分自身の活動を見直すことで気が付いた。また患者の自宅療養を支える家族に対する助言も、画一的でつまらないものになっていると分かった。

主題に戻る。緩和ケアにおける不眠への対応は、余りにも陳腐で画一的でつまらないものになっていると私は見ている。まず、がん患者の日常生活において、睡眠がどのようなものであるのかを考えなくてはならない。患者にとって睡眠は、身体と精神を(内臓と脳を)休めることで、自己治癒力を高めるためのものなのだと改めて思う。

病気を抱えて生きる患者には、養生の修得が必要なのだ[1]。

養生の質を高めて行くには、睡眠をより良いものに高めていかなくてはならない。まず養生するとはどういうことかを患者と共有しなくては治療が始まらないのだ。
「あなたにとって睡眠は、自分の治す力を高めるための大切なものなのだ」、「眠ることは、養生の基本であり良いことだ」と語り始めることが必要だ。そして、「眠ることで、病気で壊された箇所を修復する時間を作らなくてはならない」、「眠ることで、体力を温存し明日生きるための力を蓄えなくてはならない」、「眠ることで免疫力は高まる」と、睡眠の機能について指導しなくてはならない[2,3]。

さらには、心の苦しみ、悩みと向き合う患者には、「どんなに悩んでいても、どんなに苦しんでいても、1日の半分せめて眠っている時間だけは現実から避難した方が良い」、「悩み、考えていると、頭の回転が止まらなくなる。また次の日も悩むかも知れない、でも一日に一度は止めた方が良い」と、気持ちが沈んだ患者に、睡眠の持つ治療効果と効能について助言しなくてはならない[2]。

長時間眠ることで、家族は死の恐怖を感じ取ることが多い。家族に対しても、睡眠がどれだけ患者の苦痛を緩和し、体力を温存し、自己治癒力を高めていくかという発想を伝えることで、確かに近く死が約束された患者の看病であっても、落ち着いた気持ちになのではないだろうか。

患者の養生をより良いものへ高めるには、睡眠の効能と、不眠の心身への悪影響を語り始めなくてはならない。薬物療法はその次だ。

がん患者への生活指導をもっと見直し、患者の養生と家族の安心に役に立つ言葉を届けなければ、これからもがん患者の緩和ケアはますます陳腐なものになると私は危惧している。

1) 神田橋 條治、精神科養生のコツ、岩崎学術出版社、東京、1999年
2) 河合 真,香坂 俊、極論で語る睡眠医学、丸善出版、東京、2016年
3) Besedovsky L, Dimitrov S, Born J, Lange T. Nocturnal sleep uniformly reduces numbers of different T-cell subsets in the blood of healthy men. Am J Physiol Regul Integr Comp Physiol. 2016 Oct 1;311(4):R637-R642.

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