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2015年2月17日 (火)

家庭の中の「異界」

8256068535_2a7a9ec882_b 最近、自分のリビングが一番落ち着かない場所になっています。その理由は、子供の声なのです。子供達が遊んでいる無邪気な声ではありません。子供達から厳しいと思われている僕でも、さすがにそこまで偏屈ではありません。
実は、コンピューターゲームをしている子供の声が僕の心を落ち着かなくしているのです。

今どきの子供達は、僕が子供の時と同じく、ゲームが大好きです。 僕が小学校の頃は、近くのゲームセンターに10円玉や100円玉を握りしめて足繁く通い、TAITOやNAMCOのゲームに興じていました。また当時はまだ珍しかった家庭用のゲーム機も出始めており、テーブルテニスや、ブロック崩しを家庭用のテレビで遊べるようになっていました。学校が終わると友達の家に集まり、みんなで代わる代わるゲームをしていたのを思い出します。友情はゲーム機の引力で結集していました。そして、ファミリーコンピューターが登場し、対戦ゲームを家庭でするようになりました。それまで、広場で野球や鬼ごっこといった子供らしい遊び方をしていた僕らも、ゲームセンターや、家庭内のファミリーコンピューターで遊ぶようになりました。遊び方に良い悪いはありませんが、ゲームに興じる僕らを親はどんな風に思っていたのでしょうか。 そして、時代は変わり僕も親となりました。昔あれほど熱中したゲームもある時から面倒になりました。時折iPhoneではまるゲームがあっても、すぐに飽きてしまうようになりました。(ダンスダンスレボリューションやドラゴンクエストのiPhone版にはまったのでした)それでも良いオトナでもツムツムといったLINEのゲームにはまる人たちも大勢います。子供達は、WiiやPlay Stationといった高性能の家庭用ゲーム機で僕が子供の頃とは比べものにならないほどのグラフィックと、世界観の大きなゲームで遊んでいます。

家庭内でゲームをするのには、我が家には二つのルールがあります。居間に置いてあるテレビで、予め決めた時間(平日1時間、休日2時間、え?厳しい?)で楽しむことです。ゲームは楽しいのですが、決めたルールで楽しむことは、将来のパチンコを含めた、あらゆる依存性の高い遊技との付き合い方を訓練するためと、我が過去を反省して、躾けているのです。「自分の子供の頃はどうだったの?」と妻に言われると絶句してしまうのですが、自分を棚上げにして、自分と同じ轍を踏まぬよう口酸っぱくして子供に接しているのです。ああ、何たる身勝手。 毎晩のように、また休日のほっと一息つきたいときも、居間でゲームの電子音と共に子供の嬌声が聞こえてきます。その事自体はそれほど不快ではないのです。自分が新聞やテレビ、本に没頭し、選択的に聞きたくない音を遮断すれば良いのですから。しかし、どうしても遮断できない音があるのです。それは、子供の他人と話す声です。ゲームをしながら他人と話しているのです。

どんな状況か少し説明が必要でしょう。 僕がゲームセンターや家庭内でゲームに興じていたときにも、友達と嬌声をあげながら楽しんでいました。「そこで撃て!」、「あー、そうじゃなくて」などなど。相手がいる嬌声でした。しかし、今の子供達は各家庭で高性能の家庭用ゲーム機で、ネットを通じてマルチプレーヤーである世界を探検しながら、自分と友人のアバターが登場人物となる「ネットーゲーム」を楽しんでいるのです。今やゲームセンターは廃れて、子供達が集まる場所はなくなりました。しかし、コインを投入せずとも、同じ場所に集まらなくても子供達は、「集まって」いるのです。そして、スマートフォンのSkypeでグループ通話をしながらゲームをするのです。お互いの姿は見えませんが、ゲーム上では友人達と集まり、そして肉声で通話しているのです。しかし、その通話は家庭の居間では強い違和感を伴う「異界」が入り込んできたような様子になるのです。 以前から感じていた、この不快感と違和感をちょうど期間限定企画の「村上さんのところ」で取り上げていました。このサイトは、読者のメールに作家の村上春樹が答えていくという魅力的な企画です。僕も毎日の密かな楽しみにしています。毎日新聞でもその魅力が紹介されました。

村上春樹は、電車内の携帯電話についてこんな風に表現しています。

「理由はよくわかりませんが、僕の場合、電車の中で携帯で話している人の話を聞いていると、なんだかその空間に「異界」がぐいぐいと無理に入り込んできたみたいで、落ち着かない気持ちになります。人と人とが生の声で話していると、「うるさいな」と思うことはあっても、異界性みたいなものは感じられません。」

僕も同じ理由で、電車の中で電話で話す人、マイク機能の付いたイヤホンで話しながら散歩している人、ハンズフリーのイヤホンを耳に入れたタクシードライバーが目を宙に浮かしながらコンビニで話している姿、いつも強い違和感を感じていました。そして、子供がネットゲームをしながら友人と通話しているのをみていると、同じ違和感を強く感じてしまうのです。そんな時、僕は自分の家にいながら、子供の周りだけ磁場がかわってしまい、何だかわかりませんが、その声から逃れたくなるような気持ちになるのです。こういう生理的な不快感をどう処理したら良いのか今のところアイデアはありません。

しかし、最近は子供がゲームに興じている間、空き部屋となっている子供部屋の勉強机でこうして本を読んだり、文章を書いたりしています。それも何だかおかしな状況ですが、子供部屋にゲーム機を持ち込まれるよりましかと自分の心を慰めているのです。

皆さんのご家庭には「異界」は出現していませんか?

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