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2013年12月26日 (木)

「患者との対話」は教えられるか。生兵法は大怪我のもと。

20131226_155302_2 私は2007年に初めて本を出版しました 。当時勤務していたホスピスの仲間と一冊の本を仕上げることが出来たのです。当時の私は、それまで苦しんでいた患者との対話に一つの光明を見出したような気になっていました。癌を告知すること、予後が限られていることを話すこと、いわゆる「悪い知らせを伝える」ということに関して一つの体系を手に入れて、今から思うといい気になっていたようです。SPIKESというコミュニケーション技法がありますが、これは、場を設定し、患者の意向を尋ね、そして話を始めることを確認する。そして悪い知らせ、医療情報を伝え、患者の感情に呼応する。最後に今後の計画を伝える。そうか!まず患者に何を知りたいのか、どこまで知りたいかを尋ねることで、自分の話すことや話し方を決めれば良いんだ、「これでいける!」と悟ったような気になりました。「占い師も霊能者も聞かれたことに答えるのであって、見えていること全てを語ることはない。結婚運を聞かれているのに、寿命を答えることはない」とそんな風に思ったのです。さらにこの方法を研修医に教えることで、きっと彼らは自分が苦しんできた道に迷うことなく、医師として発展していけると思ってしまいました。

私は、ホスピスに1ヶ月研修に来る医師と一緒に、SPIKESの技法のDVDを見て、勉強し、何度かシミュレーションし、この技法を用いて患者と対話し、また討論する。そういうことを日数をかけて準備しました。

さて、その研修医は、癌を知らされていないが黄疸があり病状をとても不審に思っている、ある高齢の女性に相対することになりました。家族との話し合いの中で、本人には何があっても癌であることを伝えないで欲しいということになっていました。そこで、まだ入院して日が浅いので、これから医師と患者の関係を構築する中で対応を探っていこうと話し合っていました。

女性は、研修医に「先生、何か私の病気について聞いているか」と尋ねました。研修医は私が教えたように実直にしかも正確に「あなたは、この病気についてどう思っていますか」と尋ねました。そしてさらに、「あなたは、この病気についてどの位知りたいと思っていますか。悪い話も全て聞きたいと思っていますか」と尋ねたのです。SPIKESの技法に沿って考えれば全く問題のない対話です。しかし結果は最悪でした。

女性は、「私に何か隠しているんでしょ!どういうことなの!」と激怒し、研修医はその場にいられなくなり、看護師の導きで一旦退室しました。女性はと言うと、主治医である私の上司が時間をかけて対応することで、やっと気持ちを鎮めることが出来ました。結局その女性には、最後まで癌であるという事実は伝えませんでした。しかし、ホスピスの医師、看護師とはぎくしゃくとした状態が続くことになりました。

この出来事で感じたのは、SPIKESにしても他の何かにしても、コミュニケーションの技法を使う時は、その前提、基礎として医師、患者間の信頼関係が必要であるということでした。責任を持った対応が出来る医師にのみ、悪い知らせを伝えることができるということです。治療だけでなく患者の行く末を引き受けるという医師の覚悟を感じた時にだけ、患者は心の窓を開き信頼します。その心の窓が開かれていない状態で、コミュニケーションの技法だけをあてはめても、患者はかえって苦しむことになるのです。まさに、「生兵法は大怪我のもと」です。その出来事以降、どうやって若い研修医に患者とのコミュニケーション法を伝えたら良いのかと私も迷うようになりました。

しばらく時間が経って最近、一つの論文がJAMAに掲載 されました1)。この論文を読んで、この出来事を振り返りました。 この研究ではコミュニケーションのトレーニングを受けた卒後1年くらいの若い内科医、ナースプラクティショナーと、普通の教育を受けたグループとの比較試験が行われました。このトレーニングはじっくり時間が確保され、内容も多岐にわたるものでした。ちなみに彼らのレクチャーというのは、かなり本格的なものです。4時間のセッションがなんと8回! 総論、ロールプレイ、シミュレーション(患者・家族役)、フィードバックしディスカッションしかもそれぞれのシミュレーションにはテーマがありその内容でディスカッション。(ラポール形成、悪い知らせを伝える、アドバスドディレクティブ、看護師と患者の葛藤の解決、家族との面談の進め方、DNRの話し合い、死について語る)日本で行われている、緩和ケア研修の2時間程度のシミュレーション(悪い知らせを伝える、オピオイドの開始の仕方)とは比較になりません。

そして、実際にコミュニケーションの技法を学んだ看護師、医師と対話した、患者、家族の評価ですが、その結果は意外なものでした。終末期の患者、家族にとって、トレーニングを受けていた群も普通の教育の群も、心理的な影響は変わらず(2つの質問紙調査)、むしろ、トレーニングを受けていた群の方がうつのスコア(PHQ-8)が高くなるという結果でした。きっと、研究を実行した著者らも、コミュニケーションの技法は教育できると考えていたはずです。しかし、その結果は逆とも言えるものでした。それでも発表したことには大きな意義があると思いました。この論文を読んだとき、研修医と高齢の女性の一件を思い出したのです。

私はこれからも医師、患者の対話、コミュニケーションを考え続けなくてはなりません。「患者との対話」は教えられるのか、まだ模索せねばなりません。自分の背中を見せて若い世代に伝えるのか、ビジネスセミナーよろしく何らかの技法で分かった気にさせるのか、自然体で誠意を込めて対応せよと抽象的にして自分の問題として差し戻すか。この最終形のない問題に取り組まなくてはなりません。わかった!悟った!と思った次の瞬間から崩れてしまった、かつての自分の姿が恥ずかしくなります。しかし、その恥ずかしさが次のステップになるということを今では確信しています。いつまでも最終形はなくずっと追い求めていくのです。どの世界の修行でも同じ事です。

最後に一つだけ言えることは、模索している自分の背中だけは、若い医師に見せてあげられそうです。その背中を見せるためにこの文章を書いているのです。

1) Curtis, Back, AL, Ford, DW, Downey, L, Shannon, SE, Doorenbos, AZ, Kross, EK, Reinke, LF, Feemster, LC, Edlund, B, Arnold, RW, O'Connor, K, Engelberg, RA, Effect of communication skills training for residents and nurse practitioners on quality of communication with patients with serious illness: a randomized trial., JAMA, 310, 21, 2013

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