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2015年7月 7日 (火)

もしも『死にたい』と言われたら 自殺リスクの評価と対応

松本俊彦先生が上梓された、「もしも『死にたい』と言われたら 自殺リスクの評価と対応」を読みました。ほぼ同時期に私も、「患者から早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?」を書き上げ、出版にこぎつけていました。その本で患者の自殺や希死念慮について述べましたので、松本先生の本も早速読み、また自分の考えと対比してみました。
20150707_185003私自身、病室での患者の自殺に遭遇した経験から、自殺を予防することは、患者の命を守ることだけではなく、残された家族、発見した医療者(主に看護師)を守ることだと確信し、それ以降自分の臨床で大切にしてきたテーマです。本当に患者が「死にたい」と考えているのか、それが100%全ての気持ちなのかという疑問もありますし、自殺を予防するために自分がなすべき役割についても模索してきました。

松本先生の本でも実践的な方法が沢山書かれています。隠された自殺念慮に気づくにはでは、深刻な自殺念慮ほど隠される傾向があるということが書かれています。私も、入院の外泊中、外出中に自殺を完遂された体験もあることから、いつもと変わりなく過ごしている中に、患者が自殺念慮を隠しているかもしれないと疑いを持つことは確かに大切だと思います。しかし、どの患者にもその疑いの目を向けることで、段々と不安が募り、どの患者も自殺してしまうのではないかと、特につらい体験の後にですが考えてしまったことを思い出しました。

「死にたい」と患者から告白されたときに、緩和ケア的発想なら、「どうして死にたいと思うほど患者は苦悩の中にあるのか」を患者と語らい、そして自分のできる苦痛の緩和、まず痛みなど身体の苦痛を緩和していきながら、心の問題それをスピリチュアルペインとも呼びますが、より複雑かつ根源的な緩和を目指す方向へと発展させていきます。しかし、自分には、スピリチュアルペインの存在も、スピリチュアルケアの重要性も理解しながら、どこか違和感のある発想でした。 今回松本先生の本を読んだときに、その違和感の正体がわかってきました。緩和ケア的発想では、医師には、全人的な苦痛を緩和する大きな視野と包容力、そして技術と医師としての素養を求めます。もちろん、このような素養を私も本で書いたとおり、医師として成長するために必要な修練として自分に課しています。同時に、医師であるからには、周囲と共有できる方法を追求することも、科学としての医学を高めていく上では、大切な社会的使命です。

ところで、以前、ある緩和ケアの医師に会いました。その医師は著書で、どうしたら患者の苦痛が軽減できるかその実践方法について述べていました。その著書の内容は、私の臨床的な経験と実践からは、受け容れ難い内容だったので、実際にどのような医療実践をしているのかを教えを請いに行きました。その医師によると、「患者の言うことに真摯に耳を傾ければ、本物の緩和ケアが実現するはずだ。」というのです。では、それができるようになるにはどうしたらよいのかと尋ねると、「患者の言うことを聞いているつもりになっているだけでは駄目だ。まだきちんと聞けていないからだ」と話すのです。

どの時代でも師の教えはいつも一歩先を示すわけではありません。それでも、きっとこの方向へ向かえば良いのだと分かる教えを説く話は、具体的な方策が含まれていない話であっても、その重要性だけは必ず確信できます。しかし、残念ながらこの緩和ケアの医師の話に重要性は確信できませんでした。この方の方法と確信は、共有できない私的な事なんだと思いました。この方しか実践できないであろう事は皮肉にも確信できました。そのような話は不思議と人の心に届かないのです。

雲の上の師が、道の途中にいる者が実践も共有もできない話をすることも大切ですが、それぞれの現場で一歩先へ進むための実践的な話はもっと大切です。一歩先へ行くためには、それぞれのフィールド、職種は異なっても、伝わる方法と実践が含まれていなくてはなりません。松本先生の本には、「死にたい」と患者に言われたとき、具体的にどの様な行動を、どのような順序で、何回くらい行ったのかと自殺に及んだ行動を聞くプロセスについて書かれています。手触りのない心がけを示す言葉よりも、この様に一歩先へ行くための具体的な方法を、私は医師として求めています。私の実践はこの本を読んで間もなく変わりました。

いつもと同じようなある日、患者を診察していると、「先生、もう死なせてくれないか、こんな風に生きていても仕方がない、もう死にたいんだ」と患者から言われました。一人暮らしの男性でした。以前なら、「死にたいほどつらい思いをしているんですね」などと話していたかもしれません。この時もそのように話すと同時に、「では、本当に死のうと思って実際に行動に移したことはあるの?」と尋ねてみました。 すると、彼は「いや口ではこう言っていても、自分には度胸がないから、何もできないんだ。だから先生に死なせてほしいんだ。」と答えました。私は「この先も実際に自分で死のうと思って、何かしそうかな?」と話すと、彼は「それは絶対ない」と答えました。 この日の体験から、自分は自分の本をまとめてから数ヶ月で一歩先へ行けたと確信しました。

本当に素晴らしい本は、このように心から求めている者に、新しい一歩を創り出すヒントを与えてくれます。

そして、松本先生の本には自殺念慮の告白に対する対応という箇所に医師としての心構えが書かれています。それは緩和ケアを実践し、死にゆく癌患者と多く接してきた私の実感とほとんど同じものでした。「死にたい」と告白されない医師は、医師、患者関係が不良であることの証であることも書かれており、私の考えと同じでした。私も、患者から「死にたい」と告白されると、困ったな・・と思う半面、自分に対しての信頼を確信できるため、医師としては幸福を感じる瞬間となります。告白の向こうに、患者と共に何を探すかは、松本先生と同じだということがよく分かりました。

最後に、この本のあとがきは崇高で、全て抜粋して紹介したいほどです。その中で、自殺を目撃した人達への配慮と、自殺する直前まで人は迷っていることが臨場感を持って書かれています。自殺の直前まで携帯電話を確認するエピソードから、松本先生は自殺に関して知れば知るほど、「人は最後まで迷っている」と締めくくっています。自殺したい人はすればよい、させてあげたらよいという意見に対して、松本先生は最後まで人は迷っているという確信を強めたからこそ、自殺は予防すべき問題だと結論しているのです。私も現時点で同じ結論に達しています。末期癌のように自殺するにふさわしい状況なら自殺させてあげたらよいのではないかという意見に、同じ真理を見出しています。患者は死なせてほしいし、同時に生きていたいのです。そんな患者のアンビバレントな迷いに粘り強く寄り添っていける素養を医師としてこれからも鍛えていきたいと思っています。そして、実践智と洗練された方法が示された松本先生のこの本を、是非とも皆さんにもお勧め致します。


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