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2015年4月

2015年4月19日 (日)

鎮静の偽装と遺族の苦しみ。

この文章は、2015年3月号の雑誌「緩和ケア」に掲載された内容に加筆したものです。

この数年、僕は医学雑誌から依頼されて原稿を書くことにとても苦痛を感じるようになってきました。もちろん、若く未熟な僕に多くの仕事のチャンスをくれた方がいたこと、チャンスをくれた出版社があったことはよく理解しています。ただ、医学雑誌の原稿が、「読み捨てられている」感覚に耐えられなくなったのです。
論文なら、Web上で検索な可能な状態で保管され、今読まれなくても将来誰かが僕の文章と出会うかもしれません。もちろん、医学雑誌であっても、目次がオンラインでアーカイブされていれば、そのバックナンバーを取り寄せる人もいるかもしれません。しかし、論文にせよ雑誌の原稿にせよ、感想や、せめて「読んだよ」の一言すらない状況に、僕は段々と耐えられなくなってきたのです。
最近、とある雑誌に連載しましたが、反響も感想もなく終わりました。もちろん、内容が、反響や感想が寄せられるほど人の心を惹きつけないものなのかもしれません。しかし僕自身が、無言の暗闇に向かって原稿を書くことの苦痛にいつしか耐えられなくなってしまったのです。ですので、依頼された原稿はできればお断りするようにし、また自分の書いたものは自分でアーカイブすることにしました。これからもこのようにブログに更新していきます。もちろん、原稿をそっくりそのまま同じ内容で載せれば、著作権との兼ね合いでトラブルの元になりますので、このように前書き、そして加筆修正をすることでオリジナルとは形を変えています。

かくいう、僕も、最近は自分の余暇を楽しむための雑誌は、ビッグコミックだけ、仕事上読む雑誌は、この「緩和ケア」と海外のジャーナルのみです。自宅や医院に自動的に(勝手に)送られる様々な雑誌には目を通すことなくそのまま読まずに捨てているのです。でもブログなら、読まずに捨てられることはないのです。雑誌よりもブログの方が少しはましなのです。では、僕の今回の悩みにお付き合い下さいませ。
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「寝たきりの患者さんの倦怠感にモルヒネを投与するというのは、どう思いますか?」私がかつて働いた緩和ケア病棟の看護師から、久しぶりにメールが来た。メールをくれた看護師もまた緩和ケア病棟を離れ、別の地域のホスピスで働いている。また別のホスピスで働く看護師からもほぼ同時期に「新しく赴任したドクターは、がんの倦怠感特に『身の置き所のなさ』を訴える患者さんに少量のモルヒネが効くといって投与するのだが、本当にこういう方法は『あり』なのか」とメールが来た。私は、「倦怠感」、「モルヒネ」という話に二つの事を思い出した。

一つ目は、嫌な思い出。医者になって数年してから、内科の若手医師として勤務していた病院の指導医が、ある肺がん患者を担当していた。時はまだ99年頃、緩和ケアという名前もほとんど認知されていない頃だった。癌の苦痛にもまだ十分対処できず、使える薬もほとんどなかった。その患者が、休日に私が病棟で自分の患者を回診しているときに突然強い苦しさを訴えた。「しんどい、しんどい、体がどうにもならないくらいしんどい、助けて」という声が部屋の中に入ると聞こえた。今までと全く違う体の感触に患者は苦しんでいた。まだ医師としての経験が浅かった私は、担当していた指導医に連絡し、どのように対処したら良いのか指示を仰いだ。「まずとにかくソセゴンを注射しておいてくれ、すぐに行く」と。 指示されたとおりソセゴンを注射しても、全く状況は変わらず患者は冷や汗を顔一杯に浮かべてとてもつらい顔をしていた。
側にいる家族もとても厳しい表情で、何とかしてくれ、助けてくれと言うが、私はそれ以上どうすることも出来ずに部屋で立ち尽くしていた。その時指導医が病室に現れ、「とにかく、このつらさ、この状況を楽にしよう」と本人と家族に説明し、ステロイドの点滴静注をした。しかし、結果は全く得られず、患者は同じように苦しみ続けた。その声も段々と小さくなり、ベッドで座り込んだまま、荒い息づかいで苦しみ続けた。下を向いたまま、しゃべることも出来なくなった。あらゆる注射に反応しない状況を部屋で見ていた指導医は、「モルヒネの注射をする」と家族に説明した。

そして、モルヒネの注射を点滴ではじめた。数時間毎に患者を見ても、その状況は変わらず、酸素投与のためにマスクを装着されたままの患者は、意識がある状態で、傍目にも明らかに苦しそうな状況のままであった。すると、指導医はモルヒネの量をさらに増量した。 ほとんど眠れない夜を過ごした患者は、やはり次の日も苦しそうにしていた。指導医は前日の倍量のモルヒネを投与することにした。すると、患者の呼吸はゆっくりになり、幾分意識は落ちたようだが、その様子はどことなく苦しそうにみえた。また、呼吸回数が少ない呼吸と不自然な眠り方であった。しかし、他に為す術もなく指導医はさらにモルヒネを増量しながら患者は最期の数日を過ごした。

二つ目は、苦々しい思い出。今から思うと緩和ケアも変わったと思う研究の結果のこと。私と、勤務していた緩和ケア病棟も参加し2004年に調査した、鎮静の安全性や倫理的な対応についての観察研究の結果がある[1]。この研究では持続的かつ深い鎮静の対象となった症状として倦怠感がトップであった。この結果は、最近の鎮静の研究から考えるととても不思議な結果である。通常、鎮静の対象となる症状は、せん妄、呼吸困難、痛みが多い[2]。またこの論文でも言及しているように、倦怠感と臨床医が認識した状況は、せん妄を過小診断した結果である可能性があり、終末期の不穏を倦怠感と誤認しているのではと考察した。この論文以外に、オランダで2008年に調査された研究でも倦怠感がトップであった[3]。オランダでは、2005年にRoyal Dutch Medical Associationが国内での鎮静のガイドラインを整備しており、以降活発に普及、啓発、研究がなされている[4]。
さて、この調査では、医師の68%は在宅医療の従事者で、看護師は病院、施設/ホスピス、在宅の順であった。この調査ではなぜ倦怠感が鎮静の対象となる最も多い症状であったのかは考察されていない。もしかしたら、以前の日本での調査と同様、緩和ケアの系統的なトレーニング、教育がなされていない一般臨床医師、看護師は、やはり終末期のせん妄、不穏を倦怠感と誤認する可能性はないだろうか

「寝たきりの患者さんの倦怠感に、モルヒネを投与するというのはどう思いますか?」という看護師からのメールを見て思い出したこの二つの思い出から、以前の臨床の現場で私が感じていたこと、今振り返って感じていることを整理して共有したい。

まず、かつて経験が不足し、緩和ケアの十分な教育がなされていなかった1990年代の耐えがたい苦痛への対処方法についてである。終末期の鎮静に限らず、苦痛の強い内視鏡検査でもまだ日常的に鎮静がなされていなかった頃、苦痛の対処はソセゴンで、いよいよ末期になるとモルヒネであった。今のように比較的状態のよい患者の主に痛みに対してモルヒネを調節して、経口薬を投与するというのではなく、終末期の耐えがたい苦痛、「身の置き所のなさ」を呈する患者にはモルヒネを持続投与していたかもしれない。つまり、2014年の現在から振り返ると、治療不応性の苦痛に対して、モルヒネを投与することで、深く、持続的な鎮静を行っていたということである。ミダゾラムを病棟で使うという実践は、人工呼吸器を装着していた患者以外では考えられない選択であった。

従って、苦痛の緩和のためにモルヒネを増量していたのである。以前に苦痛緩和を目的に投与していたオピオイドの増量による鎮静は、日本のガイドラインでは鎮静として位置付けられている。(注; 鎮静の定義のうち②に該当する。「①患者の苦痛緩和を目的として患者の意識を低下させる薬剤を投与すること,あるいは,②患者の苦痛緩和のために投与した薬剤によって生じた意識の低下を意図的に維持すること。」引用元)またオピオイドでの鎮静は推奨されず[引用元]、オランダのガイドラインでは不適切と指摘している[4]。その理由として、思わぬ副作用が生じる可能性があることと、十分な鎮静効果が得られないこと、が指摘されている[4]。また実際に私が経験した患者も、モルヒネの増量での眠りは不自然で、家族の目から見ても苦痛が軽減したとは感じられなかった。
個人的には、モルヒネもまたハロペリドールも同様に、苦痛が緩和されるのではなく、患者は苦痛を伝えられなくなるだけで、苦痛を感じ続けているのではないかと経験から感じている。やはり、苦痛緩和を目的とした鎮静にはミダゾラムが第一選択であると再認識した。 さて、かつて一緒に働いていた看護師が今いるホスピスでは、この鎮静、特に浅い鎮静をモルヒネの投与で行っているのではないかと直感的に思った。またその看護師も現場で同じ事を感じていたようだ。なぜミダゾラムを少量例えば1日5mg程度で投与しないのだろうかと不思議に感じた。そして、倦怠感にモルヒネを投与された患者は、どういう体験をするのだろうかと正直気の毒になった。

次に、「寝たきりの患者さんの倦怠感」、「身の置き所のなさのある倦怠感」というのは、実はせん妄による興奮、終末期の混乱、不穏の状態を臨床医が誤認しているのではないかと考えた。ぴんとくる話としてもう一つ、1990年代に調査された鎮静の論文は、2000年代の論文と比べて頻度が高いことがある。1990年代には、50%近くの鎮静実施率を報告している国内の調査もある[6]。私が緩和ケア病棟で勤務し始めたのは2002年で、その頃はまだ十分にせん妄について理解されていなかった。今のように、がん患者の終末期にはほとんど出現し、また亡くなる過程の一部であるという認識はなく、がんの痛みと同じように、緩和可能な症状であると考えていた。そのため、家族にもせん妄の事を十分に説明できず、どちらかというと、病棟で使っている薬で患者の状態を悪くしているのではないかと考えて、毎日のように使う薬の量、種類を変えることも度々であった。

そして、患者の「しんどい、しんどい」「つらい、つらい」という言葉を倦怠感の表現と考え、ステロイドを大量に投与していたこともあった。今から考えると、ステロイドもせん妄の増悪因子であるため、さらにせん妄を悪化させ、そして鎮静の対象となっていた可能性があったと感じている。何人かの同僚も、当時と今の実践を比較したとき、やはり同様の印象を持っているようだ[7]。せん妄の状態を倦怠感の増悪と誤認し、ステロイドを投与した結果鎮静となってしまう、マッチポンプのような状態である。そして、以前の緩和ケアでは実際にそのような状況があった。

また、入院のがん患者のせん妄のリスクを高める原因として、ステロイド(デキサメサゾン15mg以上)、オピオイド(モルヒネ90mg以上)、ベンゾジアゼピン系薬剤(ロラゼパム2mg以上)が指摘されている [8]。ステロイドと同様、不要なオピオイド投与はせん妄を誘発させる可能性があることから、倦怠感にモルヒネを投与するという治療は、今の私にとっては考えられない治療である。なぜなら、以前倦怠感と思い投与したステロイドが、せん妄の患者をさらに苦しめていたのではないかという深い反省があるからである。 さて、「倦怠感」・「身の置き所のなさ」にオピオイドの投与はありか・なしかについて、私はこの15年余りの緩和ケアの進歩を振り返りながら、反省を込めて心から「なし」と答えたい。そして、もしもかつての私のように「倦怠感」・「身の置き所のなさ」にオピオイドの投与を実践している医師は、どうか他施設で緩和ケアの実習、見学をし、自分の臨床を見直して欲しいと切に思う。自分が標準的な緩和ケアを提供していると信じている医師は多いが、自分自身の臨床を検証し他の医師からスーパーバイズを受ける機会をきちんと持っている医師は、それほど多くないであろうと思うからだ。「倦怠感」・「身の置き所のなさ」にオピオイドの投与の話を聞き、そんなことを考えた。

今考えると、この「倦怠感」・「身の置き所のなさ」にオピオイドの投与は、鎮静の偽装だったと思う。治療の意図は、苦痛の緩和だけではなく、意識の低下の二つがあるからだ。苦痛を緩和したらついでに、意識の低下があったわけではない。どちらも意図しているのだ。ならば、鎮静を主題に患者、家族と医療者が向き合わないと、「最期はモルヒネを注射され、楽にはなったが意識をなくされてしまった。あのような最期で良かったのか」という遺族の声に向き合えないだろう。

引用文献
1) Morita T, Chinone Y, Ikenaga M, et al. Efficacy and safety of palliative sedation therapy: a multicenter, prospective, observational study conducted on specialized palliative care units in Japan. J Pain Symptom Manage 30; 2005: 320-8.
2) Maltoni M, Scarpi E, Rosati M, at al. Palliative sedation in end-of-life care and survival: a systematic review. J Clin Oncol 30; 2012: 1378-83.
3) Swart SJ, Brinkkemper T, Rietjens JA, et al. Physicians' and nurses' experiences with continuous palliative sedation in the Netherlands. Arch Intern Med. 2010 Jul 26;170(14):1271-4.
4) Verkerk M, van Wijlick E, Legemaate J, et al. A national guideline for palliative sedation in the Netherlands. J Pain Symptom Manage. 2007; 34: 666-70.
5) 日本緩和医療学会. 苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン2010年版. 金原出版、東京、2010.
6) Kohara H, Ueoka H, Takeyama H, Murakami T, Morita T. Sedation for terminally ill patients with cancer with uncontrollable physical distress. J Palliat Med. 2005 Feb;8(1):20-5.
7) Kohara H. personal communication 6, Dec, 2014.
8) Gaudreau JD, Gagnon P, Harel F, Roy MA, Tremblay A. Psychoactive medications and risk of delirium in hospitalized cancer patients. J Clin Oncol. 2005 Sep 20;23(27):6712-8.

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2015年4月 7日 (火)

「緩和ケアの専門クリニックに紹介すると、がん患者の救急外来の受診は、どの位減らせるのか?」

New_mp900400456_shinjoclinic3_20121 毎日、外来と訪問診療(往診)でがん患者に専門的な緩和ケアを提供しております。また週に1回は、急性期病院で勤務しております。患者を紹介する側、紹介を受ける側の両方での仕事を同時にしながら色々なことを考えています。
急性期病院の立場からは、できる限り紹介したがん患者の不測の救急外来への受診を減らし、入院を抑制したいと考えます。そのような論文を探してみました。丁度昨年のBMJでちらっと見た論文をじっくり読んでみました。

地域の専門緩和ケアチームに紹介した患者の動向についてのカナダ、オンタリオのレポートです。

在宅で緩和ケアを提供されることで、病院への救急外来の受診は減らせる結果でした。 対象患者のうち80%はがん患者でした。78%は自宅でエンドオブライフケアを受けていました。専門的緩和ケアを自宅で受けていた患者(n=3109) のうち、970人( 31.2%) は入院、896人 (28.9%) は救急受診をしました。緩和ケアを受けていない患者 (n=3109) のうち、1219人(39.3%)は入院、1070人(34.5%)は救急受診をしました。(亡くなる前2週間) ということで、在宅で緩和ケアを提供しても入院、救急受診を減らせますが、30%は病院に戻ってくる(搬送する)のです。差はありますが、大きな差ではありません。
またアメリカ、MDAndersonのレポートでは、
200人の患者を調査し、救急外来の受診を避けられたと検証した患者は46人、23%でした。痛みの悪化が一番受診の多い理由でした。意識状態の変化、発熱、出血は救急外来の受診は避けられず、感染、神経学的異常、癌による呼吸困難は救急外来の受診が避けられない患者の診断結果でした。救急外来の受診を避けられたであろう患者は、便秘のための受診、鎮痛薬が不足したため処方を受けるためのでした。
やはり紹介をする側にとっては、30%の患者は紹介しても再入院、救急外来受診をすると考える必要があります。また在宅緩和ケアを提供する側は、便秘と処方不足で病院を受診することはないようにしなくてはなりません。

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