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2017年6月

2017年6月27日 (火)

病室の問題集。勉強するのは何のため?

僕には、今でもずっと忘れられないエピソードがあります。
医者になってからも、何かの機会にふと思い出しては、「彼」の行動とその意味を考えてきました。まだ自分の心の中で、どこに整理ししまっておいたら良いのか分からないエピソードなのです。心のフックに、未整理のまま取り残され続けているのです。そろそろ、自分の中でどこかに整理したい、整理できるのではないかと思い、そのエピソードを書いてみようと思いました。
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彼は、僕の数少ない幼馴染みです。幼稚園のクラスが一緒で、活発な子でした。よくお互いの家を行き来して、遊びました。幼稚園を卒園し小学生になった僕らは、成長するにつれ、学校や環境の変化もあり、疎遠になりました。しかし、親同士は仲良くその後も親交があったのです。時々顔を合わせることもありましたが、年々あまり話すこともなくなり、やがては僕の記憶の中で「かつての幼馴染み」になっていきました。
高校の頃に再会したきっかけも、親同士の行き来があったため相手の家を訪れたからでした。以前から10代で癌になったことは聞かされていましたが、高校生の僕は、病人と向き合うことが初めてでした。片足を手術で失い、それでも以前の明るさと変わらない口調で僕に話しかける彼に、どう接したら良いのか、全く分からず、会話は続きませんでした。
僕が大学に向けての受験勉強をそろそろ始めようかという頃、彼が入院していることを親から知らされました。しかし、どうしても病室に見舞う気持ちになれませんでした。
そのまま彼と会うことなく、彼が癌のためこの世を去ったことを知らされました。 そして、最期の日々は、病室で数学の問題集を猛烈な勢いで勉強していたことを親を通じて知りました。
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僕は相当戸惑いました。本来勉強というのは、人間としての教養を身につけ、それまでに先人が考えてきたことを引き継ぎ、次世代に伝えるためにするものです。しかし、受験になれた僕にとって、勉強とは、何らかの自分の人生の目的を達成するためにすることだったのです。 勉強の結果得た自らの成績は、次のステージへのチケットを手に入れる通貨のようなものでした。
高校へ入るため、大学へ入るため、資格を取るため。ここはテストに出ない、この問題はこう解く、この話はテスト範囲ではない。最も少ない時間で効率よく勉強し、結果を得るために、ただひたすらゲームのルールを覚えるように勉強しそして夢中になりました。動機は、自分だけのためで閉じられたものでした。
つまり、勉強は自分だけの未来と将来のために為すことだと思っていたのです。
彼は、癌で間もなく自分が死ぬであろう事は予感していたはずと思います。その状況でなお、なぜ数学の問題集を開き勉強を始めたのだろうか。ずっとそのことを考え続けています。彼の行動、その時の彼の思い、そして彼の感じていた未来は何だったんだろうと思うと、ずっと自分の中で整理がつかずに今に至ります。
先日の緩和医療学会で、病児教育に関する話を聞きました。その時にまた彼のことを思い出しました。
「短い時間でこの世を去るのに、なぜ勉強をするのか」、「何の役に立たないかもしれないのに、なぜ勉強をするのか」などと、本当につまらないことを考えてしまうのです。 勉強を自分の将来の対価としか考えない自分が、本当に嫌になります。
僕は、健康で未来がずっと続いていると思っていましたし、それは今でも当たり前の事のように思います。自分の時間の有限性を自覚していない僕には、どこかに傲慢なところがあるのです。もしかしたら、彼は病床で無限の未来を感じていたのでしょうか。
僕が彼の最期の病室に行けなかったのは、彼と向き合うことが怖かったからです。変わり果てた彼にどんな言葉をかけたら良いのか、おおよそ見当もつかなかったからです。そして、やはり自分自身の生活に精一杯で、彼のことを自分とは関係ない遠い存在に感じようとしていたからかもしれません。取り返しのつかない時間であり、後悔が残っています。
あれから、かなりの時間が経った今も、こうしてずっと彼のこと、彼のしていた勉強について考え続けています。 彼の生きられなかった、46歳を僕は生きています。いつのまにか、自分の子供もその頃の彼と同じ年齢になりました。僕も高校生のときよりも少しは分別がつき、自分の技能を高めるため、自分の見聞を広めるため、そして物事の見方(perspective)を学ぶために勉強をするようになりました。自分の活動を通じて、誰かの役に立つように、そして自分の勉強が誰かの勉強につながる事をやっと知りました。
高校生だった僕と彼のあの時から止まった時間を、「勉強することの意味」をもう一度考える事で、わずかでももう一度動かせないかと、自分の中で問いかけ続けているのです。その時の彼の勉強する姿を想像するだけで、今の自分が知らなくてはならない、何か大切なことが分かりそうな確信があるのです。それでも、残念ながら、まだ彼を思い出し、最後の姿を想像することしか出来ません。そして既に逝った彼の存在は、あの時よりも大きくなっています。
彼は、何を思い、何を成そうとしていたのでしょうか。
彼の勉強もまた、誰かの勉強につながっているのでしょうか。

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個人の信念を越えて、 鎮静を巡る議論をするために

以前に書いた書評ですが、こちらにも再録します。今までも今も共にこの問題に一緒に取り組み、また私にとってとても大切な指導者です。

世の中に、根拠の乏しい経験のみで語られる鎮静の議論、書籍を憂いて書かれた本だと、著者をよく知る私は思っています。「オレはこう思う」の些末な議論を退ける、多面的な考察を展開しています。
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本書が出版されるとほぼ同時に、雑誌「文藝春秋」では安楽死は是か非かというタイトルで特集が組まれた。90歳となった脚本家の橋田壽賀子が、「私は安楽死で逝きたい」と真情を吐露し、せめて死ぬ選択は自分でしたいと考えを述べている。また同時に企画されたアンケートでは、日本の知識人の過半数は安楽死に賛成していた。その理由として、苦痛からの解放、当人の尊厳のためという意見があった。

医療を今まさに受けている市民にも、尊厳死、安楽死という言葉は浸透し、議論の萌芽は週刊誌でも日常的に見つけることができるようになった。そして、「眠ったまま最期を迎える鎮静」も市民が知るようになった。

本書は、苦痛緩和のための鎮静について、研究の歴史を辿りながら、現在の状況について述べられている。鎮静は、タイトルの通り、終末期の苦痛がなくならない時に最後の苦痛緩和の手段として行われている。国内では、がん患者の苦痛に対して行われており、日本緩和医療学会からガイドラインも発表されている。著者は多くの研究の知見を紹介すると共に、現時点で何が言えるのかについてぎりぎりの地点まで読者を連れて行こうと試みている。

冒頭で、「これは通常の治療なのか? 鎮静なのか? 安楽死なのか?」と事例を示して現場の「もやもや」について紹介している。一般市民、緩和医療を専門としない多くの医療者には、鎮静は、安楽死と何が異なるかよくわからない。安楽死も鎮静も苦痛からの解放を目的としている以上、どちらも同じようなものなのではないか、鎮静は安楽死の代替行為ではないのかと心のどこかで思っているのだ。

しかし、緩和医療の専門家は、安楽死と苦痛緩和のための鎮静は、全く異なると認識している。いや、全く異なると考えたいと思っている。国内で行われた大規模な研究でも、鎮静は生命予後を短縮していないことがわかった。しかし、鎮静薬の投与方法、量が適切で緩和医療の経験が十分な医師が実施すれば、という前提である。

冒頭の「もやもや」の正体とは、鎮静を巡る議論の言葉を持ち合わせていない医療者が抱える、無知の証ともいえるのだ。著者は、患者の予測される予後、苦痛の強さ、治療抵抗性の確実さ、患者・家族の希望や価値観の4つの言葉を補助線として、鎮静という複雑な問題を整理する現実的な提案をしている。まだ国内では、鎮静をするべきだ、しないべきだという医療者同士の根本的な対立が続いている。しかし医療者の信念の対立を乗り越えるための議論を著者は望んでいるのだ。

私の知る著者は「本当に患者さんのためになる研究をしなくてはならない」と、常に医師としての姿勢がぶれることがない。医療者が観念的な議論をしている間にも、現実に患者は苦しみ続けている。「もやもや」している時間はそれ程ないのだ。

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2017年6月19日 (月)

「がんと命の道しるべ」出版のお知らせ

本ブログ、ヨミドクター、青海社「緩和ケア」の原稿を集め、再編集、加筆した本が発刊されます。

日本評論社より、7月30日に発売予定です。一般の方に読んで頂けるよう、内容は専門的にならないように書き換えています。
最近SNSの書き込みも、ブログの更新も今ひとつでした。実はこの本にかかりっきりでした。何度もゲラを読み返し、文章のリズムを整えていました。単著は3冊ですが、相当内容の吟味をしました。待望の縦書きです。
日本評論社の編集者の木谷陽平さんは、こころの科学の連載や、ブログの内容を何度も読み、丁寧なコメントを下さいました。そして、出版したいという強い意欲を持って下さいました。
一般方向けの本です。値段もかなり勉強して頂くよう、出版社と交渉しました。
病気の苦しみをあらゆる方法で緩和する、「緩和ケア」が世に知られるようになってきました。
しかし、実際に医療を受けているがん患者の多くは「緩和ケア」という言葉を好んではいません。病気の苦しみを取り除く手助けをしてもらえるかもしれないと分かりつつも、緩和ケアという言葉は死を連想させます。知りたいけど知りたくない、関わりたいけど関わりたくない、そんな風に思うのも自然なことなのだと思います。
私は緩和ケア専門医として、患者の体験しているがんの苦しみをどうしたら軽減できるか。ずっと考えてきました。特に痛みは苦しく、生きていく力を奪ってしまいます。がんの痛みを薬で抑えていく治療はとても進歩しました。かつて、歌人の正岡子規は、「少し苦痛があるとどうか早く死にたいと思うけれど、その苦痛が少し減じると最早死にたくも何にもない。」と述べています。身体の苦しみが続けば、死にたいと思うのも普通のことです。私も患者から、「薬を注射して死なせてほしい」と本心で請われたことが何度もあります。
その度に、患者をはぐらかさず、逃げ出さず、まず痛みを緩和し、そして次々に起こる苦しみに一緒に向き合ってきました。しかし、身体の痛みがなくなっても、また新たな苦しみが生まれます。家族の将来に自分は何が出来るのだろうか。今、自分の関わっている仕事が続けられるだろうか。そして、なぜこんな病気になったのだろうか。また、患者は色んな種類の苦しみを同時に抱えていることも良く分かりました。
がんを抱えて生きるあなたへ
そして、がんの方を支えているあなたへ
数多くの患者・家族に 寄り添い続けてきた医師がみた真実と希望。
第1章 治療としての終末期鎮静― その現実
第2章 ホスピスとケア
第3章 在宅医療の現場から
第4章 緩和ケア医を生きる

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