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2013年12月27日 (金)

「とどめを刺して下さってありがとうございました」 鎮静と安楽死は区別できるのか 前編

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(紹介する症例は、実在する患者、家族とは異なります。)
今から数年前、僕がまだホスピスで働いていたとき、あるご遺族から言われた言葉が今でもずっと心に刺さっています。「先生、妻に最期のとどめを刺して下さってありがとうございました。」奥様を亡くされたご主人は満面の笑みで僕にそう話しました。そのご主人とは入院中にとても悩みながら毎日を一緒に過ごしたので、たとえ患者である奥様が亡くなられても、僕とご主人の間には、なにかしら温かいものが残っていました。決してご主人も責めるような気持ちはありません。本当に感謝を伝えられたのだと思いました。
その患者さんは、末期の癌と診断され家で過ごしていましたが、ある日トイレへ移動する途中で転んでしまいました。高齢のご夫婦が二人で力を振り絞りながら、毎日を過ごしていましたが、ついに家での生活をあきらめて、かねてより申し込んでいた緩和ケア病棟に入院する決意をしたのです。私の10年間のホスピスでの経験から、患者、家族が入院を決意するときというのは、トイレへの移動に失敗したときや、家の中で転び怪我をしたときです。
一般の人達は、痛みがひどくなったらホスピスに入院すると考えているのかもしれませんが、今は外来でも痛みの治療ができるようになり、そのような患者は年々減ってきました。働き始めた平成14年頃は、まだ一般の医師に、がんの痛みを緩和するための麻薬の使い方の知識が十分になかったため、「痛みの治療が今の病院では受けられない、入院させて欲しい」とホスピスにいらっしゃる人も多くいました。しかし、フェンタニルパッチ(麻薬の貼り薬)が日本でも使用可能となった頃から、ほとんどそのような患者はいなくなりました。また緩和ケアの講習、研修会も数多く行われ、「麻薬をひとつ使ってみるか」という医者が増えたこともあります。
また、一般の人達が想像するような「私は生を充実させるため、安らかな死を迎えるためにホスピスでの生活を決意しました」と自分からホスピスにいらっしゃる方もほとんどいませんでした。多くの人達は、トイレへ行くという当たり前のことが急に出来なくなるという体験から心に強いショックを感じて入院を決意します。そのような患者さんはいつも同じ言い方をしていました。
「これ以上家族に迷惑をかけられません」
その奥様も同じように、「夫にはこれ以上迷惑をかけられません。自分でトイレにも行けないなんて」と悲しそうな顔をしながら入院されました。そして、急速に肺癌が悪化し全く動けない状態となりました。ついに部屋の中にあるトイレに行けなくなりました。それでも、1日の全ての力を使い切ってでもトイレで用を足そうとされていました。懸命に、懸命にわずか5歩のトイレまでの道程を自分の力で一歩一歩。時にご主人や、看護師が手を貸しながらこの大仕事を毎日続けていました。これも私の経験からはっきり言えることですが、過ごす場所がホスピスであっても自宅であっても、男でも女でも、若くても老いていても、人は衰弱してもなおトイレへ行こうと一生懸命力を振り絞ります。人間の尊厳の根本はトイレで用を足すことなんだ、そう確信しています。尿道に管を通して尿を回収したり、オムツをすればトイレへ行く用事はなくなります。でも、患者さんは大抵その処置を嫌がります。オムツだけはやめてと何度も言われました。しかし、トイレへ移動することを介助すること、排泄の介護が看病するものにとって一番、体と心に負担となります。ホスピスの役割の多くはこの排泄に関わる介護の負担を軽減することなのではないか、そんな風に僕は考えています。
入院し週も変わり徐々に状態は悪化していきました。そしてある日、突然息苦しいということで、病室に緊急に呼ばれました。真っ直ぐに横になることも出来ず、汗びっしょりになりベッドに備え付けられたテーブルに突っ伏しています。話すのもやっとです。酸素を使い、一時的に呼吸が楽になるよう、モルヒネわずかな量で注射しました。しかし、全く効果はありません。「楽にして、もうこれ以上無理」と奥様も苦しそうです。奥様の背中をさする看護師にそっと目配せし、ご主人を病室の外にお呼びして話しました。
「出来る限りの処置をしてみますが、うまく苦しさをとってあげられないかもしれません。その時にはまた一緒にどうするか考えましょう」
それから色々な薬を試してみましたが、やはり全く効果はなく汗びっしょりのまま話す力すらなくなってきました。再びご主人を部屋の外にお呼びし話をしました。
「普通に治療しても苦しさがとれないようです。少ない量から睡眠薬を注射して、苦しさを感じないようにすることはできます。しかし、容態が悪いのでわずかな時間の間に亡くなるかもしれません」
「苦しさをとるための治療です。薬で、亡くなることを手伝うのではありません。慎重に投与します」
ご主人は迷うことなく、「今までよく頑張ってきました。先生、もう楽にしてやってくれ」私は原則に則り「いえいえ、亡くなるために薬を使うのではないのです。呼吸困難を楽にするためです」ご主人は意味が分かりかねるのか、「とにかく、こんなに苦しそうな状態を見続けることはできない。どんな方法でもよいから、楽に過ごせるようにしてやってほしい」とおっしゃいました。

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