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2015年8月

2015年8月31日 (月)

「なぜ勉強するのか?」

6695932871_04206b8856_b 「なぜ勉強するのか?」と問われると、どの親も絶句すると思う。勉強の本質的な意味について、親も、子と同じく自覚的ではないからだ。なぜ勉強するのか?の問いに答えるべく、「なぜ親は子に勉強させたいと思うのか?」を考えてみた。

今の日本、特に都市部では、受験という関門で子供の能力が試される。勉強を通じて得た知識量を測定し、思考能力を試される。しかも一回勝負だ。その日のために、膨大な時間をかけて準備するが、運、不運も影響する。その結果、合格、不合格が決まり、子供達はふるい分けられる。合格という招待状を得た子供達は、その学校の生徒として入学し、そして学校というコミュニティに参加する。

このコミュニティへの参加で、子の将来がより良いものになると、親は根拠なく確信している。だから、「親は子に勉強させたいと思う」のだ。悪いことに、親は勉強はコミュニティに参加するための方法に過ぎないとどこかで考えている。勉強を通じて知識が増えていくことを親が喜んでいるとは考えられないので、子は勉強している中身に関して敬意を払わなくなるのだ。複雑な方程式の計算、大凡日常生活に役に立つとは思えない公式の暗記、過去の歴史の検証、外国人と会話する時に使うとは思えない構文の暗記は、学校へ入るための方法、つまり受験を通じてコミュニティに参加する権利を獲得するためと思っているのだ。

実は大きな問題はここにあって、コミュニティへの参加の権利を得たいというのは、親自身が所属している特定の社会階層に子を参加させたいという親の思いと強く結びついているのだ。親が子の受験に熱心になるのも無理はない。子を自分の所属する社会階層に加えたいという思いの裏には、社会階層は固定し、そして大きな格差を生み出していることを実感しているからに他ならない。20世紀、私たちが子であった頃は、「たくさん勉強して、競争を勝ち抜き良い学校に入り、良い会社に入る」というサクセスストーリーがまだ信じられていて、子の能力を信じ、子が確立した人格として幸福になってほしいという思いがあった。しかし、競争を勝ち抜き、学校や会社という組織に所属するだけでは、幸福の条件とはならないことが徐々に明確になってしまった。会社組織が盤石で成長し続けていた時代の終身雇用制度は終わり、会社組織そのものが吸収、合併、倒産で消滅する危険もあること、また暮らしの多様化により、所属する組織は成功の尺度ではなくなったのだ。所属する会社組織が社会階層の基礎ではなくなってしまったのだ。

こうして、社会格差はますます大きくなったため、会社組織ではなくて特定の社会階層に所属し続ける事が、子の受験と結びついてしまった。学校というコミュニティを通じて、どの様な友人を得るのか、どの様な人達と交わるのかが親の大きな関心となっているのだ。 さらに、受験には塾の費用、私立学校の授業費といった教育コストもかなりかかる。教育コストが成績と強く関連しているため、格差はさらに拡大し、固定化していく。こうして、学校というコミュニティと社会階層は、より固定化しつつあるのだ。

もしかしたら親は、テストでどの位高得点を得られるか、受験する学校のテストの傾向を分析し、過不足なく訓練し正解に達するためには、やりたいことを我慢することが、勉強の本質だと考えているかもしれない。勉強は学校に入るための方法に過ぎないので、勉強することは苦痛なことだと親も子も思っている。苦痛に耐えることで、勉強を通じて精神的に強くなると信じているのかもしれない。

しかし、自分自身も受験勉強を経験し、今また子の受験勉強に付き合っていて感じていることは、「なぜ勉強するのか?」というと、勉強をするための能力を育てているのではないかということだ。自分の時間を工面し勉強にあて、そして計画的に構成し、一つの目標に向かって親や塾の先生と協力しながら自分の力で乗り越える能力のつけることだ。母親は子のために弁当を作り、家計を工面し、父親は送り迎えをし、時には一緒に勉強する。塾の講師は、子の特性と成績の推移から、作戦、戦略を立て、志望校、そして学習の目標を計画する。やはり、受験のための勉強は、特定のコミュニティに参加するための、つまり、志望校に合格するための方法に過ぎないのかもしれない。しかし、自分自身の目標、受験の合格に向かって、親を含めた周囲の人達とチームを組み、乗り越えていく体験が、実は勉強を通じて学ぶことなのだろうと思う。

なので、「なぜ勉強するのか?」「なぜ親は子に勉強させたいと思うのか?」と問われれば、「勉強を通じて、自分が目標を乗り越えるためのマネジメント能力を体得するため。そして、周囲の人達とチームを構成することで、自分の力が最大化されることを体験するため」と答えるのかもしれない。親として社会格差の拡大と固定化を実感しつつも、子には親の思惑以上に自分自身が成長するきっかけをつかんでほしいと願っている。

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2015年8月10日 (月)

生前供養としての在宅ケア

開業してから早いもので3年が過ぎました。在宅医療に専念した医院を作り、自宅で最期まで過ごしたい方の助けになればと始めた仕事でした。 この3年の間にも多くの出会いと別れがありました。別れの多くは癌の方々です。既に癌が進行し、それでもなお病院ではなく家で過ごしたいという方がいらっしゃるのです。「最期まで家で過ごしたい」という気持ちが強い方々です。
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在宅医療の仕事をする前に、病院で勤務していたときは、「最期まで家で過ごしたい」と切望する方が、きっと家で過ごすのだろうと考えていましたので、ほぼ予想通りだったと言えます。しかし、そのような方々だけではないことに徐々に気がつき始めました。
病状が悪化して病院で寝たきりの状態になり、間もなく亡くなるであろうと医師からも説明を受けた家族の人達が、私の医院に来て、「家に連れて帰りたい」と話すのです。本人はどう思っているのか?と尋ねても、本人はともかく私は(家族)家に連れて帰りたいのだと話されます。 何故病状が悪いのに家に連れて帰りたいのかと、その心中を聞くと皆が同じ事を言うのです。
「今のまま病院に入院していても、何もしてくれない」
しかし、治療の内容を聞いてみると、点滴を連日受けていたり、酸素の投与を受けていたりし、決して放置されているわけではないのです。また実際に病院へ患者の様子を見に行くと、清潔なベッドで、きちんとした看護ケアを受けています。それでもなお、「何もしてくれない」と家族は感じているのです。 病院へ出向いたときに、病院のスタッフに話を聞いてみると、きちんと治療やケアされていることがよく分かります。私が客観的に見ても、診断も治療も適確な方ばかりでした。
「何もしてくれない」というのはどういうことなのですか?と尋ねると、この様な家族はいつも同じ答えです。「何も食べさせてくれないのです。何かを食べさせようとすると、いつも止められます」 さらに詳しくあれこれ尋ねると、多くの家族の話から、病院側の対応が見えてきます。病状が進行すると、当然、体の力が衰弱し、食べることができなくなります。これは自然な死への過程において誰もが避けられないことです。病院では食べられないことを客観的に判断するために、耳鼻科医や、言語療法士といった専門家、時には「嚥下チーム」と名付けられたチームが評価をします。そのような専門職がいない場合には、看護師、主治医が実際の嚥下運動を診ながら判断します。 そして、嚥下運動ができないほど衰弱し、「食べられない」認定を一度受けてしまうと、病院では絶飲食の指示が出され、一切の食事が出されなくなります。回復する見込みがある状況での嚥下訓練には、当然熱心ですが、衰弱が約束されている患者に対して、ひとたび「食べられない」認定をすれば、食事をさせること自体が危険なこと、となります。
「食べられない」と認定したことが、病院の医療職から家族に伝えられます。食べられなくなった理由として、当然、病状の悪化、そして病状の詳しい説明を受けます。そして、「ああそうですか。仕方ないですね。もう食べる力がないのであれば今後は点滴だけで」と納得する方もいるのかもしれません。プロの医療職が「食べられない」と判断するのならもう仕方ないと。しかし、今まで私が出会った家族はそう考えませんでした。 「病院は食べさせる努力すらしないまま、食べさせないことを決定している。病気が悪くなっていることは良く理解している。でも何も食べさせないままで死を待てと言われても納得できない」と話すのです。
病院の医療職の苦悩もよく分かります。嚥下機能が落ちた患者に「何とか食べさせてあげよう」と熱心にケアしても、ひとたび誤嚥しそれが元で病状が悪化すれば、今度は家族から責められる立場となります。患者のためにと、熱心にケアした医療職が、家族に責められるのです。その家族の責めだけでなく、「患者に害を与える事なかれ」の大原則から、医療職は病院の中では食べさせにくくなってしまうのです。 この様な「食べさせない」状況での看取りは既に、家族にとってはただ死を待つだけの時間となります。何か患者のため、愛する家族のためにできることはないのかと考える家族が、私の医院に来るのです。
病院の中で起こることは、病院の責任。家で起こることは、家族の責任です。せめて何か食べさせてあげられないのかと求める家族には、当然、病院側も「それなら家に帰って自由にするとよい」と退院を助言するのです。当たり前のことだと、かつて病院勤務していた私も思います。
こうして、「最期まで家で過ごしたい」と切望する患者ではなく、「最期は病院で過ごさせたくない」と切望する家族のために在宅医療があるのだと知りました。そして、実際にそのような患者、家族を引き受け、家で食べさせるためのケアや工夫をするようになりました。市販されているあらゆる嚥下にふさわしい食材、薬剤を試し、食べさせるためのコツを一緒に考えます。また「もっと食べさせてあげたい」とはやる気持ちの家族にブレーキをかけながら、それでも食べられるものを探すようにしてきました。 同僚の看護師が遺族へインタビューをし、「患者がむせてしまうこと」に強い気持ちの負担を感じることが分かりました。また私が主催した神戸市内の遺族調査では、家族として療養中の食事を調理することに難しさ、また、食欲が低下した患者に食事を食べさせることに難しさを感じていることが分かりました。
患者が家に帰ったからといって、私が医師としての責任を放棄しようとするわけではありません。家で起こることは、家族の責任と突き放してしまった時、もしも食べさせようとした家族が患者に害を与え、自分の関わった研究の結果と同じくつらい気持ちを残すのであれば、私の提供している緩和ケアは失敗です。話し合いながら、うまくいくこと、いかないことを一緒に積み上げていくことが大切なのです。
また、患者が家に帰り、私が緩和ケアを提供すれば、病院で見放された患者が食べることができるようになるということはありません。少し食べられるようになる時期はありますが、やはり、短期間の間、短ければ1ヶ月もしない間に亡くなってしまうこともあります。それでも家族は、家で過ごした期間は有意義だったと思っていることに度々気づかされます。 先日も、同じように病院では何も食べさせてもらえず過ごしていた寝たきりの末期癌の方が、家族の「連れて帰りたい」という強い思いで家に帰りました。その方は短い時間で亡くなりましたが、最近受け取った私宛の手紙には、病院で制限を受けていた暮らしに比べて、家で過ごした最期の日々には後悔がないことが書かれていました。
「食べられない」患者に対して、病院は安全第一という考えから食べさせることができなくなります。これはケアに対する責任が生じる以上、これからも致し方ないことと思います。ケアとしての点滴、食べること以外のケアを洗練させ、家族と一緒に病院でのケアを構築していく努力がこれからも必要でしょう。点滴をするのかしないのか、するなら量をどうするのかのエビデンスを探し続けることも必要でしょう。しかし、「食べられない」患者に対して、なお食材、調理、あらゆる工夫で、食べさせる努力を医療者が続ける事が、本質的なケアとなるのだと私は確信しています。それは、病院でできないことを在宅で放置し、無責任に家族に許すことではありません。「食べられない」患者になお、「食べさせる」ことは、家族にとって愛情の具現化であり、亡くなりゆく患者に対する、ケアの概念を超えた、生前供養でもあると気がついたからです。
病院内で十分なケアと治療を受けていてもなお、不満があり家に連れて帰りたいと言う家族と向き合いながら、いつも考えています。愛する方(患者)が亡くなりつつある時に、この家族ができる最高の生前供養は何なのであろうかということを。その具現化を構築することが、緩和ケア、在宅ケアいや医学、エビデンスを超えたもっと高度なケアなのだろうと私は今思案中なのです。

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