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2016年2月17日 (水)

良い文章を書くこと、良いプレゼンテーションをすることについて僕が思うこと

2399659036_1de99e6cc8_b初めての連載

皆さんは何か連載をしたことはありますか?今、金原出版のホームページに毎週火曜日に在宅療養に関する連載をしています。僕にとってこの連載は初めてで、これほど大変な道程だったのかと、半ば後悔しつつも、習慣化した執筆活動を続けてきました。毎週木曜日にはどんなことがあっても、必ず4000字程度の原稿を書き続けています。ささっと原稿が書ける木曜日もあれば、なかなか書き出しが出てこず苦しい木曜日もあります。そして、今週はついに原稿が書けず金曜日に持ち越すのかと、心の中で葛藤が始まることも度々です。「別に1日遅れても、原稿は間に合うよ。明日やればいいじゃないか」という声と、「今までずっと木曜日にやってきたのだから、今日やらないと明日もきっと書けないよ」という声が聞こえてきます。悪魔と神様の話し合いの後、毎週木曜日に原稿を書いてきました。この原稿は、連載に掲載した文章に加筆した内容です。

・執筆は音楽を聴きながら

前作の「患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?」(長いタイトルですね。実は自分でも正確に覚えられないのです。きっと出版社では「早死(はやじに)本」と略されていることでしょう)を執筆したときも、多くの論文を書いたときにも、そして今も、2011年モデルのMacBook Airがお供してくれています。他のMacでも推敲や編集はできるのですが、このMacbook Airで執筆しないと、どうもうまく原稿が書けないのです。その事について考えてみようと思います。

執筆はいつもPages(Apple製のワープロソフト)で行っています。画面には絶えず文字数が出るようにしています。そして、メールや、ブラウザ、Twitterを含めたあらゆる雑音が入らないようにして、音楽を聴きながら執筆します。時には、iTunesのラジオでジャズを聴きながら、時にはEDM(Electronic Dance Music)を聴きながら、また気持ちが乗らないときには、お気に入りのショスターコヴィチや、ラフマニノフの曲を聴きながら、またある時はKIRINJIの歌を聴きながら執筆しています。今はプロコフィエフの第2番バイオリンコンチェルトを聴きながら、集中力を高めています。昔から、何か音楽を聴きながら出ないと集中できないのです。大学受験も大学時代の勉強も、国家試験対策も必ずといって良いほど音楽を聴いていました。音楽を聴くのは僕の集中するときの習慣というより、ルーティンです。

・仕事において一定のクオリティを維持するために、毎日の規則性を大切にする

さて、MacBook Airでないとうまく執筆できないのはどうしてでしょうか。そして、「書くということ」について考えてみました。こういう連載のようなまとまった期間原稿を書き続けるには、今まで考えたことのなかったような気を遣うようになりました。まずフィジカル、身体のことです。身体の状態は毎日刻々と変わっています。僕を含めて健康な人達は、自分の絶えず揺らぐ身体を理性の力で押さえつけて毎日を過ごしているのです。くに目が覚める朝も、もう少し眠っていたいときも、変わらず同じ時間にベッドから出て、朝食を食べます。きっと身体は毎日違う栄養を求めているかも知れないのに、毎日同じような食事を繰り返します。理性でもって、毎日の営みを揃えていくのです。いわば脳が身体を支配する生活です。連載をするまでは、僕は主にブログを「自分が書きたいと思ったときに書きたいことを書く」というスタンスでやってきました。それはそれで良いものを書けるときがあるのですが、期限のない楽な状況では、仕上がりにムラが出来てきます。クオリティが一定ではないのです。しかし、連載は一定のクオリティを維持しながら長く続けなくてはなりません。身体を一定に保つような工夫が必要になるのです。

作家の村上春樹は「職業としての小説家」の中で、長編小説を書くことについてこう述べています。「長編小説を書く場合、一日に4000字書くようにしている」こと、そして「気が乗るときも乗らないときも、同じく4000字を書くこと、勢いがある時はたくさん書いちゃう様なことはしない」、さらに「長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくる」と述べています。こういう執筆作業との向き合い方に、僕も同じ事を感じるようになりました。いつも同じ曜日に、同じ分量だけ必ず書く。気が乗らなくても一先ず書き、そして次の日にまた書き直す、そんな1週間を過ごしています。この規則性、ルーティンを維持するために、いつもと同じMacBook Airと向き合い、そして同じ場所で書くようにしているのです。お酒も極力控え、ほぼ毎日のようにジョギングし、夜更かしも早起きもせずただただ毎日を同じように過ごしていくことが、連載には必要だと気が付きました。

連載に限らず、同じクオリティで仕事をし続けるプロはみんな、毎日の規則性をとても大切にしています。毎朝神社にお参りする外科医も、毎昼同じコーヒーを飲む内科医も、毎夜バーに通い詰める開業医も、同じく規則性を生きているのです(全て実在する医者です)。

・リズムのある文章を生み出すアプリケーション

受験勉強も、仕事も、執筆も、僕はそうやって規則性を大切にしていることに改めて気が付かされました。規則性を維持するための道具は心地よい、なじみやすいもので無くてはなりません。今や執筆はペンや鉛筆で紙に書くのではなく、キーボードを叩くことなのです。文字を書いていたときよりも、キーボードを叩くことはリズミカルな動作です。このリズムが一定になるようなキーボードやアプリケーションが、リズムのある文章を生み出します。リズムを乱すような操作があるアプリケーションを使わないために、僕はWordではなく、Pagesを使っているのです。仕事ではカルテの入力をJedit(テキストエディット リンク)で、診療情報提供書の下書きをMail(Apple純正のメールソフト)で書いています。いつも同じ規則性とリズムが生まれるような工夫が、長く何かを続けるときには大切なのだと最近よく思うようになりました。

村上春樹は、期間限定のファンの交流サイト「村上さんのところ」で、MacのEG word(開発元が既に消滅)とATOKの組み合わせで執筆していると書いていました(このアプリは、昔風の原稿用紙の縦書きの日本語がサポートされていたからでしょう。)。僕もかつてはEG wordを愛用していました。不思議と良いリズムが生まれる道具は、人によって違います。自分の手になじんだ楽器の演奏が一番よい表現が出来ます。自分の気に入った筆で描いた絵が一番美しいはずです。

この楽器、MacBook Airを僕はとても気に入っています。この機種よりも画面が高精細なMacBook Proも持っていますし、画面が広いiMac(27インチ)も持っています。それでも、このMacBook Airでないと、気に入ったリズムがどうしても生まれないのです。そして執筆活動の規則性、ルーティンの一部になったMacBook Airと向き合ったとき、僕の心は観念して、集中量を高めながら、心の葛藤を吹き飛ばし、ひたすら文章を生み出すことを始めます。時には捗りながら、時には澱みながらも、キーボードで色んなリズムを奏でながら文章が出来上がっています。

論文でもブログでも、小説でも何でも良いのです。皆さんも何かを書きたいと思ったら、自分の規則性とリズムを強く意識して下さい。

・書きながら、話しながら、内容は変わっていく方が面白い

そして、もう一つ。内田樹先生は、「街場の文体論」でこんなことを述べています。「書き始める前に、頭の中ではもう「書くべきこと」が全部そろっていて、ただそれを順次「プリントアウト」しているだけだと思っている人がいるかもしれません。違いますよ。自分がこれから何を書くことになるのか、書く前にはわからないのです」と。このコラムもそうですが、最初書こうと思っていたスケッチは、頭の中に確かにありますが、結局どういう内容になるのか、実は自分も分かっていないのです。書きながらあっちへいったりこっちへいったりし、またふと本の一節を思い出すこともあります。ふと思い出した一節はこの話のように、さらに良い展開を生みます。不思議と思い出す一節は、付箋をしていなくても必ず思い出します。そして、読んでいるときにはそれほど重要だとは思っていないこともあるのです。重要とは思っていなくても心のどこかに引っかかっている不思議な感覚が残っている一節は確かにあるのです。

学会や研究会で他人の発表を聞くときがあります。みんなプレゼンテーションの内容を予め、PowerPointにまとめて、映写しながら話しています。こういう話は大抵それ程強い興味をひきません。僕の経験でも、筋書きのない話を、「この人はこの話にちゃんとオチをつけて着地することが出来るのだろうか」と、どこかではらはらして聞いているときが一番集中力が高まり、知的好奇心を刺激されます。話している人も、自分の口が自分の思考よりも一歩先に行っているようなおかしな感覚を持ちつつ、即興でわくわくしながら、話しているのが、こちらにも伝わってきます。そして、心のどこかに引っかかっている不思議な一節が話を膨らましながら、自分でも思いもよらなかった話に展開していくことがあるのです。そんな自分の声を聞きながら、自分がわくわくするような話は、必ず人の集中力を高めていくのだと思います。

まるで紙芝居の表と裏を間違えたような、プレゼンテーションを聞く度にがっかりします。紙芝居の本来読み手だけが見る、「説明と物語」を映写されると、話しを聞いたらよいのか、映写されたものを見たら良いのか分からなくなります。映写されたものを読み上げるのなら、いっそ出さなきゃ良いのにといつも思います。紙芝居のように、映写されたものは、聴衆の想像力を膨らませるものか、挿絵であったほうがずっと良いと思うのです。

僕も何度も失敗を繰り返しながら、講演と文章を書く作業を続けてきました。これからも自分のルーティンを守りながら、このMacBook Airで良いリズムを作り出していきたいと思っています。例え着地に失敗しても、ジャンプする勇気を持ち続けたいと思います。それが、聞き手、読み手に対する最大の敬意だと思っているからです。

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