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2014年2月

2014年2月23日 (日)

終末期医療と緩和ケアの今 「あなたの治療は終わりました」後編

結季さんも同じように、手術を受け、抗がん剤の治療をされたが、それでも癌が再発し次の治療がない状況となった。癌が小さくなる、消滅する治療はなくても、病気を抱えた患者である以上何らかの治療は必要なはずなのだ。癌以外の病気について考えてみると、脳卒中で麻痺のある患者は、元通りの体に戻ることは出来なくても、不自由な体で生きていくためのリハビリや生活の援助が必要だ。糖尿病の患者は、毎日の生活に支障がなくても、糖尿病のない体に戻ることは出来ない。だから、将来糖尿病で体のあちこちが破壊される前に、糖尿病の病勢を抑え込む長い長い治療が必要だ。つまり、医者は「治らない病気」を日々扱っているのだ。それにも関わらず、癌だけは「治らない癌」になった途端、治療を打ち切ることがいつの間にかまかり通っている。その事のおかしさに患者を受け取る側のホスピスでずっと憤っていた。
ならば、自分がもっと患者に早く関わることで、患者がそれまで治療を受けていた医者から見捨てられたと感じないようなやり方が出来るのではないかと考え、ホスピス病棟で働く合間に、別の病棟の患者を診察するようになった。そして、患者の癌の治療がうまくいかなくなった時期から、自分にいきなりバトンタッチするのではなく、治療をする医者と自分が連携しその役割の比重を徐々に変えていくことで、よりよい治療が出来ないかと模索した。きっとこの方法ならうまくいくと思いやり始めてみたものの、実際には結季さんのように「いくら先生がそういっても、私はホスピス病棟には行きたくありません」と答える患者も多くいた。
やはりホスピスは「死」を連想させるのだ。いくら「ホスピス」と呼ぶのをやめて、「緩和ケア病棟」と看板を変えても同じ事だ。「あの病棟へ行ったらおしまいだ」「あの病棟から医者が診察に来たらもう死ぬということだ」と忌み嫌われていた。
ある日の診察で結季さんは、「これからどうやって生きていったらいいのかしら。もう家にも帰れない今の体で」と淋しそうに話した。私は、4人部屋の病室の結季さんのベッドサイドで、小さな丸椅子に座り話を聞いた。そして、改まった表情で「あなたにとって今一番必要な治療は、緩和ケアだと僕は確信しています。家に帰れないのなら、この先ずっと生きていく事を僕と、僕と一緒に働いている看護師で支え続けます。決して途中で治療を投げ出したりはしません」と話した。結季さんは、しばらく考え込んでいたが、「先生がそこまでおっしゃるのなら、私は先生に賭けてみようと思います」と、ホスピスに移ることを決断した。
どこのホスピスのホームページもパンフレットも、まるで「死」や「過酷な現実」を覆い隠すかのように明るい写真を掲載し、設備の充実をうたい、「自分らしく生きていくために」とポエムを添える。しかし、最終的に患者、家族がホスピスに入院する決断をするのは、設備やイメージ、理念を重視してのことではない。「自分の事を真剣に考えてくれる」「自分宛のメッセージを贈ってくれる」医者や看護師、医療者の言葉だけなのだ。医師自身が大切にしている患者に対してホスピスへの入院を勧めることが、自分との別れを意味するものであっても、医者はただひたすらに患者を思い「あなたを思えばこそ、これが一番の道だ」と患者の目を見て話してほしいと、私は思っている。
私はホスピスで数々の患者や家族の無念を聞き続けて、最も憂いているのは、医者と患者が単なる病気を治療する側とされる側という無機質な関係に留まってしまい、人間同士の信頼関係がなくなっていることだ。医者は時間がなくなったのではない、忙しくなったわけでもないと私は思っている。医者は患者という「人」に対する関心と愛情を失ってしまったのだ。関心と愛情を取り戻す方法を、自分の身の周りとそして社会におこるあらゆる現場で、探し続けている。
(登場する患者はフィクションです)

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終末期医療と緩和ケアの今 「あなたの治療は終わりました」前編

「私は7階にだけは絶対に行きません。あそこに行ったらもうおしまいです。」

今までも何度も何度も聞いてきた返事だ。7階というのは、私が勤務していた病院内のホスピス病棟のことだ。「独り暮らしなので家で病気を抱えてながら生活することはできない」と常日頃から話していたので、「それなら、7階のホスピス病棟でしばらく過ごしませんか」と私が尋ねると、まるで答えを以前から考えていたかのように即答された。
結季さんは60代後半の大腸癌の患者だ。一度も結婚したことのない独り暮らしで、たくさんの趣味を持ちたくさんの友人がいる、たいへん聡明な方だ。入院中も、ご自身の趣味である切り絵や習字を楽しんでいた。一つ一つの作品が出来上がると、病室の小さな物置棚に飾っていた。小さなこけしを折り「無病息災」と言葉を添えた色紙が一番最近の作品で、良い出来映えに満足した様子だった。手術を終え、抗がん剤の治療を受けていたが、やはり段々と効果がなくなり、その体には徐々に癌が拡がっていることが、最近の検査の結果で分かっていた。
「私はね、無病息災を願って毎年欠かさずこの病院で健康診断を受けてきたの。健康管理のため毎日の食事に気を配り、そして運動をして体を大事に生きてきたつもりよ。そのお陰で大病もなく今まできたけど、急にお腹が痛くなって病院に来てみたら、大腸癌だって言われたの」結季さんの診察をする度、幾度となくこの話を聞いてきた。健康の維持と病気の予防に注意を払ってきても、その甲斐なく大腸癌になったことに、とても悔しい思いをしているようだった。その気持ちも当然だと感じながらも、「癌の予防に一生懸命取り組んでも、やっぱり癌になった」というその事実を受け止めきれない結季さんに、どう返事したら良いのか、言葉が見つからなかった。
医師として本音では、「健診を受けていると病気を早く見つけることはできるかもしれない、しかし病気にならないように予防は出来ない」と、正論を感じながらも、そんなことを結季さんに伝えたところで、何の慰めにもならないことは、すぐに分かった。
「確かに、結婚もせず子供もいないから気楽なもんだけど、他人にも優しく接して、自分なりに社会に貢献して生きてきたつもりなんだけどねえ。私が癌になるなんて。一体私の何が悪かったというの」伏し目がちに、独り言のようにつぶやいた。また私は絶句してしまった。結季さんの診察はほぼ毎日で、病気の話だけではなく、趣味の話、今までの生きてきた道程をじっくり聞いてきた。その話はとても興味深く、私の知らない世界を結季さんの体験を通じて知ることができ、とても面白かった。結季さんは最初に会ったとき、きっと少しでも早く自分を知ってもらいたいと思ったのだろう、今まで生きてきた自分の証を確かめるかのように、仕事のこと、そして健康管理のこと、大腸癌と診断されどんな検査結果で、どんな治療を受け、どんなことを感じてきたのか話してくれた。
徐々に結季さんとの時間を重ねていくことで、私なりに結季さんの考えている事が分かるようになってきた。それでも癌という病気は残酷にも、心通じ合う大切な患者の体と心をどんどん蝕んでいってしまう。そのスピードの速さに本人も、そして家族、さらには看護師や私のような医師も、気持ちが付いていかなくなるほどである。会話が積み重なる毎に、結季さんはとても深遠な心の悩みに行き着いていることが分かった。最初は昔話や趣味の話を笑顔で話していたが、徐々に、「なぜ病気になったのか」「なぜ病気になり死ななくてはならないのか」「自分の生き方のどこが悪くて病気になってしまったのか」という、およそ医学の言葉では対応できないような苦悩に向き合っていくことが分かった。日を追うごとに結季さんの顔は暗くなっていった。
 
当時私は、総合病院で働く緩和ケア専門の医師だった。普段はホスピス病棟で10-15名位の患者に対応していた。最近のホスピス病棟は、平均すると1ヶ月も入院しない場所になっている。入院する患者のほとんどは、他の大きな病院から紹介されてくるか、結季さんのように院内の内科や外科病棟から紹介されてきていた。ホスピスで働くまでは、「ホスピスは患者自身が自分の生を全うしようと、自ら望んで入院するところ」だと思っていた。またそういう場所だと本やテレビでイメージしていた。しかし、現実は全く違っていた。ホスピスの初診外来に紹介された患者や家族は、いつも同じような話をしていた。「ある日急に、医者から『ホスピスに行くか別の病院に行くか決めて欲しい』と言われ、とにかく渋々、仕方なくホスピスの申し込みに来た」と。「ホスピスに転院するまでは、この病院で診察します」と言われているならまだ良い方で、場合によっては、「この病院での治療はもう終わったので早くホスピスに移ってほしい」と言われたという患者、家族にも度々出会った。
ホスピスに紹介となった患者は、そのほとんどがどこかの病院に入院中なので、本人は外来に来られないことも多かった。家族だけが、ホスピスの申し込みに来て、それぞれの事情を話した。「今日、ここにも来れないほどの状態なのに、他の病院に移れと言われて途方に暮れている」「癌の治療はもう終わったと言われても、治ってないのに何で治療が終わったのかさっぱり分からない」「癌の治療はもうしないので病院に入院し続けることはできませんと言われても、どうやって家に連れて帰ったらよいのかわからない」という話も、何度となく聞いてきた。
ホスピスに紹介されるということは、それまで共に病気と戦ってきた医者や看護師と別れ、別の病院に来るということだ。身重な患者にとっては、転院するだけでも大変なのに、また新たな治療関係、人間関係を作るというのは、どれだけ大変なことだろうかと、紹介となった患者、家族に心から同情した。多くの病院は、「治療をする場所」となった。それは一見当たり前に思えるが、治療が限定されているのである。例えば癌に対しては、手術、抗がん剤、放射線治療と、それに関わる治療のみということになってしまった。手術、抗がん剤、放射線治療を受けることのない患者は、「既に治療がない患者」とされ、ホスピスへの転院を勧められるということだ。

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