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2014年3月 1日 (土)

「私はあとどの位、生きられるのですか」後編

私は、結季さんにある日話してみた。「まだ時間は残っていると思います。力も十分おありですし、時には病院からどこかへ出かけてみたらどうでしょうか」と話すと、「時間は残っているというのなら、私があとどれだけ生きられるのか、ちゃんと教えて下さいませんか。先生はもう分かっているのではないのですか」と反対に聞かれた。その目を見ていると、ああ、この方は「あとどれぐらい生きている事ができるのか」を聞いているのではない。「あとどのくらい生きていなくてはならないのか」を聞いているのだと直観した。私は返す言葉を失ってしまった。
今までも、自分の残った時間、余命を尋ねる患者に多く直面してきた。その都度絶句してしまう。患者は自分の余命を怯えるように尋ねてくる。「どうして、残った時間を知りたいのですか」と大抵はまず尋ねるようにしている。患者にも改めて一呼吸おいてもらうためだ。患者自身も余命を聞きたいけど聞きたくない。答えて欲しいけど答えて欲しくない。そんな、心境にあるはずだと思っているからである。そんな風に問いかけると、患者は「やっぱり気になりますから」とか、「いや、やっぱりその話はもういいです」とか色んな返事をする。それでも「ちゃんと教えて下さい」と聞かれたときには、さらに医者として私は当惑する。それは余命を伝える残酷さに躊躇するだけではない。そもそも「医者は患者の余命を言い当てることは出来ないから」である。
一般の人も、患者も家族も、医者は科学的な検査とデータ、さらに経験から、大抵の患者の余命が分かると信じている。しかし、過去の研究で言えることは、ほとんどの患者の余命は言い当てることが出来ないということだ。癌患者に限って言うと、余命が1-2ヶ月未満であれば、客観的な患者の状態といくつかの簡便な検査を組み合わせて、せいぜい70%位の的中率である。科学的な検査、膨大なレントゲン、CTスキャン、MRIは、「今の病気の様子」は教えてくれるが、「これからの余命を含む未来予測」はできないのである。また、医者は診療中の患者の余命を楽観的に、つまり長目に予測する傾向にあることも分かっている。診療している患者は少しでも長く生きていて欲しいと考えるのが医者にとっては当たり前だし、患者が長く生きるために治療をしているのであるから、余命を甘く見積もるのも当然である。
それでも、世の多くの医者は「余命3ヶ月、6ヶ月、1年」と説明している。その根拠は、多くの患者を集計した、統計上の余命を目の前の患者に伝えているのである。目の前の患者が余命3ヶ月である根拠を、恐らく医者は示すことは出来ない。そして、もう一つの根拠は「可用性バイアス」と言われるもので、直近に経験した患者の記憶から話しているに過ぎない。いずれにしろ、医者の頭の中でデータ、経験の複雑な計算から正確な余命をはじき出しているわけではない。
私は、「あとどの位生きられるか」と患者に聞かれたとき、絶句してしまうのは「目の前の患者の余命を本当に分かっていない」からである。何千人も癌患者を診察してきたのにである。1ヶ月未満と1週間未満の余命は、ある程度は分かる。しかし、長くも短くも大きく外れることも未だに度々である。結季さんのように、「私があとどれだけ生きられるのか、ちゃんと教えて下さいませんか。」と聞かれたとき、自分を含む医学の不十分さと、不確実な現実に申し訳ない気持ちにさせられる。そして、正直に「人間の余命を正確に言い当てることは、まだ現実には難しいのです」と答えるのがやっとである。こう答えたとき、患者は目を反らし、自分が余命を聞いたことを後悔したかのように話をやめてしまう。きっと、自分が一大決心をして医者に問いかけたのに、医者は自分をはぐらかしたと思うからだろう。
余命の告知という重要な対話に、絶句してしまう医者と、まともな答えが得られない患者。この平行線をまたぐにはどうしたらよいのか。ホスピスで何度もこの問いに直面した私は、ある時からこう患者に尋ねるようになった。「あなたはあとどれぐらいがんばれますか」患者は毎日体の苦痛に直面し、心の苦悩からも逃げられない。せいぜい私に出来ることは、患者が自身の確かな身体の声に耳を傾けるように仕向けることだけである。患者は、たいてい自分の身体と直観で、自分の余命を分かっていると最近つくづく感じている。いつも患者は自分の身体の声を聞いているが、医者であり他人である私には、患者の身体の声は直には聞こえない。きっと患者はその微かな声を医者である私と対話することによって、現実の声にしたいだけなのだ。
私は決心して、結季さんに言葉を返した。「あとどの位なら頑張れますか?」すると結季さんは、少し考えてからこう、答えた。「あと1ヶ月くらいなら頑張れると思う。でもそれ以上はもう無理かな・・・」その言葉には、脳だけで考えた願望ではないことが、すぐに分かった。やはり結季さんも身体の声を聞いているのだ。私は、「なら、1ヶ月だけ頑張って下さい。あなたが頑張れるところまで生きて下さい」「私もここのスタッフも、これからもずっとあなたのことを支え続けます」そう答えてその日の診察を終えた。

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