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2013年9月16日 (月)

家族は看取りまでの過程を知っているのか? (家族に対するコーチング)

家族は看取りまでの過程を知っているのか? (家族に対するコーチング)

 

家族D 「がんの人を看病するのはこれが初めてです。亡くなる人の傍にいるのは初めての経験で全くわかりません。」

家族E 「こんなに眠ってばかりで。何かクスリを使っているのですか?」

家族F 「モルヒネを使ってくれたおかげで確かに痛みはとれました。でもこんな風に眠ってしまっては何のための治療か分かりません。」

家族H 「以前テレビで観たように、お別れの言葉を本人が話してくれてからふっと目をつぶり、亡くなるものだと思っていたんです。」

 

家族は、大切な人、患者の状態が刻々と変化するに従って、医療者の認識とは全く異なった意味づけをする。その異なった意味づけは、ケアや治療を提供する医療者に対する誤解を生む可能性もある。[12]家族に対するコーチングとは、看取りの時期の患者の変化を教えた上で、患者の看病の仕方を教え、指導することである。看取りの経験の少ない家族にとっては、「自然な亡くなり方」がどういうものなのか全く知らない。もしかすると看取りの経験の少ない医療者にとっても「自然な亡くなり方」がどういうものなのか詳細に理解できていない可能性もある。

説明にはパンフレット(図3)のような教育ツールを用いて、看取りの時期におこる患者の変化を、家族に教える必要がある。患者は1週間ぐらい前から徐々に意識が混濁し、眠る時間が長くなる。食事をすることが難しくなり、尿量が減少する。時には、せん妄(不穏)がおこり意味の分からない体の動きがある。また看取りの直前からは、死前喘鳴、下顎呼吸、四肢のチアノーゼといった身体の変化が始まる。このような具体的な変化について予め教えることが家族と医療者の誤解を少なくする。

図3

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また多くの家族は、「これから具体的に何が起こるのか」知りたいと考えていることがほとんどである。医療者が、亡くなることを診断したら、まず家族と話しあう機会を持ち「これから何が起こるか、具体的に知りたいですか」と尋ねて、家族が聞く準備があれば看取りまでの過程を説明する。日本の遺族調査でも、家族は、看取りの時期の患者に「これから起こることを具体的に知りたい」と考えていること、また「予測される具体的な説明なしに『いつどうなるかわからない』、『何があってもおかしくない』という説明だけうける」のは好ましくないと考えている。[11]

 

亡くなるまでの自然な過程を説明した上で、家族はどのように患者と接したらよいか、医療者から指導、すなわちコーチして欲しいと考えている。[11] 具体的なコーチングの方法とは、意識のない患者に、 手を握る、意識がないようにみえても患者は聞こえていると考えて声をかけることを教える、食事ができなくなった患者に綿棒や、氷片を活用して水を口にするやり方を教えることである。[11,12]また、家族の看病がうまくできていると医療者から声をかける事も大切である。

 

このように、亡くなるまでの過程を医療者が積極的に説明し、患者の付き添い方を説明しないとどのような誤解がおこるのであろうか。

 

例えば、ある患者の痛みにモルヒネが投与された後から、よく眠るようになったとする。医療者は、苦痛が緩和された結果眠っている。しかし眠っているのはモルヒネで眠っているのではなく、看取りの時期にあるから眠っていると考える。しかし、家族は十分な説明を受けていなければ、モルヒネが患者を眠らせているとしか考えない。その結果治療に不信や、後悔を感じる結果となりうる。

 

例えば、患者にせん妄が起こり夜に起きていたとする。医療者は終末期せん妄が発症し一日の時間が変調したと考える。つまり患者にとって、昼や夜と言った時間の区別はなく、患者自身の時間の流れで毎日を過ごすようになると理解する。しかし、家族は薬で患者の精神状態が悪化したとか、悩みすぎておかしくなってしまったとか、気が弱い正確のせいでおかしくなったとか、認知症になったと考える。また、ある家族は、「自分が十分な看病ができなくなったことで、患者が怒っている」と誤解しとても強い悲しみを感じてる。せん妄は医療者にも誤解が大きく、「気が弱いNさんが、がんの告知を受けたので、せん妄になった」とか、「うつ病になり無口になった」とせん妄を誤解している時もあることから、終末期せん妄に対する理解は、臨床的に非常に重要である。

 

例えば、徐々に食事ができなくなったとする。医療者は全身状態の衰弱によって食事ができなくなった、嚥下ができなくなったと考える。しかし、家族は元々のがんで亡くなるのではなく餓死してしまう。食べればもう一度元気になると考える。医療者の十分な説明がなければ、家族は過度な治療を要求する可能性もある。また医療者も何とか家族の誤解を打開し、事態を収拾しようとし、結果として死前におこる食欲低下に対して、不適切な量の輸液もしくは中心静脈栄養が開始される可能性もある。

 

例えば、死前喘鳴が起こったとする。医療者は亡くなる前の自然な現象で、症状というよりも亡くなる前の徴候であると考える。痰ではなく飲み込めない唾液や気道分泌物が音を立てていると考える。しかし、家族は痰で息が苦しくなっている、窒息しそうになっていると考える。死前喘鳴を初めて経験する家族は、呼吸の不自然さに心配や恐怖を感じていることため、医療者は、気道への分泌物の蓄積が原因と推測されること、亡くなる前にみられる現象で、本人は苦痛を感じていないであろうと適切な時期にすぐ説明することが重要である。[22]

 

このように、家族への説明、コーチングが不足することで起こる誤解は多い。誤解に対処しさらに、家族の力を強めることは、医療者の重要な役割である。

このような、まず家族への説明、コーチングを経て、初めて家族の悲嘆に対処する家族へのケアを始めることができる。

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