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2014年3月22日 (土)

「このままでは本当にまずい」

結季さんは、60代後半の大腸がん患者だ。独り暮らしのため家では過ごせなくなり、私が勤めるホスピスに入院していた。腹痛が度々あったが、医療用の麻薬を調節することで、痛みなく過ごせるようになっていた。最初は医療用の麻薬を怖がっていた結季さんだったが、納得できるまで説明し副作用にきちんと対処することで徐々に慣れていった。

「先生が言うように、痛みが来そうなときは、早めに薬を飲むと余り強い痛みにはならないので、段々と怖くなくなりました。ほら、こうしてノートに使った薬や、時間を書き留めてあるのよ」几帳面な字と共に、薬を飲んだ状況がきちんと書いてあった。そのノートを毎日確認しながら、「ちゃんと、どんな使い方をしているかよく分かります。お陰で治療がうまくできます」と、私も彼女が自分の毎日を一歩一歩確認しながら前に進む姿を受け止めるようにしていた。

それまで、「どうして私はがんになったのかしら。ずっと病気にならないように、毎日の生活も食事も気をつけてきたのに」とか、「何の罰があったのかしら。何も悪いことはしていないのに」と嘆く日も多く、考え事をするあまり、夜寝付けないときもあった様子だった。「やっぱり、納得がいかないのよ。何でがんで死んでいかなくてはならないの」という究極の問いを私や看護師に投げかけては、こちらを絶句させてしまうこともあった。

そんな結季さんも、医療用の麻薬を使うようになってからは、身体は徐々に弱りつつあるにも関わらず、自分の感じている痛みと薬の反応を記録することに自分の集中力を注いでいる様子だった。まるで、記録が自分にとって残された時間の中でのいちばん大事な作業のように。私も複雑な気持ちではあったが、病気の苦しみや、死の恐怖に24時間、あの狭い部屋で向かい合っているよりは良いのかもしれないと結季さんの記録と作業を見守り続けた。全ての患者が結季さんのように、自分の状態を見張り続けるようなことはしない。彼女は自分の体調、症状を冷静に記録することで、恐怖や不安から逃れようとしているように思えたし、また自分の不安定な身体と将来を自分の手でコントロールしたい、病気を制圧したいと思っているようにもみえた。

ある日の夕方いつものように一日最後の回診に行ったとき、結季さんに最近作った切り絵を見せてもらった。この頃は体調が悪い日も目立つようになり、昼間に眠っていることも増えてきた。好きだった切り絵も、あまり捗っていないようだった。友人の訪問も段々と短時間になっていた。

そこにはまた、「無病息災」と書いてあった。彼女は穏やかな顔つきで私に、「先生、最近ね『無病息災』の本当の意味が分かったような気がするのよ。ただ病気しないで生きていくという意味だと思っていたけど、ここ(ホスピス) で毎日、先生や看護師さんに支えてもらいながら暮らしている間に、『無病息災』の本当の意味が分かったような気がするの」ととても不思議なメッセージを発した。彼女はいつもとはちがう澄み切った顔をしていた。私は、言葉を返すことなく、「無病息災」の意味を心の中で考え続けた。不思議で、でも大切なメッセージだった。

今までずっと医者として、人の生と死の境目を見つめ続けてきた。毎週のように人を看取っていく仕事を10年以上も続けてきた。自分と心がつながり言葉を交わし時間を共有した患者との出会い、そしてわずかな時間でやってくる別れ、その繰り返しだ。人からはよく「そんな仕事はつらくないのか、どうして亡くなりゆく患者ばかり診療するのか」と尋ねられる。もちろん私にも、医者になって最初の6年間、人を救うことに没頭した年月があった。最初の1年半は、脳外科医として多くの怪我や脳卒中の患者を救命することに日夜奮闘した。次の4年半は、内科として数々の検査技術の習得に夢中になり、ありとあらゆる疾患の患者を診療した。医者になって6年が過ぎた頃から、抗いがたい強い力により終末期医療の分野に魅了されることとなった。死の恐怖におののきながらも、それまでの生を全うし、懸命に生きていこうとする、主にがんの患者の側に立とうとしてきた。最初の頃は、医療用の麻薬でがんの痛みがなくなり、患者に深く感謝されることに夢中になった。亡くなる患者とその家族に精一杯尽くすことで、医者としての喜びを感じていた。患者が亡くなり、その瞬間遺族となった方々から、「先生に出会えて幸せでした」と言われると、自分が医者である喜びと充実感に満たされた。普通の医者から「治らない」と敬遠された患者に、自ら手をさしのべる自分の正義感もあった。

しかし、結季さんとのように心が本当につながってしまう患者との別れは、自分の心にも空虚な喪失感が必ず残ってしまう。終末期医療に専念したいと神戸のホスピスで働くようになり、それまでは一人ずつ大切に診療していた終末期の患者を、毎日10人以上、しかも終わることなくずっと診療する環境となった。病室から病室へ回診におもむくと、それぞれの患者のそれぞれの苦悩、それぞれの家族のそれぞれの事情に、圧倒されるようになった。自分の無力感よりも、患者や家族の絶望と追いつけないほど速い状態の変化に、徐々に疲労を感じるようになった。

「このまま、この仕事を続けていけるだろうか」と、家に帰っても仕事の思いを引きずるようになった。「その日、その瞬間、目の前の今」に集中できない自分を自覚するようになった。患者の傍に行き話を聞くことはそれ程苦しいとは思わなかったが、患者に関することで他人から尋ねられることが特につらくなってきた。職場のホスピスでも、一緒に働く看護師や、上司、また内科や外科など別の病棟の医師や看護師から話しかけられるのを避けるようになってきた。「この患者の痛みをもっととる方法を考えて欲しい」「あの患者の家族にきちんと病状を説明して欲しい」「その患者が今後どのような治療方針で臨むのか、主治医の意見がまとまるように助言して欲しい」と周りから話しかけられるのを避けてしまうようになった。診療と仕事、そして患者の苦しみに追われるようになってしまった。

友人や自分の家族には、「何か趣味の時間をとって、気分転換を図ったらどうか」と助言され、趣味のバイオリンを携えて地元のオーケストラに参加するようになった。しかし、その余暇の合間にも度々ホスピスから呼び出される。ポケットに携帯電話を入れたまま、オーケストラの練習に参加し、消音してある携帯電話が震える度に、体中が凍りつくような緊張を感じる状況だった。自宅にいても、家族と眠るベッドの枕もとには携帯電話を置き、呼び出しがあるとすぐに目を覚まし、即座に適確な指示をすることが求められる。徐々に電話の呼び出し音にとても敏感になり、子供たちが観ているテレビの中で呼び出し音が鳴るだけでも、身体が反応するようになった。家中の電話の呼び出し音を消音させた。

「このままでは本当にまずい」

次の日、次の患者に向かって行くにはまた違う心構えが必要だと気がついていたが、自分ではどうしたらよいのか分からなかった。
そんなある日、学会を通じて知り合った別の町のホスピスの先生から、一緒に研究をしないかと誘われた。日本中にホスピスはあり、神戸市内にも4つのホスピスはあったが、日常的な交流はなく日々の思いや迷いを相談できる場所がなかった。この研究のやりとりのために、メーリングリストが開設された。これによって、研究の事だけではなく、日常の診療や自分の心構えといった色んな話題を、日本全国のホスピスの医者と討論する場所ができた。この頃から徐々に全国規模の仕事をするようになり、幾つかの研究をまとめて論文を国内外に投稿するようにもなった。相談と勉強を日常に取り入れるようになってから、自分の力量が向上すると共に、自分の限界も自覚するようになった。自分の限界を超えた現実を診療で目の当たりにしたときには、同じホスピスで働く医者や看護師、そして日本中の同僚、以前の同僚に相談するようになった。

毎日の仕事も、ホスピスの医者と看護師がきちんと時間を決めて集まる場を作り、そのカンファレンスの場で患者の事を話し合うようにした。それぞれが思いついたときに、口々に相談するのではなくきちんと話しあう機会を持つようにした。結果として苦手な電話がかかる回数も減った。そして普段自分が感じている、カルテにも書かないようなことも含めて話し合うようにした。私が患者に接しているときに何を感じているのか、そして何をつらいと感じているのか。自分の役割を明確にし、自分の役割以外の部分や、不得手な部分を他人に任せるようにした。

「目の前の患者に真摯に向き合おう。目の前の患者に対して自分の責任を果たそう」自分の強すぎる責任感に自分がつぶされそうになっていた。自分の医者としての責任感を周囲とシェアし、同僚に相談できるようになってから、徐々に自分を取り戻すことが出来た。

結季さんの診療をしながら常日頃自分の感じていることを話すことで、周囲の看護師は色々なことを教えてくれるようになった。「私が夜の巡回で結季さんと話したときには、『これからつらいことがあるだろうけど、もう天に任せるしかないと思うの』と話していました」「『もうそろそろ私に残された時間も少なくなってきたように思うの』と、涙を浮かべながら話していました」といった、私が普段受け取らない彼女の言葉も掬い取ってくれる仲間がいることに、私は心から安堵した。彼女の苦しみの全てを自分が引き受けるのではないのだと。

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