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2014年3月 1日 (土)

「私はあとどの位、生きられるのですか」前編

結季さんは、ホスピスに入院する決意をした。少し前に私が覚悟の上で、「あなたにとって今一番必要な治療は、緩和ケアだと僕は確信しています。」と話してから、考えが変わったようだった。私は、緩和ケアを専門にしている医者。そして結季さんは、独り暮らしの60代後半の大腸癌の患者だ。
「先生、ここでは毎日が静かに過ぎていくわ。今までの病室がどれだけ騒々しかったかよく分かるわ。昼間も夜もずっと誰かの声、ナースコールの電子音、私が昼間に眠りたいと思っても他の患者さんの処置で目が覚めるし。」病院という所は、体と心を休めるための場所なのかと思うほど、昼夜を通して空気が攪拌し続けている。最初はどの患者も4人部屋、他の患者がいる病室にいるとかえって安心だと話し、個室ばかりのホスピスをとても淋しい場所と敬遠する。しかし、患者は一度ホスピスの静けさを体験すると、すぐに今までに何が足りなかったのか、そして何が必要だったのかを自ずと悟る。
「たった一人で最初は淋しいかと思っていたけど、他の患者さんに気兼ねなく友達にも来てもらえるし、切り絵も習字も集中して出来るわ。今までは昼も夜も何度も何度も、血圧を測るために看護師さんが来ていたけど、ここの看護師さんは、私が今何を感じているか、何を考えているか聞いてくれるわ」と上機嫌だった。「やはりここで過ごして良かったでしょう。あなたにとっては、どんな治療を受けるかというだけではなく、病院でどんな暮らしをしていくかが大切だったと思うのです」と私も続けた。内心は、新しい環境にすぐに慣れることが出来た結季さんの様子に安堵していた。しかし、安堵の中にも、次の暗雲の影がちらりと見える気がした。
結季さんはホスピスに移ってから3日目の終わりに、「少し退屈してきたわ。一日が長くて」と話し始めていた。「この病室に一日いると、つい色んな事を考えてしまうのよね。一体いつまでこんな風に生きていなくてはならないんだろうって。だって、私の病気は癌よ、治らない病気じゃないの。絶対に治らないって分かっているのに、何を希望に生きていけばいいの?」そんな結季さんに、看護師の一人が「外出や外泊で家に帰ってみたらどう」と話しかけた。結季さんは友達も多く、毎日のように近所の友達や、趣味の仲間が部屋に来ていた。元来、明るく社交的な結季さんは、ホスピスの看護師にもすぐに馴染み、一人一人の名前も覚えていった。いつも書いている日記に、看護師の名前を忘れないように、きちんとメモするそんな方だった。癌の病魔が結季さんを完全に呑み込むには、まだ十分な時間があるようだった。治療はうまくいっていて、体の苦痛も毎日が爽快に過ごすとはいかなくても、痛みのために表情が歪むようなことはなかった。ホスピスに移り最初の数日は、新しい環境の期待と、緊張からかえって活き活きとしていた結季さんだったが、すぐに以前のような病気の苦悩と向き合うこととなった。「ホスピスに来たからって、癌が治るわけではないのよね。看護師さんは、一度家に帰ってみたらって言うけど、帰って何をするっていうのよ」病院からバスで10分の自宅まで行って帰ってくることは、十分出来る状態だった。
私は、色んな癌患者と接してきて、彼らの心理状態というのがある程度分かるようになってきた。結季さんと同じように、どの患者も最初はホスピスに来ることを拒む。「死」を連想するホスピスを忌み嫌う患者がほとんどなのである。しかしまた、結季さんと同じようにどの患者も実際にホスピスへ移ってみると、その環境と何よりも時間の流れ方、医者や看護師の接し方の違いに、「最初は」感激しホスピスへ来て本当に良かったと話す。そして、ホスピスでの生活にも慣れてくると、その感激は完全に消え失せ、ホスピスに来る以前の現実に向き合うことになる。
ホスピスに患者を送りだす病院や病棟のスタッフは、実際にホスピスへ患者が移る事が実行できた時、自分たちの治療、ケアの目標が達せられたと満足する。しかし、当事者である患者は、最初の緊張と喜びが終われば、結局は何も状況が変わっていない自分と直面するのである。
ホスピスや緩和ケアを知る一般の人も、そして医療者も、ホスピスでは患者も家族も満たされた気持ちで、穏やかに平和に暮らしていると思っている。しかし、現実は全く違う。確かに適切な緩和ケアを実行することで、廊下にも響き渡るほどの苦痛な叫びや、夜中の慟哭はない。しかし、それぞれの部屋を順番に回診すると、「自分でトイレに行けないことが、どんなにつらいことか」「残された時間を見つめることが、どんなに過酷なことか」「残される家族を思うとき、どんなに無念か」涙を浮かべながら話す。うれしそうに喜ぶ日ももちろんあるが、悲しみと涙に暮れる日もある。
ホスピスに移るまでは、ホスピスを忌み嫌う。しかしホスピスに来ると、普通の病室に戻りたいと希望する患者はいない。でも、状態が落ち着いているのに外出や外泊、そして退院する患者はほとんどいない。ホスピスを出る話をすると、「家に帰ると不安だから」「家族に迷惑をかけたくないから」「家に帰っても何もすることはないから」と折角の残された時間を有意義に使おうとしない。
昨日と同じ今日。今日と同じ明日。明日と同じ明後日。毎日の色が変わることをとても嫌う。口にする理由は、たまたま話す理由なのであって、本心ではないのかもしれない。新しい事を始めたらという周囲の提案を穏便に断るための口実のようなものなのだろう。そう、多くの患者は「新しい事を始めるパワー」がないのだと最近は思う。一見元気そうに見えても、余剰したパワーはもう残っていない。そして、残された時間を有意義に使うと良いのにと考える医者や看護師は、健康なのだ。健康な人間は高エネルギー状態で、自分のもつパワーを使い切れない。余剰したパワーの使い道に悩む、逆におかしな状態なのだ。
新しい事を始めるパワーのない患者と、新しい事を探し続けている、パワーの余った医療者とでは、当然考えは交わらない。

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