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2016年3月 1日 (火)

人間関係を維持するような 医療者の教育の可能性について

某医学雑誌からインタビューを受けました。その一部を改変しこちらにもアップします。私の指導医に心からの感謝を込めて。今でも指導医と過ごした一コマ一コマを記憶しています。

  ――専門医志向が強まりスキルやテクニックも求められる一方、より人間らしい医療を、というヒューマニズム的回帰も最近の医療では感じます。そういった教育は可能なのでしょうか。
新城  できると思います。  
自分の経験を話させて下さい。僕は名古屋市立大学が出身です。1996年の卒業です。この頃はすぐに医局に入局し、大学が卒後研修の実践の場でした。厳しく臨床を教える大学で、特に私の所属した医局はスペシャリティを持つのは構わないが、その前に医師として身につけることがあるという教育をするところでした。研修医の教育も厳しい徒弟制が残っていました。

 例えば胃透視のバリウムも、次の日の検査の人数に合わせてジューサーで練って作っていました(笑)。注腸X線検査でも医師がプロテクターを着て透視室に入って、患者さんの体を触りながら撮影です。当時は綺麗な写真(診断学的に優れた写真)を撮るために、しつこくバリウムの濃度を変えて、その度に患者さんに「もうちょっといい写真を撮らせてください」「手術のときに切るラインをもっと明確にできるようにいい写真を撮りますから」と頼み込む時もありました。

 外来診察でも身体診察、聴診は必須で、血圧は手測りでした。私の指導医は、大学病院から市中病院に転院させた患者を必ず診に行く人でした。「お前も来い」って一緒に連れて行かれました。「転院した患者がどうなるか、ちゃんと見ておけ」と言われて連れて行かれて、「こういう雰囲気の病棟で、こんな病室だぞ」、「大学病院に入院していたときの状態と何が違うか分かるか」、「家族は(転院してから)何を思っているか知っておくんだ」と指導されました。当時は、大学病院以外の病院がどういうところか、周囲の医療機関の様子はどうかを視察しに行く気分でした。
そういえば退院して家に帰った状態の悪い患者さんの「家まで診に行くぞ」と言われたときもありました。仕事外の往診です。「おまえ、往診をやったことあるか」「行くぞ」って。この時指導医から医師と患者の治療関係だけではなく、人間関係を構築する方法を教わりました。自分が主治医でなくても、患者と関係を維持することもできるということです。

今、私は自分が診療していた患者さんが、どこかの病院に入院することになったら、いつも病室に会いに行きます。そして、例え退院することはないと分かっていても、話し、握手をして帰ります。だから、いまの自分を振り返ると、より人間らしい医療は教育できるいうことです。   大学病院で手術となって外科に転科した患者さんも、自分が診ていた以上、退院するまで必ず診察するように教育されていました。そして、カンファレンスで、外科病棟での様子を報告することになっていました。
また、実際に手術中も立ち会って、切除した胃や腸を切り開いて、外科の執刀医に「ここが病変です」と言って見せるのは、内科の医師の仕事でした。指導医になっても、自分が診断した標本の撮影、固定、病理切片の切り出しも自分たちでやりました。大学病院では、病理医から標本の作り方を習い、プレパラートを実際に見せてもらっていました。

一人一人の患者さんを人間として大切にするだけではなく、自分の診断を振り返り、一人一人の病気を隅々まで丁寧に診ることを指導されました。こういう教育、指導を受けたことで、今の自分の臨床医としての基礎ができました。このように私が受けた教育は、どこでもできると思います。

―― ちょっとアナクロな感じもしますが。

新城  カンファレンスで電子カルテとデータを眺めて患者さんと病気を知った気になっていてはいけないんです。やはり、実際に触れることが大事だと思います。患者さんに触れるだけではなく、可能なら病気にも触れることが大事な教育だと思います。ただ、切除標本のように、病気を手に触れることができないのなら、患者さんの体験を実際に見に行けば良いのです。

例えば、自分の患者が腎瘻手術を受けるなら、処置の時に透視室に入って、「痛いけど頑張ろうな」と患者さん話しかけて、専門医の処置を「ああやってやるのか」「あれぐらいの太さのこれをここに入れて、このくらいの時間でやるものなのか」と見て学ぶ。リハビリの開始時には、セラピストのしていることを見に行く、患者さんが同性なら、看護師が介助してベッドバスに入浴するところを見に行く、CTを受けに行くとき、自分も撮影に立ち会ってみる、自分の行動範囲をちょっと拡げてみるんです。ほんの少しの時間です。病院の中だったら、行く階や部屋を変えるだけで済みます。
そういうときに見た体験は、記憶の中に留まり、色んな現場で活かせるのです。   こういう患者さんの体験を目撃する体験を若い医師に教育する必要があります。患者さん自身に関心が持てるだけではなく、病院の仕組み、他部署の人達、病院内で人脈を形成するトレーニングを教育するのです。

指導医も研修医に「今日、リハビリ何やってた?」と見に行かせて、報告させるだけでなく、指導医が一緒に「行こう」と誘うのです。それが教育だと思います。 開業前に勤務していた病院では研修医が、緩和ケア病棟に1ヶ月来ていました。時に、別の病院からレクチャーを頼まれた時、「ほかの病院がどんなふうかわかるから」と言って研修医をよく連れて行きました。講演の内容だけではなく、病院をぐるぐる回って、どんな病室なのか、ベッドの間隔、生活空間としてどうかを研修医と一緒に見て回っていました。
そして、講演に来ている他病院の医療者の顔を見て、どんな質問をするのかを一緒に体験していました。こういう体験が、研修医にとって何につながっていくか分かりませんが、自分の働いているフィールドだけでは学べないことを学ぶ機会だと思います。医学教育の理論やメソッドも大事ですが、それ以前に医師としての素養、礼節は現場で教育できると思います。

―― 効率を求めると忘れられがちな教育ですね。
新城  意外と研修医も興味をひかれるようです。「リハビリってこんなことしてるんですね」とか「他の病棟はまた雰囲気が違いますね」とか。指導医も、何かを教え込もうと研修医に接するのではなく、知的好奇心だけではなく、人に対する好奇心を刺激する方法を自然に伝えられたらと思います。私自身の好奇心を、研修医と共有するのです。

病院内のあちこちの部署を一緒に周り、それぞれの現場での様子が分かると、カンファレンスやキャンサーボードでも、そこで提示されている1個1個の情報の背後にどれほどの労力がかけられているかを想像することが出来るようになります。血液検査はどういう仕組みなのか、CTのデータはどうできあがるのか、放射線科医はどう読影するのか、手術室で、外科医は何を語っているのか。そういう積み重ねがあると、他部署に対する尊敬が生まれます。

また、患者さんに関わる医療者の顔が見えるようになります。そうすると、患者さんが退院するときに、患者さんだけではなく、家族や他の医療者、そして自分自身の思いも見えてくるはずです。すると、自然に心から「頑張ったなぁ!」って、患者さんに言えるようになります。だから、そういう自分が足を運び患者さんの体験を共有すること、他部署の医療者と顔を合わせることで、よりよい医学教育はできると思っています。

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