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2015年10月

2015年10月11日 (日)

「好きなものを食べたら良いです」

ある遺族調査の中で見つけた患者の言葉です。 「医者に、(がん患者である)『私はどんなものを食べたら良いでしょうか』と尋ねたら、医者は『何でも好きなものを食べたら良いです』と答えました。食欲がない私にとって、その言葉はありがたい助言というよりも、見放された気持ちになりました」と書いてありました。
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医者にしてみれば、食欲が落ち、悩む患者に「好きなものを食べたら良い」と、無理に食べることから解放しようという気持ちがあったのかもしれません。しかし、何でも好きなものをと言われただけでは、患者・家族が今日の夕食のおかずを何にしようかと悩む気持ちに応えることにはなっていないのです。 しかし、僕のように料理ができない医者の側にしてみれば、どんな食材をどんな風に調理すれば、美味しく食べられるのか、自分の患者にアドバイスができないのです。そして、一見意味のない科学的な考えで患者に指導しようとします。
タンパク質は何グラムで、糖質を中心に、一日のカロリーはいくらぐらいで。
患者は食事を通じて、物質的な肉体を維持するための糧を得ているだけではなく、毎日生きている実感を得ているのです。「何でも好きなものを食べたら良いです」と言われたとき、生きている実感が自分の手からこぼれ落ちそうになっている患者にとっては、「あなた自身で生きる方法を探しなさい」と言われているようなものなのです。こうして見放された、突き放されたような気持ちになるのです。
病院では、がん患者に化学療法中の食事についてある程度の指導がされます。その中心は、何を食べない方が良いのかという特定の食材の禁止が主になっています。刺身のように喉越しが良く、食欲の落ちたがん患者にとってはとてもよい食材も、根拠なく禁止されることもあります。 また、病状の進んだがん患者に対しての食事指導は、ほとんど具体的なものではなく「好きなものを」とか「消化の良いものを」とか「バランス良く」とか全く役に立たない助言ばかりです。食事を生活の営みの中心として真正面から取り組むリクエスト食のような取り組みや、実際に管理栄養士が主催して、家族に食事を指導する実習の試みもありますが、ホスピスに入院したごく少数の患者にしかその恩恵はありません。
このように、「何を食べたら良いのか」分からなくなった患者、家族はインターネットや新聞広告を通じて、自分達が得られない実効的な情報を得ているのではないかと推測しました。 「○○でがんが消える」、「○○を食べるな」、「○○を食べろ」この様に明確なメッセージが含まれた本が数多く売られています。このような本から毎日の食事の情報を得ているのではないかと推測したのです。さらに、サプリメントを含む民間療法を取り入れる患者、家族は、具体的な食事に関する指導を、医療者から受けられないことで、自分達なりに考えて行動しているのではないかと推測しました。
そこで、神戸松蔭女子学院大学の佐藤友亮先生と共に研究を企画し実態を調査してみることにしました。病院に入院して療養している患者、家族ではなく、僕が在宅医療で関わっているような、実際に自分達で食事、料理をしている自宅療養のがん患者の方々の調査をしました。 神戸市内の4つの診療所が関わった200名のがん患者の遺族の方に生前、食事や料理に関してどの様なことに困ったか、またどの様にしていたかを2014年に調査しました。
すると、食事や食品の情報入手先を問う質問では、書籍・雑誌・新聞(48%)、医療者(46%)という回答が多く、やはり医療者以外からの情報を得ていることが分かりました。また、積極的に摂取した食材は、お茶(64%)、乳製品(62%)、大豆食品(60%)、制限した食材は、アルコール(49%)、脂質(31%)、塩分(31%)という回答がそれぞれのベスト3でした。それぞれの食材には科学的根拠はないことから、自分達なりに考えていることが分かりました。 そして、補完代替療法を43名(32%)の患者が取り入れており、サプリメント、ビタミン剤(28%)が多い事が分かりました。予想していたよりも高価な民間療法を取り入れている患者は少なかったことが分かりました。 もちろん、がん患者(再発し、病状が進んだがん患者)にどのような食事が良いか具体的な研究はありません。そのため、がん患者は、一般的に健康に良いと考えられているものを摂取していることが分かりました。予想通りの結果でした。(詳細
さらに、全体の57%の遺族が、患者の食事について困難、負担感を感じていたことがわかりました。日々の食事に関する相談を医療者にできたと返答した遺族は多かったのですが(60%以上)、具体的な食材の助言などを受けていた方は少数でした。 そして、医療者から食べ方の指導をうけた経験が多い家族ほど、日々の食事に困難を感じていることが分かりました。繰り返し医療者に相談しても結局自分達の悩みを解消できなかったことがうかがえます。また医療者も実効的な助言ができなかったことが分かります。また、家族として療養中の食事を調理することに難しさを、食欲が低下した患者に食事を食べさせることに難しさを感じていたことが分かりました。(詳細
この遺族調査を基にした2つの研究から、がん患者の食事ついてはまだまだ多くの問題があることが分かりました。医療者も「何でも好きなものを食べたら良いです」というくらいしかなく、良い指導ができていないことが分かりました。それは時間がないからではなく、「どのように指導、助言したら良いのかその方法すら分からない」からです。
医療者は、病状が進み食欲がなくなった患者から「何を食べたら良いですか」と聞かれてもただ絶句するしかないというのが現状であることが分かりました。今後どの様な取り組みをしたら良いのでしょうか。僕は、診療する患者とその家族に教えてもらうようにしています。実際に自分が食べてうまくいったことを詳しく聞き、食材、調理法を教えてもらいます。
そして次に出会う同じ悩みを抱える患者と家族に伝えていくのです。 同じ悩みを抱える患者、家族は、同じ町内の隣のブロックに暮らしているのにも関わらず、交わることなくお互いの悩みを語り合うことができません。また近くにいても時間的に離れていることも多いのです。去年悩んだ人、今悩んでいる人、地理的に直ぐ目の前にいたはずなのに、片方は既に亡くなり出会うことがありません。 このように積み重ねても消えていく、食事、調理だけでなく看病や介護の知恵を蓄積し伝えていく方法はないかと今の僕は考えています。

参考文献

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2015年10月 5日 (月)

ヨミドクターのロングインタビュー

私の本や、このブログを読み、読売新聞の岩永直子さんがインタビューを基に記事を書いて下さいました。皆さんにもシェアします。毎週記事は公開され、全部で4回の予定です。

抜粋
自分や大事な人が重い病気にかかり、死に直面すると、人生は一変する。この先も当たり前に続くと思われた日常が失われ、体も心も打ちのめされて苦しむ人に、人は何ができるのだろう。終末期の心身の苦痛を和らげる「緩和ケア」に長年取り組み、その答えを探す道筋を惜しみなく明かした著書『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)を5月に出版した医師、新城拓也さん(44)。病院から在宅医療に活動の場を移し、患者や家族と向き合う日々から何が見えてきたのだろうか。

抜粋
「治らない病気がある」という医療の限界。そして、医学的な知識を一方的に伝授するだけでは、患者や家族を支えられないということに、息子の病気を通じて、初めて意識的になった。すると、これまでの、自分の医師としての働きぶりが、急に色あせて見えてきた。


抜粋
 「本人の意向が最大限反映されるのはとても大事なことです。でも、特にご家族、そして医師である自分も、患者さんといったん関わりができたならば、患者さんの命は患者さんだけの持ちものではないですね。」

抜粋
 「でも最近は、医師というのは、エリートの一人として社会から負託されている役割だと感じているんですよ。いやでもやらなくてはいけない。この地域の中で、周りの人たちのために、仕事中はその役割を全うして生きなくてはいけないと感じています。だから、僕はこの社会の中で、個人として生きている部分もありますが、医師としては皆さんに選ばれて仕事をしている、役割を社会から負託されてその責任を果たしているという感覚が強くなっています。だから、僕は白衣を着ますし、『先生』と呼ばれないと困るし、そういう部分で『人間宣言』して降りていくようなことはしたくない。お坊さんが、ポロシャツやジーパンで仏壇の前でお経読んだらだめでしょう? 仕事をしている時は、公人として生きているんです。医師は、社会の中で自分の置かれている立場に自覚的でないと、やってはいけない職業だと思います」

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