「こんなに眠っていて大丈夫でしょうか」、がんと体力温存
魔法の言葉 肝臓は身体の電池です
(紹介した事例は架空です。実在しません)
言葉の意図
倦怠感は多くのがん患者が体験する症状である[1]。疲れやすく、長い移動ができなくなっていく。根気はなくなり、昼寝をすることも増える。また通院が困難となってくる。そして、さらにがんの進行の共に全身状態は悪化し、身体の動きが悪くなり、徐々にベッドに寝たきりとなっていく。予後8週間未満となると、1日の過ごし方は変化しはじめて、特に残った予後が4週(1ヶ月)を過ぎると休息に状態が変化する[2](図1)。経験的にも適切な予後予測が可能となるのは、やはり予後1-2ヶ月以内になってからで、その時期までは患者によって大きく異なる。予後予測の限界を感じることも度々だ。

図1 症状スコア(total symptom distress score: TSDS)と、Palliative Performance Scale (PPS) スコアの推移 [2] (著者が翻訳)
注)TSDSは症状スコアを加算したもの。値が大きいほど症状の苦痛が大きい。Edmonton Symptom Assessment System (ESAS) は、9つの症状を0(症状無し)-10(最も強い苦痛)で評価を加算したもの。PPSは0-100で値が大きいほど状態が良い。起居、活動と症状、日常生活動作、経口摂取、意識レベルで判定する。
衰弱しつつあるとき、患者も家族も何が起こっていることが分からないため、よく投与されている薬が自分自身の力を奪っているのではないかと考えることがある。特に不眠のために投与されている睡眠薬、痛みのために投与されているオピオイドが原因と考える患者、家族が多い。内臓疾患であるがんのために脚の力を失うこと、歩けなくなることというのは、想像しにくい状態なのかもしれない。がんが脚に拡がっていないのに、何故歩く力、立ち上がる力がなくなっているのか、患者自身も分からないのだ。
衰弱していくことをただ「がんが進行し弱ったからだ」とだけ患者に伝えると、「だからどうしたらよいのか」と尋ねられたとき答えに窮する。「では薬で治療しましょう」と答えるのも1つの答えだ。確かにステロイド薬が一時的に倦怠感や、衰弱を緩和するかもしれない[3]。しかしその効果も一時的でいずれまた同じように動けなくなる状態がくる。答えを先延ばししても、また同じ状況になれば、同じ問いを患者や家族は感じるのだ。緩和ケアの日常は、答えにくい問いに窮し、それでも何か生活や困難を良くするためのチャレンジの毎日だ。
衰弱したという事実と共に、だからこそどの様に生活を変えるのかという助言ができてこそプロフェッショナルの医療者だと思う。だからこそ言葉の力は大きい。ただ専門用語を使わず分かりやすい言葉で患者や家族に説明するだけでは足りないのだ。
言葉を使用するシチュエーション
肝臓がん、肝転移で肝不全となったときは特に体力の消耗が目立ち、時には傾眠となる。しかし、肝臓が悪くなくても全身状態が悪くなるのは、肝臓を含む全身の内臓機能が低下しているということである。そのような状態に患者が陥ったとき、患者や家族に今の状態を説明するために、「肝臓は身体の電池です」という言葉を使う。
現時点での病状の理解を促すと共に、苦痛緩和や生活の質に必須な薬のせいで身体の衰弱が起こっているという疑念を払拭し、身体の力を温存するために生活の工夫の糸口になるように説明するときに使う。
事例
80代の男性。3人の娘が毎日かわるがわるに介護している。直腸がんが肝臓に転移し、化学療法の効果がなくなってきた。肝臓への転移により、腫瘍熱が続きまた痛みが強くなってきた。痛みには、オキシコドン経口剤で十分鎮痛できた。以前から不眠があり夜は睡眠薬を服用していた。
毎週の診察の度に様子は変わり、布団で寝ている時間が長くなり、起き上がりが大変になってきたようだ。ある日の夜、トイレへ行く途中に、足がもつれて転んでしまった。本人は自分の家で転んだことにとてもショックを受けてしまった。「足が立たなくなってきた。これは普段飲んでいる睡眠薬で頭がぼーっとしたからだろうか」と嘆き、家族も「もしかして、痛み止めの麻薬で足がふらついているのではないか」と感じていることを看護師に話した。
治療薬と夜のふらつきは関連がないだろうと感じていたため、その夜診察の時に本人に何があったのか尋ねてみた。「最近は歩くときもあちこちをつかまりながらで、とうとう転んでしまった。本当にびっくりした。自分がこんなに弱っているなんて」と話し、「どうだろう、先生薬を止めたらまた動けるようになるのだろうか」と自分の考えを話した。
私は、本人と家族に「肝臓にある病気(=がん)が、段々と毎日の生活に影響しているのが足のふらつく原因だと思います。肝臓は人間が取り入れた栄養を変化させ(代謝)、必要なときに体中で使えるように貯めておく(貯蔵)する場所なのです。いうなれば、肝臓は身体の電池なのです。」さらに、「病気のために肝臓の使える場所が減ってきたため、力が出ないのです。つまり、電池が目減りしてすぐに切れてしまうのです。」と続けた。「電池が切れてしまえば、身体は動きにくくなります。だから、トイレへ行くときの力が出ないのです。」と話した。
さらに、「肝臓という電池を充電するためにも、夜は今まで通りきちんと薬を飲んで眠る必要があります。睡眠は充電するための唯一の方法です。また電池を節約するためにも、日中短い時間昼寝して下さい。電池が切れてしまう前に、こまめに充電するようにして下さい。」と生活の工夫を指導した。
まとめ
患者は自分の衰弱と直面したとき、すぐに納得できるわけではない。昨日食べたもの、その日一日の過ごし方のあれこれを衰弱と結びつける。治療薬がその原因として誤認されることも度々である。医療者は衰弱し患者を「患者が変化している」と見るが、衰弱を体験する患者や家族は「自分はかわっておらず、周囲が変化している」と見る傾向にあるのだ。まるで天動説と地動説だ。動いているのは治療(=天)ではなく患者自身(=地面)なのだ。
しかし、衰弱した事を伝え患者、家族を納得させようとすると、医療者は唯々悪い話で患者を呪う存在となりかねない。悪い話と共にいつも、だからこそどうしたら良いのかという道を示す言祝ぎこそ必要なのだ。
「身体の電池」の容量低下を身体の衰弱に、「電池の節約」を生活様式の改良に比喩することで、患者、家族へ新たな力を与えることはできないだろうか。
引用文献
1)Radbruch L, Strasser F, Elsner F, et al. Fatigue in palliative care patients -- an EAPC approach. PalliatMed. 2008;22(1):13-32.
2) Seow H, Barbera L, Sutradhar R, et al. Trajectory of performance status and symptom scores forpatients with cancer during the last six months of life. J Clin Oncol. 2011;29(9):1151-8.
3) Paulsen O, Klepstad P, Rosland JH,et al.Efficacy of methylprednisolone on pain, fatigue, and appetite loss in patientswith advanced cancer using opioids: a randomized, placebo-controlled,double-blind trial. J Clin Oncol. 2014;32(29):3221-8.
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