« 2014年5月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年6月

2014年6月23日 (月)

病気は誰のもの?

Picture


ホスピスでの10年を終えて開業し、在宅医療の分野で2年が経とうとしています。ただひたすらに業務を軌道に乗せるために奔走していた時期は過ぎ、自分の中で何が変わったのか振り返ることができるようになりました。そして、一つの大切なことに気がつきました。「病気は誰のものなのか」ということです。そのことを考える上で、まず僕がホスピスで働き始めてから感じていたことを少しお話ししようと思います。

ホスピスで働き始めた頃、痛みを麻薬できちんと緩和すれば、患者はきっと豊かな生を全うし、苦しみのない死を迎えられると信じていました。しかし、そんな思いはすぐに打ち破られることとなりました。麻薬で痛みを緩和しても、2番目の苦痛が1番になる。痛みが過ぎれば吐き気に困り、吐き気が過ぎれば食欲不振に困り。そして何と言ってもせん妄と不眠です。身体の状況が悪くなるに従って、精神の状態も揺らいできます。夜中ずっと動き続ける患者にどう対応したら良いのか、うわごとを言い続ける患者にどう言葉を返したら良いのか分からなくなってしまいました。

新しい苦痛に遭遇する度に新しい薬を増やしていっても、患者の状況は全く良くならないと気付き始めていました。10の苦しみは、10錠の薬では緩和できない。そして「死にたい」「もう楽にして」と患者に言われる度に、薬では彼らの苦しみに対処できないことも分かっていました。患者の苦しみに向き合うのが徐々につらくなって「痛みが軽くなったのだから、これで許してくれないか・・・」と考えました。身近に相談できる人もおらず、患者の苦しみをまるでタマネギの皮をめくり続けるような気分で追いかけ続けていたのでした。

行き詰まっていました。教科書を読んでも論文を読んでも、何が自分に足りないのかさっぱり分からなくなっていました。そんな時、ある研修会に出席したことをきっかけに、ホスピス、緩和ケア病棟で働く医師のメーリングリストがあることを知ったのです。その中での討論を通じて、日々の疑問や行き詰まりを相談できる場所が徐々にできてゆきました。そこで分かったことは、「自分が苦しんでいること、困っていることは、日本中、世界中で苦しみ困っていることなのだ」ということでした。

専門看護師の研修、研修医との交流、そして研究、研鑽を続けることにより、自分もそして所属する病棟でのケアや治療も洗練されていくことを実感していました。むさぼるように緩和ケア系のジャーナルを読み、使えそうだと思ったことはどんどん実践しました。以前のように「痛みが軽くなったのだから、これで許してくれないか・・・」と考えることはなくなり、「あと一歩でも前に進むにはどうしたらよいのか」を考えるようになりました。迷いも悩みもありましたが、充実した日々でした。取り切れない患者の苦しみに向き合ったときも、決して自分が無理なことは、他でも無理などと傲慢に考えることはなくなりました。きっと自分の悩みはみんなの悩み。他でも困るんだろうな、そんな風に思うだけで、少しでも何かできることを探そうという気持ちになれたのでした。

こうして病棟の活動が充実し洗練されるにつれて、新たに不思議な違和感を感じ始めました。病院も機能評価(病院の質の向上を目指す取り組み)の大波の中、ホスピスの病棟でも様々な変化が生まれていました。患者の腕には名前とバーコードの書かれたバンドが巻かれ、夜にふらふらと転んでしまう患者のベッド脇には、踏めば鳴るセンサーマットが置かれるようになりました。患者の状態を「見守る」のではなく、「見張る」ようになっていったのです。

病院の中で転んでけがをすれば、病院の責任と考えるようになり、転んだだけで家族に対して謝罪するようになりました。

病院の中で起こることは、病院の責任。

こういう考え方が広まるにつれて、僕自身は病院での活動に窮屈さを感じるようになっていきました。ホスピスでは、患者の状態は毎日少しずつ悪くなっていきます。そんな病状の悪化をまるで自分の責任のように感じてしまうようになっていたのです。例えば、痛みが悪化したときには、自分が何か見落としをしていたのではないかと考えるようになりました。

痛みの治療はまるで自分の落ち度を取り返すかのような行為になりました。「痛み止めの麻薬を使うと便秘になる方が多いのです」と予め患者に伝えることはもちろん重要です。しかし、自分の心が本当に望んでいることといえば、予め伝えることで、後からおこる災いは自分のせいではないと考えたいということでした。薬が悪いのであって、その薬を選んだ自分は決して悪くない。患者の状態が悪くなる責任は自分にはない、そのことを確認しておくために話していたような気もします。

いつの間にか患者の病気を自分のもの、病院、病棟のものの様に考えるようになってきました。

患者が急変すれば、何が欠けていたのか、何がなされていなかったのかを考えすぎてしまい、最後には「しかたがなかった」と自分に言い聞かせる。家族に、「なぜこんなに苦しんでいるんだ。ここは苦しみをとる病棟のはず。」と言われれば、すべて自分に責任があるように考えてしまい、その治療に追われる。何かがおかしいと思っていましたが、その時には気がつくことはできませんでした。息が詰まるようないやな感触がいつも自分に残り、患者を怒らせないだろうか、家族にクレームを言われないだろうかと気にすることもありました。
病院で働いていたときは、患者や家族の怒りにうまく向き合えませんでした。怒りが怖かった。患者が患者自身の境遇や苦しみ、業のために怒っていても、病院の中で怒っていればその怒りは自分にも関係があることなのだと思ってしまっていたからです。病院を離れた今ならそのことがよく分かります。時々、患者の怒りを扱うシンポジウムがありますが、患者の怒りを理解するというよりも、患者を怒らせないようにしたいという医療者の思惑が見え隠れしていることに気が付きます。

ホスピス病棟の活動の充実と洗練は、別の形でも違和感を帯びてきました。苦痛を最小化するケアと治療はとても重要なのですが、いつの間にか患者の生き方というより死に方を管理するようになってきたと感じていました。「豊かな生を全うし、苦しみのない死」を目指すことから、「笑顔と満足にあふれた生から移行する快適な死」を目指しているのではないかと錯覚するようになってきました。病棟での過ごし方、亡くなり方にも何らかの欠損があれば敏感に察知し、「外出させたらどうか、外泊させたらどうか」とカンファレンスで話し合い、「苦しんでいるからできるだけ苦しまないようにきちんと鎮静して最期を過ごさせてあげなくては」と治療の提案がされる。決して間違っていないのですが、何かがおかしい何かがおかしいと考えていました。でもこの時は何がおかしいのか分かりませんでした。

そして、開業し2年が経とうとしている今、「患者の病気は患者のもの。医者や病院が取り上げてはいけない」と思うようになりました。「患者の苦労を取り上げてはいけない」と開業前に取材に行った北海道、浦河町のべてるの家で聞かされました。

今はその意味がよく分かります。病院では、知らない間に患者の苦痛や経過に対して責任を強く感じすぎいつの間にか患者の病気を取り上げていたのかもしれません。在宅医療の実践では、病気も経過も患者のものです。何かあれば誠意を尽くして対応しますが、自分の中の罪悪感はなくなりました。
夜中に「急に痛みが強くなってきました」と患者から連絡があっても、ホスピスで働いていたときのように、「申し訳ない、自分の治療が不十分なために苦しい目に遭わせてしまって」と考えることはなくなり、「痛みで苦しんでいるなら、すぐに対応しましょう」とただそれだけを考えるようになりました。そうすると患者の家に駆けつけたとき、家族から責められるような目で見られることはなくなりました。ホスピスで感じていた、「ここにいるのに苦しめられるのはおかしい」という家族の目を感じることもなくなりました。「こんな遅い時間に助けに来てくれてありがたい」と患者も家族もただただ自分のことを受け容れてくれるようになったのです。

病気は患者のもの

当たり前のことですが、病院ではいつの間にか自分が病気を取り上げてしまい、患者、家族のものとして考えられなくなっていたようです。もしも、僕と同じように病気を患者から取り上げて苦しんでいる医師がいるなら、もう一度患者に病気を返してみてはどうでしょうか。「今の痛みはどの位ですか。今の毎日に満足していますか」と患者の苦しみを引き受け管理するのではなく、「何か私ができることはありますか」とか、「この病気には困ってしまうよね」と患者に病気をお返ししてみて下さい。

努めて日常的に会話の中で意識しないと、すぐに病気を患者から取り上げてしまう悪い癖が出てきます。この癖は病院で働いていると身体に染みついてしまっている癖なので、最初は手放すことが難しいかもしれませんが、きっとできるはずです。その時には、一皮むけた新しい自分に出会えるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月 6日 (金)

苦悩する医師への緩和ケア

昨日の市内のとある病院で行われたカンファレンスに、ゲストスピーカーとして参加しました。

外科のドクターが「何とかしよう」と力を尽くした手術が予想よりもうまくいかず、経過が悪かったがん患者さんの話でした。メスを入れた外科医は、患者の身体と病状、命に対して大きな責任を負ってしまう。その結果、患者以上に病状の悪化に対する否認が強まり、「いったいわたしどうなっているの」という患者と向き合えなくなる。とても悲しい話です。

私も医者になってすぐ脳外科医をしているときに、同じような状況になったことがあります。延命治療、過剰治療はこういったときに始まります。自分のできる技術と知恵で患者を救おうと思うと、どうしても外科医は手術を繰り返してしまいます。「何もしないこと」が最善とは考えられないのです。術後の経過が悪く、無用な検査を繰り返し徐々に時間が経っていく。何をしても成果が出ない苦しみと焦りが、患者にも医師にも広がっていきます。

そして、一番身近な医師はもう後には引けない。前にも進めない。患者、家族と向き合えなくなる。 そんなときにどういう助けが必要なのかをお話ししました。病棟の看護師はいつも患者、家族と医師の板挟みに困っているので、そういった医師と患者がコンフリクトしている状況はそっと教えてくれました。私はいつも、「隣の患者を診察していたとき苦しそうでしたので・・」と無理矢理とも言える方法で、担当医と話す糸口をつかんでいました。

その医師の邪魔にならないように、その医師が査定を受けているような気分にならないようにまずは関わりを持っていく。そして、その医師の負担感、苦悩を軽減していくように関わっていく。 「先生が手術をしている間、外来で忙しい間、患者さんとじっくり話をしてきます。内容はお手すきの時に報告します」と語りかけ、担当している医師に関わっていくようにしました。患者も医師も病識がなければ自分から進んで助けを求めないものです。

緩和ケアを始めようと思ったら、相手からのサインを待っていては始まらない。
徐々にでも外科医は心を開き、自分なりにベストを尽くしても結果が出ない苦悩を話すようになります。それから患者にも緩和ケアを提供する私自身の関わりを徐々に増やしていくようにしていました。外科医は一人間として患者と向き合えるように、つまり「お見舞いを熱心にする、親しい大切な人間のひとり」になれるように、私も努めるのです。外科医のやり方を裏で揶揄したり、看護師にぼやいてはなりません。

Picture01001
こうして、医師の苦悩を軽減することで初めて、患者や家族の苦悩を軽減することが「始められる」と思い、仕事をし続けています。苦痛のトライアングル(図)の、どこからでも手が付けられるのです。患者、家族を救うには、そばで苦しむ医療者からまず手助けすることが、実は一番早道で成果を出しやすいと思います。
そして、大きな病院での勤務医を辞め開業した今も、一番身近で責任と苦悩と強く感じている医師がもしいるなら、訪問診療や外来診療を通じてその医師の力になれないかと試みています。

医師への緩和ケアは、患者への緩和ケアの入り口です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年5月 | トップページ | 2014年8月 »