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2014年3月30日 (日)

「患者との特別な日、そして別れ」 後編 最終回

その日からますます結季さんの状態は悪くなっていった。毎朝ホスピスに出勤すると、夜勤の看護師から前夜の報告を受ける。結季さんがその夜は寝付けず、ベッドの上で居心地悪そうに何度も起きたり寝たりしていたことが分かった。私は、内心「ああ、始まってしまった」と思った。そして、その後、彼女の病室に行き確信した。彼女はベッドに横になり明るい朝日が差し込む部屋の中で、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。声をかけるとすぐに目をさまし、「ああ、先生・・・」と小さな声で返事をした。私は、耳元で「昨夜は眠れなかったのですか?何か身体に異変があったのですか」と尋ねたが、彼女は意味が分かるのか分からないのか、「何のことですか」と答え、また寝入ってしまった。その後も声をかけるとすぐに目を覚ますが、まともな会話はできなかった。
その日の夕方近く、看護師が二人がかりで結季さんを部屋にあるトイレに担いで移動していた。「手を貸そうか」私が声をかけると、看護師は慣れた手つきで結季さんを移動させながら、「大丈夫ですから」と断られた。確かに女性のトイレに一緒にはいるわけにはいかない。
結季さんは、看護師二人に左右から担がれながら、どうにかトイレへ移動していた。足には全く力が入らず、手を離せば全く歩けなくなることは、容易に想像できた。それでも、必死の表情でトイレへ移動していた。
しばらく時間が過ぎ、用を足したのか今度は結季さんはベッドに向かって再び、看護師二人に支えられ戻っていった。半時間もすると、またトイレに行きたいとナースコールが押され、さっきと同じように看護師二人がかりで部屋のトイレへ移動が始まった。わずか2,3歩の距離を、少しずつ移動していた。そして、しばらくするとまたベッドへ戻っていった。
私は嫌な予感がした。こののままの状況なら、昨夜と同じように今夜も眠れないだろう。私は軽い睡眠薬の服用を看護師に指示した。
そして、次の日の朝の報告では、昼間と同じように夜も結季さんは寝付くことなく、トイレへ移動しベッドに戻ることを数回繰り返していた様子だった。
そんな日が何日か続いた。トイレへ行くとき以外は、平和に穏やかに眠っていた。看護師が、オムツやベッドの脇に置くポータブルトイレを使うようにすすめ、実際に試してもみたが彼女は一切受け容れず、トイレへ行くことが人生の中で一番大切なことであるかのように、看護師二人に担がれながら通い続けた。亡くなる前の日まで。もうこの頃には以前の結季さんのように、知性的で気の利いた会話や心を通わせる時間は全くなくなっていた。「トイレ」「おしっこ」といった簡単な言葉だけがやりとりされた。
そして数日が過ぎたある日、結季さんの身体には死が近い徴候が現れた。呼吸の仕方が変わり、喉元でごろごろと音がするようになった。目は力なく半分開いていた。もう時間は残っていないと感じた。最近よく看病に来るようになった結季さんのお兄さんにも死が近いことを伝えた。彼女の友人達も集まり、彼女に声をかけていた。しかし、もう結季さんから返事はなかった。そして、彼女の手先、足先は青黒くかわり、最後の大きな息をした。私は、息を引き取ったことを看護師からの連絡で知り、結季さんの病室へ行った。彼女は既に亡くなっていることが一目で分かった。周りの人に看取られての最期だった。私は、「まだこちらに着いてない方はいらっしゃいますか」と、お兄さんに尋ねた。間に合っていない人がいないことを確認した上で、「最後の診察をします」と周りに告げて、脈を取り、目にライトを当て、心臓の音を確かめ、結季さんが亡くなったことを宣告した。「ご臨終です」「今までお疲れさまでした」と最後に彼女に話しかけた。
人の亡くなり方はきっと大昔から同じだろうと思う。亡くなる前にはいくつかの徴候が出てくる。その一つが、落ち着きがなくなり、夜に眠れず、昼間に寝る、そして話すことにまとまりがなくなる。テレビドラマのように、亡くなる最期の瞬間まで意識が保たれ、みんなに別れを言いながら、力尽きがくっと首を垂れるような亡くなり方はしない。健康な意識が昼間の光なら、死の闇に向かう直前は夕暮れのような意識になるのだ。つまり、夢と現実の間を行き来するようになる。話している言葉は、相手に届いているが、意味は通じない。家族の声や私の声は聞こえているであろうが、亡くなりゆく患者の脳では何が映像として見えているのか分からない。もしかしたら調子が良かったときと同じような情景を見ているのではないだろうか。そんな風に思う事も度々ある。
それでも、きちんと情は通じている。相手に確かに言葉は届いている。意味は分からなくても。私は経験から確信している。
そして、結季さんと同じように、亡くなる直前までトイレで用を足そうとする患者はたくさんいる。人間は身体機能を失いながらそれでも残る最後の尊厳とは、トイレで用を足すことではないだろうか、と私はホスピスの仕事を通じて感じていた。衰弱した患者は、人前で平気で失禁することだけは何とか避けたいと思っているようなのだ。オムツ、尿を出すための管を入れること、ベッドの脇に置いたポータブルトイレ、道具としては衰弱した患者にとって合理的だが、一部の患者は安心も納得もしてくれない。介護とは下の世話そのものだとよく言うが、末期がんの患者は、また違った世話が必要だ。患者の尊厳を守るための最後のケアとは、トイレへ移動することの手伝いではないかとつくづく感じている。
実は患者を担ぎ続ける家族や看護師の肉体的、精神的疲労はかなり大きいものだ。自分一人でトイレへ行こうとして、ベッドから転落する患者もホスピスでは日常だ。患者が動くと感知するマットをベッドの脇に置き、看護師が音がする度に駆けつける姿もまた日常だ。5分おきに弱った足でトイレへ行こうとする患者を、頼むからとベッドへ押し戻す家族を何度も目撃した。ぼんやりとした意識の中でも羞恥心を感じる患者の最後の尊厳の砦である、トイレで用を足すこと。どうやって援助したら良いのか。よいケアの方法も見つからず、願わくばと病室内の重力が軽くなる装置を夢想したこともある。テレビドラマのように、死とは美しく順調なものではないのだ。
結季さんが亡くなってもう5年が過ぎていた。私は10年間働いたホスピスを辞め、同じ地域に小さな医院を開業した。自分の天職である終末期医療を患者の自宅で実践する「在宅ホスピス」の仕事に専念するようになった。今も時々、彼女からプレゼントされた切り絵の色紙を眺めながら「無病息災」の意味を考えることがある。彼女が考えていた本当の意味は私には分からないが、病のため床に伏せ、そして亡くなる患者を見守り続ける中で思うことがある。どんな人間も「生老病死」の苦しみから逃れることは出来ない。しかし、老いること、病むこと、死ぬことを受け容れながらも、苦しみを軽減する、いや苦しみを別の何かに変えていくことはできるのではないか。無病息災とは、不老不死の達成ではなく、生老病死の静かな受容なのではないか。そうであるなら、私は医者として、患者の静かな受容の手助けができれば良いのではないか。
これからも私は、乗り越えられないほどの苦しみから患者を救うことに力を尽くし、患者とその家族の最期の生活を見守り続ける。こうして多くの患者と出会い別れながら、医者として実践できることは何か、彼女のメッセージを通じて考え続けていきたい。

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