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2016年3月

2016年3月26日 (土)

医療者が見限られるとき (映画 CHRONIC (邦題 「或る終焉」)より)

最近、映画のパンフレットの寄稿文を頼まれました。その寄稿文をブログにアップしてはならぬと言われてしまったので、ここに別の話をまとめておきました。公開前の映画ですが、寄稿文を書くために配給会社よりDVDを借り受け、2回観てから文を書きました。

オリジナルの寄稿文は、パンフレットで読むことが出来ます。
Photo
©Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015 ©Crédit photo ©Gregory Smit
病院で勤務医をしているときは気が付かなかったことですが、主に在宅で診療するようになって、数々の初めての経験をしてきました。その中の1つが、患者から見限られる経験です。例えばこんな経験でした。(非常勤勤務先での出来事でした。患者、家族の情報は分からないように僕が変えています。実際の人達の情報とは全く異なります)
もう1年以上も月2回の往診を続けてきた方でした。認知症のため怒りっぽく、やや歩行が不安定な奥様を、同居しているご主人が愚痴を言いながらもどうにか介護を続けていました。毎回の往診では、本人の様子を診察し、認知症による症状、特に怒りっぽい性格変化と、日中の落ち着きのなさを薬でコントロールするように処方をしていました。薬の治療で落ちつく時もあるのですが、長続きせず、季節が変わる頃にはまた様子が変わっていきました。
本人の診察が終わると、いつもご主人の話を聞きます。いかに介護に苦労しているのか、どんな風に工夫しているのかをよくよく聞くのです。本人の診察が10分なら、ご主人との話し合いは20分くらい、一度の往診で合計30分程度の時間をかけていました。
奥様も、時を重ねるにつれて往診にも慣れ、僕や同行の看護師のことも、名前は覚えられないようでしたが、顔はきちんと覚えている様子でした。ご主人とも、変わる季節とともに打ち解け、信頼関係が豊かになっていくことを実感していました。会話の中でも、お子さんの話、昔の話、以前の仕事の話も出てくるようになり、僕も自分の家族や個人的な話を雑談し、すっかり心を許していました。
奥様の様子は一進一退で、衝動的な行動や怒りっぽさをどうにか抑えるように工夫はするのですが、なかなかうまく行かないのが現実でした。ご主人は、毎日の生活リズムを工夫し、接し方を変え、デイサービスを活用しながら、なんとかうまく過ごしていました。
診察を始めて3年近く経ったある日のことです。クリニックにご主人から電話があり、もう明日の診察から来なくてよいと。なぜ診察を打ち切るのか理由を聞いても、もうとにかく来なくてよいとそれだけで、取り付く島もありません。それなら今後どうするのか尋ねても、答えてはくれません。そして一方的に診察は終わってしまいました。
確かに治療は100点とはいかないまでも、できる限りの治療をし、薬の調節をご主人と考え、うまくやっていると思っていました。決して何か行き違いがあったわけでも、トラブルがあったわけでもありません。最初の数回の診察で「やはり在宅療養は止めておきます」と、信頼関係ができる前に断られたわけではないのです。長い期間診察を続けてきたのに、予告なく治療関係が終わってしまったことに、僕は相当なショックを受けました。でも、理由を詮索することはしませんでした。
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実は今までも同じような経験をしたことがあるので、患者には誠実に向き合い自分のできるすべての医療技術を提供する事は大切ですが、自分の心のすべてを許し、オープンにしてしまわないようになってきてはいたのです。自分が医師として、患者を見捨てることなく誠実に向き合っていても、患者や家族はそれほど自分の気持ちを受け取っていないことも度々です。冷静に考えれば当たり前で、いくら相手の家庭に入り、心の内面を聞いていたとしても、それは仕事上の付き合いでしかないのです。
僕は、緩和ケアの素養を身につけ、患者の治療だけではなく、家族のケアも意識して実践してきました。医師・患者関係も、仕事上の関係だけではなく、人と人との、心を開いた付き合いをしようと心掛けてきました。しかし、そういうやり方をしていては、例えばこのご夫婦のように、ある日急に拒絶されたときに相当心が乱れてしまいます。
丁度手に取った本に「そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだ」(君主論 中公文庫 マキアヴェリ池田 廉 訳)という一節を引用し、「患者と、その家族は、恩知らずで、気紛れで、偽善者で、尊大で、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、けちで助平で馬鹿である」 (医師と患者のコミュニケーション論 里見清一)と読みかえた医師の話がありました。確かに人間の本質とはそういうものなのだろうと思うようになりました。病院という、清潔で人工的で無機質な場所では、こういう人間の本質もある程度マスクされている気がします。在宅医療という場面では、相手の家庭に入り込み、日常生活の中に侵入し、その場所で向き合うことになるので、自ずと、気紛れで自分勝手な患者、家族の感情に巻き込まれることもよくあることなのです。
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今まで、医師、患者関係といえば、「気紛れで、偽善者で、尊大で、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、けちで助平で馬鹿」な医師を患者、家族が嘆くという図式が繰り返し描写されてきたのですが、このCHRONIC (邦題 「或る終焉」)では、男性の訪問看護師が、ある患者というより、僕の経験と同じく、家族から急に拒絶される描写がありました。映画の主人公は、ケアと身体接触を通じて患者との信頼関係を構築しつつも、家族以上に信頼を得てしまった結果、ある日家族から拒絶されます。そして、患者と二度と会うことはできませんでした。
僕は唸ってしまいました。僕は、これが医師の目指す道と信じていたホスピスで、患者、家族との向き合い方を学んできました。在宅医療に身を投じ、ホスピスと同じやり方では失敗し、心を痛めながらも、また再構築し新たに身につけてきた、患者、家族との向き合い方の示唆が、この映画ではまさに描写されていたのです。この描写の意味をどの位の人達が僕と同じように実感できるか分かりません。僕はこの映画から、医師、患者は積み重ねる時間、そしてそこから生まれ育つ信頼関係があっても、ある一定の心の距離は常に保たなくてはならないという戒めを受け取りました。
機会があれば皆さんもご覧になって下さい。
(実際のパンフレットには別の文章を寄稿しました。そちらもご一読頂ければ幸いです。実はそちらの文章の方が気に入っているのですが、ブログに転載するなとのこと残念です)

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2016年3月 1日 (火)

人間関係を維持するような 医療者の教育の可能性について

某医学雑誌からインタビューを受けました。その一部を改変しこちらにもアップします。私の指導医に心からの感謝を込めて。今でも指導医と過ごした一コマ一コマを記憶しています。

  ――専門医志向が強まりスキルやテクニックも求められる一方、より人間らしい医療を、というヒューマニズム的回帰も最近の医療では感じます。そういった教育は可能なのでしょうか。
新城  できると思います。  
自分の経験を話させて下さい。僕は名古屋市立大学が出身です。1996年の卒業です。この頃はすぐに医局に入局し、大学が卒後研修の実践の場でした。厳しく臨床を教える大学で、特に私の所属した医局はスペシャリティを持つのは構わないが、その前に医師として身につけることがあるという教育をするところでした。研修医の教育も厳しい徒弟制が残っていました。

 例えば胃透視のバリウムも、次の日の検査の人数に合わせてジューサーで練って作っていました(笑)。注腸X線検査でも医師がプロテクターを着て透視室に入って、患者さんの体を触りながら撮影です。当時は綺麗な写真(診断学的に優れた写真)を撮るために、しつこくバリウムの濃度を変えて、その度に患者さんに「もうちょっといい写真を撮らせてください」「手術のときに切るラインをもっと明確にできるようにいい写真を撮りますから」と頼み込む時もありました。

 外来診察でも身体診察、聴診は必須で、血圧は手測りでした。私の指導医は、大学病院から市中病院に転院させた患者を必ず診に行く人でした。「お前も来い」って一緒に連れて行かれました。「転院した患者がどうなるか、ちゃんと見ておけ」と言われて連れて行かれて、「こういう雰囲気の病棟で、こんな病室だぞ」、「大学病院に入院していたときの状態と何が違うか分かるか」、「家族は(転院してから)何を思っているか知っておくんだ」と指導されました。当時は、大学病院以外の病院がどういうところか、周囲の医療機関の様子はどうかを視察しに行く気分でした。
そういえば退院して家に帰った状態の悪い患者さんの「家まで診に行くぞ」と言われたときもありました。仕事外の往診です。「おまえ、往診をやったことあるか」「行くぞ」って。この時指導医から医師と患者の治療関係だけではなく、人間関係を構築する方法を教わりました。自分が主治医でなくても、患者と関係を維持することもできるということです。

今、私は自分が診療していた患者さんが、どこかの病院に入院することになったら、いつも病室に会いに行きます。そして、例え退院することはないと分かっていても、話し、握手をして帰ります。だから、いまの自分を振り返ると、より人間らしい医療は教育できるいうことです。   大学病院で手術となって外科に転科した患者さんも、自分が診ていた以上、退院するまで必ず診察するように教育されていました。そして、カンファレンスで、外科病棟での様子を報告することになっていました。
また、実際に手術中も立ち会って、切除した胃や腸を切り開いて、外科の執刀医に「ここが病変です」と言って見せるのは、内科の医師の仕事でした。指導医になっても、自分が診断した標本の撮影、固定、病理切片の切り出しも自分たちでやりました。大学病院では、病理医から標本の作り方を習い、プレパラートを実際に見せてもらっていました。

一人一人の患者さんを人間として大切にするだけではなく、自分の診断を振り返り、一人一人の病気を隅々まで丁寧に診ることを指導されました。こういう教育、指導を受けたことで、今の自分の臨床医としての基礎ができました。このように私が受けた教育は、どこでもできると思います。

―― ちょっとアナクロな感じもしますが。

新城  カンファレンスで電子カルテとデータを眺めて患者さんと病気を知った気になっていてはいけないんです。やはり、実際に触れることが大事だと思います。患者さんに触れるだけではなく、可能なら病気にも触れることが大事な教育だと思います。ただ、切除標本のように、病気を手に触れることができないのなら、患者さんの体験を実際に見に行けば良いのです。

例えば、自分の患者が腎瘻手術を受けるなら、処置の時に透視室に入って、「痛いけど頑張ろうな」と患者さん話しかけて、専門医の処置を「ああやってやるのか」「あれぐらいの太さのこれをここに入れて、このくらいの時間でやるものなのか」と見て学ぶ。リハビリの開始時には、セラピストのしていることを見に行く、患者さんが同性なら、看護師が介助してベッドバスに入浴するところを見に行く、CTを受けに行くとき、自分も撮影に立ち会ってみる、自分の行動範囲をちょっと拡げてみるんです。ほんの少しの時間です。病院の中だったら、行く階や部屋を変えるだけで済みます。
そういうときに見た体験は、記憶の中に留まり、色んな現場で活かせるのです。   こういう患者さんの体験を目撃する体験を若い医師に教育する必要があります。患者さん自身に関心が持てるだけではなく、病院の仕組み、他部署の人達、病院内で人脈を形成するトレーニングを教育するのです。

指導医も研修医に「今日、リハビリ何やってた?」と見に行かせて、報告させるだけでなく、指導医が一緒に「行こう」と誘うのです。それが教育だと思います。 開業前に勤務していた病院では研修医が、緩和ケア病棟に1ヶ月来ていました。時に、別の病院からレクチャーを頼まれた時、「ほかの病院がどんなふうかわかるから」と言って研修医をよく連れて行きました。講演の内容だけではなく、病院をぐるぐる回って、どんな病室なのか、ベッドの間隔、生活空間としてどうかを研修医と一緒に見て回っていました。
そして、講演に来ている他病院の医療者の顔を見て、どんな質問をするのかを一緒に体験していました。こういう体験が、研修医にとって何につながっていくか分かりませんが、自分の働いているフィールドだけでは学べないことを学ぶ機会だと思います。医学教育の理論やメソッドも大事ですが、それ以前に医師としての素養、礼節は現場で教育できると思います。

―― 効率を求めると忘れられがちな教育ですね。
新城  意外と研修医も興味をひかれるようです。「リハビリってこんなことしてるんですね」とか「他の病棟はまた雰囲気が違いますね」とか。指導医も、何かを教え込もうと研修医に接するのではなく、知的好奇心だけではなく、人に対する好奇心を刺激する方法を自然に伝えられたらと思います。私自身の好奇心を、研修医と共有するのです。

病院内のあちこちの部署を一緒に周り、それぞれの現場での様子が分かると、カンファレンスやキャンサーボードでも、そこで提示されている1個1個の情報の背後にどれほどの労力がかけられているかを想像することが出来るようになります。血液検査はどういう仕組みなのか、CTのデータはどうできあがるのか、放射線科医はどう読影するのか、手術室で、外科医は何を語っているのか。そういう積み重ねがあると、他部署に対する尊敬が生まれます。

また、患者さんに関わる医療者の顔が見えるようになります。そうすると、患者さんが退院するときに、患者さんだけではなく、家族や他の医療者、そして自分自身の思いも見えてくるはずです。すると、自然に心から「頑張ったなぁ!」って、患者さんに言えるようになります。だから、そういう自分が足を運び患者さんの体験を共有すること、他部署の医療者と顔を合わせることで、よりよい医学教育はできると思っています。

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