「なぜ勉強するのか?」
「なぜ勉強するのか?」と問われると、どの親も絶句すると思う。勉強の本質的な意味について、親も、子と同じく自覚的ではないからだ。なぜ勉強するのか?の問いに答えるべく、「なぜ親は子に勉強させたいと思うのか?」を考えてみた。
今の日本、特に都市部では、受験という関門で子供の能力が試される。勉強を通じて得た知識量を測定し、思考能力を試される。しかも一回勝負だ。その日のために、膨大な時間をかけて準備するが、運、不運も影響する。その結果、合格、不合格が決まり、子供達はふるい分けられる。合格という招待状を得た子供達は、その学校の生徒として入学し、そして学校というコミュニティに参加する。
このコミュニティへの参加で、子の将来がより良いものになると、親は根拠なく確信している。だから、「親は子に勉強させたいと思う」のだ。悪いことに、親は勉強はコミュニティに参加するための方法に過ぎないとどこかで考えている。勉強を通じて知識が増えていくことを親が喜んでいるとは考えられないので、子は勉強している中身に関して敬意を払わなくなるのだ。複雑な方程式の計算、大凡日常生活に役に立つとは思えない公式の暗記、過去の歴史の検証、外国人と会話する時に使うとは思えない構文の暗記は、学校へ入るための方法、つまり受験を通じてコミュニティに参加する権利を獲得するためと思っているのだ。
実は大きな問題はここにあって、コミュニティへの参加の権利を得たいというのは、親自身が所属している特定の社会階層に子を参加させたいという親の思いと強く結びついているのだ。親が子の受験に熱心になるのも無理はない。子を自分の所属する社会階層に加えたいという思いの裏には、社会階層は固定し、そして大きな格差を生み出していることを実感しているからに他ならない。20世紀、私たちが子であった頃は、「たくさん勉強して、競争を勝ち抜き良い学校に入り、良い会社に入る」というサクセスストーリーがまだ信じられていて、子の能力を信じ、子が確立した人格として幸福になってほしいという思いがあった。しかし、競争を勝ち抜き、学校や会社という組織に所属するだけでは、幸福の条件とはならないことが徐々に明確になってしまった。会社組織が盤石で成長し続けていた時代の終身雇用制度は終わり、会社組織そのものが吸収、合併、倒産で消滅する危険もあること、また暮らしの多様化により、所属する組織は成功の尺度ではなくなったのだ。所属する会社組織が社会階層の基礎ではなくなってしまったのだ。
こうして、社会格差はますます大きくなったため、会社組織ではなくて特定の社会階層に所属し続ける事が、子の受験と結びついてしまった。学校というコミュニティを通じて、どの様な友人を得るのか、どの様な人達と交わるのかが親の大きな関心となっているのだ。 さらに、受験には塾の費用、私立学校の授業費といった教育コストもかなりかかる。教育コストが成績と強く関連しているため、格差はさらに拡大し、固定化していく。こうして、学校というコミュニティと社会階層は、より固定化しつつあるのだ。
もしかしたら親は、テストでどの位高得点を得られるか、受験する学校のテストの傾向を分析し、過不足なく訓練し正解に達するためには、やりたいことを我慢することが、勉強の本質だと考えているかもしれない。勉強は学校に入るための方法に過ぎないので、勉強することは苦痛なことだと親も子も思っている。苦痛に耐えることで、勉強を通じて精神的に強くなると信じているのかもしれない。
しかし、自分自身も受験勉強を経験し、今また子の受験勉強に付き合っていて感じていることは、「なぜ勉強するのか?」というと、勉強をするための能力を育てているのではないかということだ。自分の時間を工面し勉強にあて、そして計画的に構成し、一つの目標に向かって親や塾の先生と協力しながら自分の力で乗り越える能力のつけることだ。母親は子のために弁当を作り、家計を工面し、父親は送り迎えをし、時には一緒に勉強する。塾の講師は、子の特性と成績の推移から、作戦、戦略を立て、志望校、そして学習の目標を計画する。やはり、受験のための勉強は、特定のコミュニティに参加するための、つまり、志望校に合格するための方法に過ぎないのかもしれない。しかし、自分自身の目標、受験の合格に向かって、親を含めた周囲の人達とチームを組み、乗り越えていく体験が、実は勉強を通じて学ぶことなのだろうと思う。
なので、「なぜ勉強するのか?」「なぜ親は子に勉強させたいと思うのか?」と問われれば、「勉強を通じて、自分が目標を乗り越えるためのマネジメント能力を体得するため。そして、周囲の人達とチームを構成することで、自分の力が最大化されることを体験するため」と答えるのかもしれない。親として社会格差の拡大と固定化を実感しつつも、子には親の思惑以上に自分自身が成長するきっかけをつかんでほしいと願っている。
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