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2014年5月 9日 (金)

人はちゃんと亡くなる力を持っている

以下の内容は私の経験に基づいて書かれていますが、私の心の中での出来事(image)です。そして、個人情報保護の観点から患者背景を改変しています。
この文章を今は亡き患者さんとご家族に捧げます。ご家族にとって特別な1日を共に過ごさせて頂きました。まず感謝します。
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医者になってから、2000人以上の看取りに関わってきたが、やはり人の最期は不思議だ。彼らはいつも自分が亡くなるのを分かっているとしか思えない。ついさっきも一人の癌の方の看取りをしてきた。その時に感じたことを書き留めておこうと思う。
少し前のことだった。「先生を呼んでくれ」とその方は家族に伝え、それに従って電話がかかってきた。「とにかく一度先生を呼んでくれと本人が話しておりまして」とご家族も何をどう伝えたら良いのか分からないご様子だった。偶然とは不思議なもので、ちょうどその方の家の近くを往診で回っていた。電話を頂いてから1時間もしないうちにその方の家に着き診察をすることができた。
わずか10日前とは全く状況が異なり、変わり果てた姿だった。ご家族に聞くと数日前から急に具合が悪くなったという。亡くなる時期が近くなると、不思議と顔が小さく見えるような印象になる。これは全く経験的なことだが、どういう訳か小さく見える。もちろん病気のために体が急にやせた結果なのかもしれないが、調子が良かった顔、体と比べるとしぼんでしまったような印象になるのだ。
その方はきちんと話もできるし、表情もいつもと変わらない。しかし、食事が食べられなくなり、そして全く立ち上がりができない状況なのだ。ご家族はこの数日の変わりように驚きながらも、不思議とどこか落ち着いていらっしゃる様子だった。
本人に聞こえない場所でご家族は私に、「もうそれほど長くないのなら、このまま家で看てやろうと思っているんです」と話された。ご家族よりもむしろ私の方が驚きを隠せず、10日前の様子と比べながら、いったい何が起こっているのかよく分からないがとにかく、「急に病気の方が悪くなっているようです。これから、短い間に亡くなると思いますが、色々と手引きしますので、それなら一緒に家で看ていきましょうか」と話した。内心は、全くこれからどのくらいで亡くなるのかはっきりと分からなかった。
癌で動けなくなればもう1ヶ月はないだろう、その程度にしか今後の見通しがわからなかった。また、何かしら確かな計算があるのは、末期癌のしかも1ヶ月から2ヶ月以内を予測する方法のみである。癌以外の病気に関しては、治療によってもしかしたら回復するかもしれないという思いが、医師の頭の中では駆け巡る。未来が未確定で、予測が不可能な状況では、「延命治療」と「積極的治療」との線引きは医師自身にはできない。今、目の前の患者に最善なことは何かを考えて対応することしか、現在を生きる医師にはできない。
またこの時の私のように、患者の調子が良い時期を知っていると、判断は必ず鈍る。「少し前はあんなに元気だったのだから、きっと治療をすればあのときに戻れるのではないか。戻れないとしても、ある程度の回復は見込めるのではないか」と冷静な判断がしにくくなる。以前働いていた病院では、外科医が自身で担当する患者を最後まで診察する機会も多かった。実際に患者の手術を担当した医師は、患者の状態が悪くなったときも、「もう一度自分の力で元気な姿に戻したい、いや戻ってもらいたい」と強く願うことが多かった。当然である。患者の命に責任を感じ、どこかで今目の前の患者の姿は仮の姿で、適切な治療を施せばまた前の状態に戻れると真剣に思っている。
医師は患者の予後を、実際よりも長めに判定する傾向があるのだ[1]。
私も同じであった。10日前の状態が記憶に新しく、現実の状態に戸惑い、判断が鈍る。「もうこの家でずっと過ごしたい」としぼんでしまったその人ははっきりと話した。そう、この人はもう分かっているのだ。私は体を触り診察し、どこかでもう数日以内かもしれないとは思いながらも、家族を前にして、「1ヶ月以内かもしれません。今はまだ分からないけど・・・」とはっきりと話すことができなかった。家族は何となく残された時間、これからのことが私よりも分かっているかの様子だった。「先生、覚悟はできていますから」はっきりと家族は答えた。
いつも自分は、患者、家族の虫の知らせに従って仕事をさせて頂いている感じだ。最近のヨーロッパの研究だが、亡くなる前にどんな兆候があるのかという専門家による討論でも、呼吸状態の変化や皮膚の変化、意識の状態だけではなく、「家族の直観」や「医療者の直観」が討論に取り上げられていた[2]。しかし家族の直観の方が医療者の直観よりも的確であることが度々だ。
そして、今回もそうだった。不思議と眠れない夜だった。確かに心配事があるためかもしれないが、いつもはすぐに眠れる私だ。朝早くに電話が鳴り全てを悟った。「呼吸がしにくい、先生を呼んでほしいと言っています」とご家族の声。すぐにベッドから出てその方の元に向かった。
私が到着すると息を引き取ってからすでに5分が経っていた。ご家族はその方の手を握ったままで、ずっと声をかけながら傍らに座っていた。その状況に驚いてその場の雰囲気になじめないのは私だけだった。ご家族はその方の死のつらさや、別れの悲しみ、急変の驚きよりもまず、看取りの達成に満足している様子だった。そして、私への感謝を繰り返した。「本当に先生で良かった」「ありがとう」私は戸惑ってしまった。自分は何もしていない、その方が家族に私への連絡を求め、そして私はその方の状況を家族に伝え、ほんの少しだけ専門的な仕事、例えば死亡診断書の発行をしたに過ぎない。そう、私はその方のために、もっと何か大きなものにその場へ遣わされている気がしてならなかった。
10年以上終末期医療の分野に専念し、これだけ経験を積んできても、本当は人の余命を正確に予測することはできない。せいぜい人よりも少しだけ、今何が起きているかわかるだけだ。そして本心から思う。終末期の判定なんて医者には無理だ。「いつか近いうちに亡くなるだろう」程度の予測の根拠なんて、全く科学的ではない。科学的ではないということは再現性がないので、医者によっても立場によっても予測が変わる。その患者と自分との関係性、自分の死生観、自分のその時の気分によっても予測が変わってしまうのである。医者は命の不可思議に対して、もっと謙虚であるべきだとつくづく思うのである。
そう、人はちゃんと亡くなる力を持っているという先達の言葉通りだ。私も含めて医師は患者の死を操縦している錯覚に陥ってはならない。死を管理してはならない。
1) Glare, P, Virik, K, Jones, M, Hudson, M, Eychmuller, S, Simes, J, Christakis, N, A systematic review of physicians' survival predictions in terminally ill cancer patients., BMJ, 327, 7408, 2003
2) Domeisen Benedetti, F, Ostgathe, C, Clark, J, Costantini, M, Daud, ML, Grossenbacher-Gschwend, B, Latten, R, Lindqvist, O, Peternelj, A, Schuler, S, Tal, K, van der Heide, A, Eychmüller, S, OPCARE9, International palliative care experts' view on phenomena indicating the last hours and days of life., Support Care Cancer, 21, 6, 2013

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