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2015年9月

2015年9月20日 (日)

事前指示書、ACPは誰のため?

5月に本を出版してから、本当にありがたいことに、取材を受ける機会が何度かありました。そこでよく話題になるのが、自分の将来受ける治療、医療者に尊重されたい意向、そして自分の人生設計について予め考えておくことについて、私がどう考えるかということです。昨日も学生のインタビュー研究に答えながら、私自身の考えがまとまっていきました。その内容について書いておこうと思います。

主に蘇生行為に関する治療の事前指示や、今後の療養場所を検討していくようなACP(advance care planning) に大事な事が抜け落ちていると以前から感じていました。仕組みとしては、素晴らしいと思いつつも、どこか大事な視点が抜け落ちていると感じていたのです。
医師と患者の信頼関係が医療の礎になると、私は医師になってからずっと心に銘じてきました。時には自分のプライベートや、家族にも犠牲があります。今でも長い期間の遠出ができません。また今日のようにしばらく出張で離れるとき、実家に家族を連れて帰省するときは、自分を助けてくれる看護師や、他のクリニックの医師に留守をお願いしています。不自由な生活ではありますが、医師になってから20年近くずっとこんな生活だったので、もう私もそして家族も慣れてしまいました。家族にはとって不満もあるかもしれませんが、仕方がないと思ってくれています。(感謝)

さて、事前指示は患者の意向を反映する大切なものです。自発的に患者が事前指示書を医師に提出する場合もあり、私もそのような事前指示書を受け取った経験は幾度となくあります。しかし、今の事前指示書やACPは医療の側が主導して口火を切っているのが現実でしょう。ある日患者や家族は、医師や看護師から「もしも呼吸停止の時には、心肺蘇生をどうしますか?」「今後、病院を退院したらどこで過ごしますか?」と聞かれます。医療者と患者の間にそのやりとりを通じて新たな信頼関係を形成し、そして患者の不確定な今後に向かっていくことに、患者や家族の意向は最大限反映するべきだと私は考えています。 しかし、事前指示書やACPには、自分達の提供している医療システムの欠陥が深く関与していることに、医療者は自覚的であるべきだと考えています。
普段良い医師-患者関係のある状況でも、その医師は昼間の決まった時間しかいないかもしれません。夜に救急車で運ばれてきた時、患者の目の前には別の医師がいることでしょう。また昼間の時間でも入院すると別の医師が担当するかもしれません。もしかしたら、普段はその病院で勤務していない、いわゆるアルバイトの医師かもしれません。 医師も労働者であり生活者であることには変わりありません。

自分の身体の限界もあります。患者に対して、いつどんなときも責任を果たせるかどうか、それは私にもわからないことです。どんな時でも患者を優先して生活しているのかと尋ねられれば、「NO」と答えます。当然どの病院でも交代勤務をしながら、医療の現場を支え続けているのです。 このように医師-患者関係は、現代の医療現場では不連続なものなのです。昼夜、そして療養場所が変われば医師も変わります。
このような不連続な関係の中で患者の意向が反映されるべく、事前指示書、ACPが生み出されてきたことに自覚的であるべきだと思うのです。患者の意向が反映された事前指示書に従い、普段患者と馴染みのない医師が、患者の意向を緊急の治療に反映することで、患者の権利を最大化することが、事前指示書の最大の意義です。 あえていうなら、これは「必要悪」です。患者にしてみれば、一度心から信頼できる関係が医師との間で結ばれたら、ずっとその医師と治療関係を維持したいと思うのが当然です。

例え別の専門医の力を借りるときであっても、別の病院に行ったとしても、医師-患者関係は継続したいと思うのが当然です。私が往診している患者でも、総合病院に通いながら、という方がたくさんいます。その患者は、総合病院で治療を受けたいという意向だけではなく、病院の医師との関係を継続したいと考え、衰弱した身体で一生懸命通っています。患者の方から医師-患者関係を切ってしまう方もいます。そのような方の話を聞いていると、病院の機能を信頼していても、治療者である医師個人を信頼していない時があるのです。患者の方から切りやすい医師-患者関係も今どきの関係なのかもしれません。
もうひとつ、事前指示書とACPに関して感じていることがあります。 特に緩和ケアに関わる医師の、医師としての技能です。患者が蘇生行為を求めたとき、きちんと気管内挿管ができ、ある程度の人工呼吸管理、全身管理ができるのでしょうか。もちろん集中治療室や蘇生の専門家の援助は得なくてはなりません。しかし、末期癌患者に「私は心肺蘇生をお願いします」と言われたとき、自分に技能がないことを差し置いて、「いえ、ここはホスピスですし、あなたは末期癌です。助からないです」と答えて、患者に“心肺蘇生をしない事前指示”を強いている現状はないでしょうか。

患者がどのような治療上の要望を出してもある程度応えられる技能、そして自分が応えられなければ、誰か別の医師につなぐことのできる人脈や知識を持っていない医師にとっては、事前指示書はただの医療者側の免責書に変わってしまいます。「あなたが心肺蘇生を希望しなかったので、私たちは実行しなかった」ここには、患者の意向を反映するという考えよりも、医療者側の免責の意味の方が強くなることはないでしょうか。 蘇生行為ができないホスピス医、緩和ケア医にとっては、患者に「蘇生行為をお願いします」と言われても応える方法がありません。

もちろん、基本的な医師としての技能を私は全ての医師そして自分自身に求めてきました。しかしそれができないのであれば、「私は蘇生行為を苦手としているので、そのようにお考えなら、別の病棟にすぐ移れるように手配します」とさっと動ける医師を私は信頼します。当然医師は全ての技能を身につけることはできません。自分にできないことを患者から求められたときには、自分が患者にかわって別の医師を探すのも医師の技能だと思っています。つまり自分の人脈も医師の技能ということです。

このように医師-患者間の治療関係、信頼関係が不連続であるという医療システムの不備、さらには医師の技能の不足が、事前指示書やACPに反映されていることに医師は自覚的であった方が良いと考えています。
私は自分の責任の及ぶ範囲で、できる限りの努力をしてきました。もちろん自分の時間的、身体的そして技能的な限界もよく理解しつつも、工夫と努力で自分の能力を高めていきたいと今も考えています。そして、そのような個々の努力と、自分自身の提供している医療システムの欠陥を自覚しながら、患者や家族の意向が反映される治療を模索していきたいのです。

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