「死にたい」と考える患者は本当に自殺してしまうのか
今朝の毎日新聞に、就職活動中の大学生の内、21%が死にたい、消えたいと考えたことがあるという調査の結果が掲載されていました。厳しい就職活動を反映していると考察されています。私は就職活動の経験がないため、実際の状況はわかりません。
しかし、長く関わっているがん患者の自殺については、繰り返し考えてきたので、「死にたい」と考える患者について、現時点での考えを述べようと思います。
この死にたいと考えることを、suicide ideationと呼び、医学の世界では研究されています。研究では「死にたいと考えること」と、「自殺を試みた経験があること(いわゆる自殺未遂)」、「本当に自殺すること」とは区別されています。このうち、「死にたいと考えること」についてのいくつかの研究を紹介します。
小児がんのサバイバーの、13%の人達が「死にたいと考えたことがある」もしくは、「自殺を試みた経験がある」と答えていました。(米,Recklitis CJ J Clin Oncol 2006)また成人のがん患者で「死にたいと考えたことがある」と答えた人は、34.6%(ポルトガル)、7.8%(英)、17.7%(米)と報告されています。スウェーデンでもノルウェーでも同じように、一般人口よりも高い割合で「死にたいと考えたことがある」と報告されています。
自殺者が他国と比較しても多い日本でも、やはりがん患者は一般的に一般人口よりも自殺をする率が高いことがわかっています。「死にたい」と考える患者は、8.5-22.2%と言われています。(日、Akechi T Cancer 2004) そして、末期のがん患者を対象とした調査では、8.6%の人達が「死にたいと考えたことがある」と返答しています。私の経験からも、やはり5人に1人位の方に「死にたい」、「先生には責任が及ばないようにするから、死なせてくれないか」と言われることがあります。しかし、本当に心底「死んでしまいたい」と考えているのか、たまたまそういう話になるのかというと、判断に迷います。なぜなら、末期のがん患者の方々は、体調が悪いためどうしてもうとうとと眠る時間が増えます。そうなると、思考は中断されがちになるからです。毎日部屋に行くたびに「死にたい」、「死なせて欲しい」と言う患者は少なく、そういう患者の多くにはうつ、不眠が関わっていました。
本当に自殺を試みた、完遂した方は少ないのですが、入院中のホスピスで自殺を試みた方が数人がいらっしゃいました。そして一人の方はそれが元で亡くなってしまいました。
全体の数にすると、「死にたいと言っている患者」のうち本当に自殺を試みる、自殺する患者は僅かです。しかし自殺は、残された人達にとても大きな衝撃を残します。家族だけではなく、その方の治療、ケアに当たっていた医師、看護師にも大きな後悔を残します。「あの時どうしてこう言ってあげなかったのか」「あの時どうしてこうしなかったのか」と。さらに、医療スタッフの中には、自殺の現場である部屋に入ることができなくなる、仕事中に急に不安になるといった、二次的な心的外傷後ストレス障害を引き起こす者もあります。深く関わった患者の自殺は、私にとっても忘れることができない事柄です。その現場の壮絶さを今でもありありと思い出すことができます。その場の収拾、家族への対応、社会的な責任の遂行(警察の関与、病院内の公式な対応)を冷静にこなしつつも、心の中では「どうして」「なんで」と考え続けていました。いえ、今でも考え続けています。
自殺の予防は、苦しんでいる患者本人を、抱えきれないほどの苦痛から解放することを考えるだけではなく、残される家族、関わった医療者へのケアも必要と考えると、とても重要であることは言うまでもありません。しかし、「死にたい」という患者は日常的に観察できるとして、「本当に自殺する危険が高い患者」についての研究はまだわずかです。
うつの合併が自殺と関連するという知見はありますが、考えれば当たり前のことです。例えば、韓国の胃がん患者に対する研究では、なんと35%の人達が「死んでしまいたい」と考えた経験があり、QOLが低い人達、下痢、脱毛、倦怠感、診断から数年と長い時間が経過している人達に多かったと報告されています。また男性で病が進行した患者にもリスクが高いと言われています。しかしこういったある程度の人数を集めた傾向を精査しても、目の前の患者には活かせないことがほとんどです。なぜなら自殺リスクの要素が抽象的になるからです。こういう時には個々の経験を集約していくほかないと考えています。統計学的解析することで調査結果に何らかの文脈をつけられたとしても、「脱毛した胃がん患者は自殺に注意」とか「男性でうつのあるがん患者に注意」と結果から得られた知見を共有しても、臨床的にはほとんど意味がないことは誰にでも分かると思います。本当に自殺の予防を考えるなら、実際に、患者の自殺を体験した医療者が、どういう状況であったのかを子細に振り返り共有することです。
私の経験では、頭頚部癌、せん妄、男性が共通点でした。特にせん妄の患者は、説明不可能で他者には理解不能なストーリーの中で、自殺に踏み切ってしまう可能性があるように思います。非常に衝動的に自殺を試みます。せん妄患者の部屋にはひも、コードや刃物を放置しないことが予防策だと思います。また、非常に良い表情で晴れ晴れと外泊に出かけた患者が、自殺を完遂したと複数の同僚から聞いたことがあります。この場合は防ぎようがありません。いずれにしろ、患者の自殺を事前に察知することはとても難しいだろうというのが、私の経験からの意見です。それでも、自殺は防止しなくてはなりません。
就職活動中の人達の20%もが死にたいと考えたことがあるという事実は、かなり深刻なものであると言えます。その比率は末期のがん患者が「死にたい」と思うよりも多いのです。しかし、「死にたい」と考えることと、本当に自殺を試みることは、同じ平面上に展開することではありません。普通の人達は、末期のがん患者はみんな「死にたい」と思っているのだろうと考えているのかもしれません。しかし、実際はそうではありません。実際に末期の病気の人達に、「回復の望みがない患者」のシナリオを読ませて、その患者の安楽死・医師の手伝う自殺の是非を問うと、患者の60.2%は賛成します。しかし自分が安楽死・医師の手伝う自殺を望むかと聞くと、10.6%しか賛成しません。このことからも、「死にたいと考えること」と「自殺」「安楽死」は直結しないことが分かります。それらの間には多くのステップがあるはずです。しかし、そのステップのほとんどはブラックボックスで、他人が理解できない病的な思考の過程もあるでしょう。また、衝動的に自殺をしてしまうことも多く、自殺をした本人も「気がついたら亡くなっていた」と思うほどかもしれないと、推測したこともあります。
私たちにできることは何でしょうか。「死にたい」と思っている人を見つけ出して、「本当に自殺しない」ように予防すること、「死にたい」と思う人を減らす社会的な試みを始めることでしょう。さて、まず何から始めたら良いのでしょうか。その研究と試みはまだほとんどありません。それぞれが思いつく方法から始めていく他ないのです。
文献
Emanuel, EJ, Fairclough, DL, Emanuel, LL, Attitudes and desires related to euthanasia and physician-assisted suicide among terminally ill patients and their caregivers., JAMA, 284, 19, 2000
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