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2016年9月 5日 (月)

「普通の亡くなり方に近づけるためです」鎮静の説明について。

某雑誌に書いた原稿です。

最近出会った方が、今でも鎮静を受ける選択をしたことにあれでよかったのかとずっと考えているとお話になっていらっしゃいました。私自身がどのようにこの治療を考え、どのように説明しているのかお伝えしたいと思い、ここに書いておこうと思いました。
(紹介した事例はモデルはありますが実在する方ではありません)
言葉の意図
あらゆる苦痛緩和の方法をもってしても、苦痛が緩和されないがん患者は確かにいる。治療困難な苦痛に鎮静が許容されるには、その目的が苦痛緩和を目的としていること、他職種のチーム内であらゆるケア、治療がなされていることを確認し合うこと(相応性)、また鎮静の他に治療の方法がないこと、また患者、家族の意思の確認(自立性)が前提となる[1]。特に、患者、家族に鎮静の益(ベネフィット)と害(リスク)を医療者は説明した上で実行する。当然リスクはやや強調されて説明される。患者は意識がなくなれば、そのまま意識の回復がないまま死に至るであろう事、また鎮静を開始した直後に、呼吸、循環状態が急速に悪化し、死に至ることもある事が説明される。
鎮静の目的となる症状は、せん妄、呼吸困難の順に多く[2]、特にせん妄の患者は、対話が十分にできないことが多々あるので、鎮静といった生命を左右する重要な話し合いに加われないこともよくある。その場合には、家族が鎮静を決断しなくてはならない。
しかし、家族にとって患者の生命を左右するリスクを聞かされたとき、簡単に決断できなくなる。なぜなら、自分の大事な家族(患者)の生命、つまり死を家族自身で決断することと同義になるからだ。「鎮静を始めた結果、呼吸が止まることがあります」と医師に説明されたとき、家族は、鎮静の目的、ベネフィットより、その大きなリスクに心は固まってしまう。鎮静を始めることで、目の前で苦しむ自分の大事な家族は救われるかもしれない、しかし鎮静で死を近づけてしまう、早く死なせてしまう結果になるのなら、鎮静に同意できないと考えるのも当然だと思う。
もちろん、リスクを過小評価することはできない。呼吸抑制、循環抑制は20%の患者にみられ、また致死的な状態になった患者も3.9%いたと報告されている[3]。しかし一方で複数の研究で、鎮静を行った患者も行わなかった患者も死亡までの日数は変わらないと結論されている[1]。
家族が負担感を過剰に感じることなく、鎮静の目的、ベネフィット、リスクをどのような言葉で説明したらよいのであろうか。
ことばを使用するシチュエーション
せん妄のように、認知機能が低下し患者が自分自身で治療の選択ができない場合に家族に向けて鎮静について話すときにこの言葉は使う。鎮静の実施期間の平均は3-4日と考えられるので、十分に経験のある緩和ケア医が鎮静を始めると判断するときには、予後も3-4日以内である可能性が高い。そこで、亡くなるまでの自然な過程を話した上で、鎮静の目的を話す。また亡くなるまでの過程は2つの道があることを話し、その上で、患者が「困難な道」を辿ってしまっていることを家族と確認し合う(図1)。鎮静とは「困難な道」に入ってしまった患者を「通常の道」に戻すための治療と位置付けるのである。実際には、「普通の亡くなり方に近づけるためです」と説明している

図1
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事例
事例1
鎮静の決断ができなかった家族
70代の女性患者だった。自宅で療養し、嫁と娘が交互で看病に当たっていた。寝たきりとなってからは、トイレへの移動が大変となってきた。不眠も重なり、毎晩Ⅰ時間毎に目を覚ましてトイレへ行くと言い張る患者を、家族は必死になって介助していた。
来る日も来る日も、昼は穏やかに過ごし、むしろ眠ってばかりおり食事も食べることが少なくなってきたのに、夜になるとどういうわけかトイレへ何度も行こうとするのだ。動かない足を必死になって一歩一歩、家族の介助でトイレへ行く。そして用を足す。納得してベッドに戻りしばらく時間が経つとまた、トイレへ行くと家族を起こす。この繰り返しだ。診察では明らかにせん妄で、抗精神病薬を投与したが、服用後も数時間しか効果がなく、落ち着かない夜が続いた。また薬を増量しようにも段々と薬が飲めなくなってきた。
嫁、娘共に表情には疲労の色が隠せなくなった。
嫁は「確かに本人は、起き上がる度に体が痛いと言っています。苦しんでいるのかもしれません。」と話し、娘は「そうですね、あんな風に何度もトイレへ行く姿を見ていると、切なくなります。それに私たちも夜眠れず、本人だけでなく私たちも苦しんでいます」と話した。そこで、「鎮静薬を使って穏やかに過ごせる反面、体の状態も悪い今の状態では、鎮静薬を使って間もなく亡くなることもあり得ます」とリスクを説明したところ、家族は口を揃えて「薬でかえって早く死なせてしまうのであれば、薬を使わずにがんばります」と答えた。
一旦は鎮静の開始を保留した。日を追う毎にトイレへ行こうとしても、足が立たなくなっていた。家族は「やはり、薬で眠らせれば本人も楽になるかもしれないと分かってはいるのですが、その結果亡くなるのを早めてしまってはとずっと悩んでいます」と、気持ちの葛藤を話した。そこで、「お母さんは、既に亡くなる最後の道程を進んでいらっしゃいます。これはどうしても変えられないことです。人の亡くなり方にも2つあって、『苦しみなく段々眠っていく普通の亡くなり方』と、『苦しみながら亡くなっていく困難な亡くなり方』があります。お母さんは、困難な亡くなり方、困難な道を進んでいらっしゃいます。鎮静という治療は、普通の亡くなり方に近づけるための治療の1つです。2-3割の方は、困難な道を進んでしまうので、鎮静が必要なのです」と説明した。
家族は、鎮静を決断し、治療が開始された。
事例2
鎮静を開始後もうまく眠れなかった患者
60代の女性患者で、家で療養していた。娘が同居し昼間は仕事に出ているため、家では1人になる事もあった。息子は一人暮らしで別の町に住んでいた。病気の全てを知り、全ての治療を自分で決める方だった。「私は動けなくなっても家にいたい。その時には子供達と家で一緒に暮らそうと思う」と話していた。
ついに、ベッドで寝たきりの状態となった。がんによる腹痛には、医療用麻薬を使いほぼ緩和されていたが、1日に何度か痛くなることもあった。寝たきりになり、食事も段々できなくなった頃本人から、「もう私は眠りたい。この状態で長くなってもみんなが困る。先生、もう私のことを薬で眠らせてほしい」と話した。息子も娘も困惑してしまい、「まだきちんと話せるのに、何故眠りたいと言うのか」と本人と家族の気持ちは全く異なっていた。医師、看護師は、「確かに精神的な苦痛はあるが、強い身体の苦痛もないのに、このまま鎮静を開始するのはやはりおかしいだろう」と話し合った。
そこで、本人に「強い苦痛がないのに、薬で眠らせることに、我々(医療者)も家族も戸惑っています。」と伝えると、「もうそれ程長く生きられないのに、このまま自由に動けない状態で、起きているのがつらいのよ。みんな、私の本当の苦しみを分かっていない、早く眠らせてほしい」と繰り返し話続けた。確かに食事の量、一日の過ごし方、体の動きを見ていると予後は1週間程度と考えた。うとうとと過ごせる時間はあるが、熟睡はできていない状態だった。
家族に、「やはり本人の眠らせてほしいという決心は固いようです。余命が1週間あるかどうかという状況だと思います。この時期の方は眠って過ごす時間が長いのですが、お母さんはその時間も短いため、かえって気持ちが苦しくなっているようです」と話した。「完全に眠らせてしまうのではなく、今よりも少しだけ眠気があるように鎮静薬を使うのはどうでしょうか」と提案した。家族も、そういう方法で鎮静を開始しようと話し合った。
少量の鎮静薬を使い始めた。使ってから2日間、あまり状況は変わらず、本人からは「もっと眠らせてほしい」と言われた。徐々に鎮静薬を増やしたが、会話ができるように調整した。本人は完全に眠ることはないが、気持ちの苦しさは以前よりも軽減しているとのことだった。本人に、「薬で完全に眠らせてしまうやり方もありますが、やはりこの治療は普通の亡くなり方に近づけるための治療です。無理なやり方をすれば、残される家族はつらい気持ちを残すかもしれません。今くらいのやり方でどうかしばらく過ごしませんか」と話すと、本人も少しは納得できたようだった。
まとめ
現在、医療現場では実行する治療のベネフィットとリスク両者を説明する必要がある。しかし現場では、鎮静のベネフィットとして苦痛緩和が説明されても、その後に、生命短縮のリスクの可能性も同時に説明される。治療の鎮静の開始にあたっては、特に病院ではリスクを強調せざるを得ない。その瞬間、鎮静を決断することに特に家族は大きな責任をおってしまう。実際に鎮静を開始し、平均的な日数で患者が亡くなったとしても、残された家族にとっては、「あの時鎮静を決断しなければ、まだ生きていたのではないか、かえって死期を早めたのではないか」という悩みは答えが出ることなく残り続ける事もある。
まず、鎮静という治療は治療困難な、耐えがたい苦痛の緩和が目的である。しかし、この医療的な目的だけでなく、その患者が亡くなる道程の中で鎮静を考えたとき、普通の亡くなり方に近づけるための治療と位置付けるこの言葉がもしかしたら、生死の境にある患者にと手の治療の本来の目的、また決断する家族、残される家族にとっては心的負担を軽減するかもしれない。
引用文献
1) 日本緩和医療学会. 苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン2010年版. 金原出版、東京、2010.
2) Maltoni M, Scarpi E, Rosati M, at al. Palliative sedation in end-of-life care and survival: a systematic review. J Clin Oncol 30; 2012: 1378-83.
3) Morita T, Chinone Y, Ikenaga M, et al. Efficacy and safety of palliative sedation therapy: a multicenter, prospective, observational study conducted on specialized palliative care units in Japan. J Pain Symptom Manage 30; 2005: 320-8.
4) EPEC™-Oncology Module 6: Last Hours of Living available at http://www.cancer.gov/resources-for/hp/education/epeco/self-study/module-6/module-6.pdf (2016年9月5日アクセス)

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