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2013年8月

2013年8月26日 (月)

植物園の人々

医学書院の某誌に投稿した懸賞論文です。今回rejectされてしまいましたので、再投稿するさきもなく、ここにアップします。自分としては今の等身大の気持ちを書けたのでとても満足しています。ここに掲載して成仏させます。


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植物園の人々

浮き輪の、空気を入れるところみたいだな。

病棟の一室で、脳外科の医師になって初めて胃ろうを見たとき、そんな風に思った。ほんの少し前まで医学生だった僕は、胃ろうという言葉は知っていても、それがどんなものなのかは全く知らなかった。あの人のお腹についたプラスチックのちっぽけな部品が、実は胃につながっていて、人の命を支える大切なものだということが、何だかうまく理解できなかった。今からもう15 年以上前のことだ。

ある夜のこと、意識のないあの人が救急車で運ばれてきた。脳動脈瘤が破れた、くも膜下出血だった。この頃は、例え数パーセントの可能性でも、何かしらの改善の見込みがあれば、執刀医は手術を勧めた。Do everything、実行可能な全ての処置、手術をする。シンプルな教義だ。回復の見込みはないかもしれないと考えていながらも、「数パーセントの可能性にかけましょう」と医師が話せば、家族はお願いしますと頭を下げる。

上司も僕もただ手術がしたかった訳ではない、ましてや金儲けをしようと思っていたわけでもない。そこには、例えどんなに小さな事でも、患者のためできる事は何でもしたい、救いたい、善行を為したいという高い倫理観があった。処置の全ては、テープの貼り方から手術の道具の使い方まで、一挙一動に何かしら意味があり、それは、過去から蓄積された職人的な小さな善行の積み重ねであった。その習得こそが若い医師の修行だ。

手術は無事終わり、「うまくいきました」と上司が告げると、家族は安堵の表情を浮かべ、頭を深々と下げて感謝の言葉を繰り返した。しかし、手術室から病室に戻ってきてもあの人の意識は戻らない。確かに手術はうまくいったが、脳の障害が強く意識が戻らなかったのだ。手術の直後から頻回の診察と検査が行われ、患者のわずかな問題も見逃すまいと、僕も連日付き添った。家族も医師もどちらも同じく患者の回復を祈り続けた。家族は一家の大黒柱を、医師は全身全霊をこめて処置をした患者を、簡単にあきらめることはできなかった。死を食い止めるために皆必死だった。

しかし、小さな善行を日々積み重ねても一向に意識の回復がなく、時間ばかりが過ぎていく。そして時間が経つにつれて、点滴だけでは身体に必要な栄養を補うことができない、栄養が足りなければ回復は得られないと考えるようになり、まずは鼻からチューブを通して栄養剤を胃に送り込む。そのチューブも時間が経てば入れ替えなくてはならない。入れ替えの度に患者は喉を管でつつかれて苦しむ。いつものように、何か出来ることはないのか、少しでも良い方法はないのかと考えた結果、「管を入れ替えなくてもずっと栄養が投与できる胃ろうの処置をしましょう」と家族に説明した。家族は黙っていた。もう出来ること全てを実行しても、意識を取り戻すことはないだろうと、気がついていたからだ。だからこんな時は、どの家族もいつも同じ返事だった。「先生にお任せします。」

もちろん医師も気がついていた。あの倒れた日の前の日に、患者は戻すことは出来ない。それでも、患者の身体にメスを入れて命に対する責任を負った以上、意識のないまま寝たきりになっても奇跡的な回復が期待できなくても、今日よりも明日が少しでも上向く小さな善行を積み重ねていくしかないのだ。

次の日、内視鏡での胃ろうの処置が30 分足らずで手際よく終わると、顔の一部になっていた管はなくなり、すっきりとした本来の顔になる。「ああ、こんな顔の方だったのだ」と初めて気がつく。それまで毎日点滴や栄養の投与のため管につながれていた時間が少なくなり、ベッドの周りもすっきりとしてくる。そして、小康状態となったあの人の時間は止まり、日々の色彩はなくなる。家族の日課には病院への見舞いが加わる。毎日夕飯の材料をスーパーで買った後見舞いに来る妻も、いつの間にか、まるで自分の家に帰るように病院で暮らすあの人の元へ「ただいま」と帰るようになってくる。

あの人と同じような状況、同じような病気で次々に患者が病院へ運ばれてくる。意識がほとんどない患者は、同じような治療を受け、同じような状態になる。そしてそんな患者が集まったこの4 人部屋は不思議な空間となる。付き添いの家族達がいない昼間は、誰もしゃべらない静寂に満たされている。時々漏れる患者達の咳やあくびの声。そして夕方に、それぞれのベッドに家族がやってきてようやく、この部屋に人の気配が戻る。

僕はこの植物状態の患者が集まった部屋を、「植物園みたいだ」と思いながら毎日診察していた。植物園は慌ただしい病院の中でも異質で、一見時間が止まっているかのようにみえる。それでも窓の外の天候は変わり、朝から夜へと部屋の光も変わり、誰かが出入りすれば、部屋の色彩が変化する。僕だって植物園の止まった時間をかき回す色彩の一部だ。しかしみんなが部屋から出て行けば、患者達だけになる。すると部屋にはまた静けさが戻り、そして時間が止まる。まるで誰もいない平日の植物園のように。

毎日夕方になるとそれぞれの家族が集まって来る。みんな同じ地元だ。以前からの知り合いもいる。声を掛け合いながら、まるで近所の人達が道端で立ち話しているような会話で病室があふれる。

「あんた、毎日家でちゃんと食べてるか。」

「おたくも大変だねえ、たまには私がみておこうか。」

植物園は、同じ状況の家族同士でしかわかり合えない貴重な交流の場ともなる。

「先生に胃ろうって言われたよ。どんなもの?」

「ウチの旦那のお腹みてごらんよ。ほら怖くないだろ。」

ここでは食事時になると、独特の土色でちょっと変わったにおいのする栄養剤が同じように吊され、管を通り、小さなプラスチックから身体の中に入っていく。

こうして植物園を毎日訪れ、返事のない患者を診察し、それでも名前を呼び、声をかけ続けていると、不幸な出来事の一日から始まった病院での新しい時間が、患者にも家族にも積み重なっていく。僕も患者、家族との長い付き合いの中、季節を積み重ねていった。 最初に診た患者の看取りまで付き合うというのが、僕のいた病院の不文律だった。これもまたとてもシンプルな教義だ。

病院を離れて家に帰り、ふと胃ろうの患者を思い浮かべると、「こうして生きている命に価値はあるのか」という疑問がふと頭をよぎった。「患者に食事の喜びはあるんだろうか、毎日どんな風に思って生きているんだろうか、こんな風に生きていくことは幸せなんだろうか」若かった僕の頭には色んな思いが巡っていた。そんな時、僕は何とも言えない憂鬱を感じた。

それでも、また次の日病院へ出勤し、ロッカールームでひとたび白衣を着れば、僕は医師という別の存在となる。普段着の僕は悩んでいても、白衣を着た僕は、胃ろうをつけて生き続ける患者をずっと支え続けることに、何も疑問を感じていなかった。こうした毎日を送るうち、同じような状況の新しい患者と出会う度に何度でもまた一から治療を積み重ねていく事が、医師の仕事なんだと悟った。そして、毎日を静かに生き続けている植物状態の患者をずっと見つめ続ける忍耐力と責任感が、僕を医師として成長させた。胃ろうは小さな善行の積み重ねの結果だと思っていた。

それから、15年が過ぎ僕は、脳外科から内科に移り、そしてホスピスで長く働いた後、小さな診療所を開業し往診に出かける医師になった。ほんのわずかな間に、病院の対応は驚くほど様変わりした。最近の病院では、回復の見込みがない患者はそう長い間は入院が続けられない。病院は、在院日数を減らすために数ヶ月いや数週間以内には患者を転院、退院させるのが通例となってきた。積極的な治療の適応がないと医師に判定された患者は、「この病院は、急性期治療の患者を治療する所なので」と説明され、治療の打ち切りを突然宣言されるようになった。回復の見込みがないと判定された患者とその家族は、自分達がどれだけ困っていても、公共に理解ある物わかりのいい市民として、次の患者のために病院から立ち去ることを要求されるようになった。

医師と患者の関係はいつしか、どのような治療をするのかという契約関係ばかりが先鋭化し、積み重なる時間の中で熟成される人間と人間のつながりは消えた。患者の将来をひたむきに考え抜く医師も減り、自分の手術をした医師の名前さえ忘れる患者も出てきた。そして、植物園とそこに住む人々は、病院から消えてしまった。静かな時間の中で、病室での止まった時を平穏に過ごす患者も、お互いを励まし合う家族同士の姿もなくなった。病院、施設、自宅を転々としながら、患者も家族もそれぞれの場で孤立するようになった。ついには、「胃ろうをしない選択」、「胃ろうからの経管栄養を中止する選択」の提案がなされ、価値のある生が強調され、無為に延命を図る医療を否定するようになった。

医師は、「寝たきりで胃ろうで生きている命に価値はあるのか」と問い続ける憂鬱から逃げ出し、治療の差し控えを家族に助言するようにもなった。植物状態になった患者を転院させることで、患者から逃げ出すこともできるようになった。市民は、「寝たきりで胃ろうで生きるなら死んだ方がまし」と考えることを尊厳死と錯覚するようにさえなった。しかし僕は、今の医師や市民の命の考え方に、危機感を持っている。彼らは自分自身が老い、死にゆく事実を直視することから逃げ出そうとしているだけなのではないか。彼らの考える尊厳死とは、本当に尊厳のある生の延長にある死なんだろうか。そして医師は、老い、病んで死にゆく患者の尊厳と真に向き合っているんだろうか。

かつての「植物園」には、美しい花を咲かせることはなくとも、静かに穏やかに何も求めず不平も言わず、ただひたすら生き続ける患者がいた。そんな患者を見守り続ける家族と、小さな善行を積み重ねる医療者がいた。たとえいつかは枯れてしまうと分かっている植物でも、一枚でも葉が残っていれば、そこにわずかでも命があれば、大切に見つめ続けるまなざしがあった。枯れゆく植物を愛でながら、言葉にならない思いを伝えようとする対話があった。

しかし今では、花が散り、盛りが過ぎれば、その葉が茎が生を蓄えていても、根ごと引っこ抜き捨ててしまう。花が散った後の植物には既に価値はないと言わんばかりに。あの人のように働くことも出来ず、自分の力で生きていくことも出来ない、意識がなく、寝たきりになった胃ろうをつけた患者には、生きる価値がないと考える風潮が静かに広まっている。しかし、命の価値は、盛りが過ぎても失われることはない。人は生きている以上、老いること、死にゆくことという、人生の冬から目を背けることはできない。

僕が思うに、この胃ろうに関する問題の本質は胃ろうの医学的価値、臨床的解釈ではない。医療コストの適正化でもない。人の死生観でも、胃ろうを巡る倫理的論争でもない。ましてや、生活の質(quality of life)の追求でもない。問題の本質は、今の社会に拡がる、価値のある命と価値のない命を選別し、価値のない命は消滅した方がよいという、偏狭な思想の台頭にあるのではないかと思っている。

 

  今僕は毎日往診に出かけて、それぞれの家で孤立している患者と家族の懐に飛び込み、自分という存在を彼らの日常に染みこませようと試みている。

「こんにちは、もう一週間経ってしまったよ。今日は水曜日だよ。どんな一週間でしたか。何かいいことはありましたか」

「いやー先生、相変わらずですよ、毎日同じようなもんです」

と、いつものように声をかけて診察を始める。体調と治療の具合、そして最近の暮らしの様子を話しあってから、診察を終える。平穏な時間だ。

「来週も同じ時間に来ますよ、また会いましょうね」

彼らが、「こんな状態で生きていても仕方がない」という刹那な価値観に支配されず、命の価値を見失わないで、植物園にいた「あの人」のように生を全うすることを見守っていきたい。本当の「医」とはきっとそういうものなんだろう。

Acknowledgment

Special thanks to Mamiko Yoshida and Kuniko Mizukami for editing my script and supporting me.

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2013年8月11日 (日)

僕が医師として考えてきたこと 10.「人に対する驚きを持ち続けろ」

「人に対する驚きを持ち続けろ」

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医療の中でも特に緩和ケアに長く関わる上で、一番大切だと思う事は、やはり他者に対する好奇心である。私の尊敬する医師、看護師をはじめとする医療者は、「どういう人なのかな」「この人の好きなことは何なのかな」という無垢な好奇心がとても強い。「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」(形而上学、アリストテレス)紀元前から伝わる人間の本質である。現在の医療の現場でもきちんとこの言葉は生き続けている。

緩和ケアに限らず相手の初期アセスメントはとても大切なことだが、あらゆる症状のスコアをつけていき、詳細な家族関係図を書き、住所、電話番号といったプロファイルをまとめていくことで、相手を知ろうとしてはならない。また、病名の理解や、予後の理解といった情報を収集することで緩和ケアの評価としてはならない。患者や家族は、医療者の評価を通じて自分が数値化された対象物であるかのような錯覚を覚えるからである。アセスメントを通じて、自分の中にある人への好奇心を開放し、例えある程度時間がかかったとしても相手との対話を心から楽しむ心がないと結局はよい治療関係を築けない。「こんな趣味があるのか」「こんな仕事もあるのか」「こんな家族の価値観もあるのか」と驚きを持ち続けるには、自分の心がとても平静である必要がある。話が横道にそれていったときに、相手の本音と人間的な魅力があふれ出してくる。

そして、人に対する驚きは、患者への慈愛につながり、本当の意味でのオープンクエスチョンとなる。患者に答えを限定させないコミュニケーションを通じて、医師は自分が相手に何を為すべきか、そして患者も自覚していないニーズを探索することが出来る。本当に困っている人達は、自分がどうしたいのかというニーズを考える余裕はない。病気と苦難を真正面から語り合っても、苦悩がかえって深くなる事も多々ある。相手を知ろうとする医師の好奇心は、患者にとっては希望の光になることもある。

「毎日繰り返されるルーティン・ワークと『驚き続ける快感』とを両立されることは意外に難しい」(驚きの介護民俗学、六車由美)という指摘通り、医師に限らずケアの提供者だけでなく、誰しも心的疲労が強くなると好奇心を失う。医師が、患者に対しての好奇心を失えば、次々に出会う患者を符号化された対象物として扱い、自分の職務をどうにか果たそうとする。患者一人一人の人間としての多彩な深みを知ろうとすることに疲労した医師は逃避しようとする。疲労した医師は、患者とも家族ともそして他の医療者とも接触を避けて、人間同士の会話、接触を避けるようになる。当然、患者や家族に対する驚きも完全に失ってしまう。

相手に好奇心を抱くこと、驚きを感じることが出来ることは、医師自身の心的状態のバロメーターになる。相手に驚くことが出来なくなったら、自分がバーンアウトしている可能性が高い。そして、自分自身の仕事に対する取り組みを真剣に考え直す必要がある。

病気よりも人が好きであれ、そして人に驚き続ける自分を整えよ。

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2013年8月10日 (土)

僕が医師として考えてきたこと 9.「症状の最小化よりも、QOLの最大化を」

「症状の最小化よりも、QOLの最大化を」

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患者に緩和ケアを提供する目的は、苦痛の緩和が第一歩となる。身体的な苦痛の甚大ながん患者に対しては特に緩和ケアは重要である。苦痛の中でも痛みの緩和が最も重要で、医療用麻薬を含む薬物治療が行われる。医療用麻薬を適切に使用し、痛みと副作用を最小化することで、患者のQOLを最大化する知識と技術が求められる。まず、何よりも最大の苦痛に対処しないことには先には進めない。

苦痛のような疾病に関する問題に直面したとき、臨床医は当然早く問題を解決しようと考える。そして臨床医は、短期的な治療計画を積み重ねることで診療を構築する癖がある。今日の問題を明日解決するにはどうしたらよいのかを第一に考える。例えば、医療用麻薬の投与量が不十分で、痛みが残っているのなら、明日からどれだけの量を投与したらよいのかを、診察の際に考える。そして、次の診察では、自分が為した治療の結果どうなっているかを確認する。このように診療毎に患者の状態の差分を観察し、次に何を為すのかを考え続けるのが診療という行為の根本であることは緩和ケアでもどの医療分野でも同じである。

このような診療を続けて行くと、前回よりも痛みが残っていれば鎮痛薬を増やし、便秘などの副作用が悪化していれば便秘薬を投与するのが、診療の中心になっていく。大きな目標である「苦痛の緩和」を目指していても、まずは目の前のことを一つ一つ丁寧に解決していこうとする。

しかし、多くのがん患者は診察毎に小さな状態の変化をおこし、病状は絶えず揺らいでいる。前回の診察と同じ状態であるということはまずない。患者の状態の差分を検討しても、病状の変化と治療介入による反応の区別が明確にはできない。苦痛な症状だけではなく、病状の揺らぎをさらに制御しようと、医師の提供する治療と処方も揺らぎ続ける。結果として、ゴールのない診療を続けて行き「これでいいんだ」という合意を医師と患者の間に築けなくなる。

こうして症状の最小化、いいかえれば症状の緩和を主目的とする緩和ケアは、悪循環となる。そして、仮に完全に痛みが緩和されたとしても、痛みの次に問題となっていた症状が次は最も大きな苦痛な症状となり、患者と医師の前に立ちはだかる。ただ苦痛の順位が入れ替わるだけなのである。このような診察を続けると、患者と医師はいつまで経っても、適切な緩和ケアを提供できたという実感を持つことができなくなってしまう。患者は診療の度にあらゆる症状の度合いを医師から尋ねられ、全ての症状が0になるという現実にはあり得ない目標を追求されてしまう。医師は診察の度に、行われている治療に何が欠損しているということに心が囚われ、患者は自分の症状だけが医師の関心事になっているという落胆が大きくなっていく。

この陥りやすい悪循環から診療している患者と診療に当たる医師が救出されるには、まず苦痛な症状が患者の生活にどういう影響があるのか考える。そして苦痛の緩和が患者の生活をどう変えたのかを対話の中心にしなくては、治療の目的を見失う。例えば患者は痛みがなくなりどういう生活を取り戻したのか、残った痛みのために生活の何が犠牲になったのかを診療の度に話し合うのである。生活のことを話題の中心にすれば、どんなことを毎日感じながら暮らしているのか、どんな人達が患者の周りにいるのか、どんなことを患者は大切にしているのかは自ずと明らかになっていく。

古代ギリシャの哲学者エピクロスが、「苦痛がないことこそが最高の快楽であり、人生の目標だ」と2000年以上前に指摘した。苦痛がないことの境地には、真の幸福があるというシンプルな幸福論である。緩和医療の主目的となる、苦痛の除去は幸福の境地への道中の対処である。

  ここで大切なことを指摘しておこうと思う。患者は、それまでの何気ない幸福を、発病と苦痛と共に喪失してしまう。手の中にあった幸福の大きさに、発病してから気がつく患者も多い。きっと私も将来同じ体験をすると確信している。当たり前に家族で過ごせること、元気に毎日仕事が出来ることの幸福をかみしめるのである。そして、医療者と共に、苦痛のないことの境地を目指していくと、以前の幸福を回復し奪還するのではなく、全く違った新しい幸福を手に入れる患者に出会う事がある。自然の偉大さに感謝したり、周囲の人達の真心に感謝したり、深い愛情の意味を見出したり。苦しみの中にいた患者に、崇高な羽衣が見えるような、素晴らしい目撃を何度もしてきた。幸福の境地に達する患者を道案内し、患者の幸福を目撃することができれば、医師にとっても大きな喜びを共有できるでろう。

 

苦痛の除去が主目的になるのではなく、幸福の境地を目指す患者の生活、暮らしがどういうものであるのかに医師は最も関心を払わなくてはならない。QOLを話題の中心に据えておけば、ただ痛みがどうなったのかという症状の最小化ではなく、QOLの最大化が緩和ケアの目的となり、患者と医師は、現実的な治療のゴールは何かを共有できるようになると思う。全ての苦痛が0になることを目指すのではなく、また発病以前の状態に戻るのを目指すのではない。例え苦痛が残っていても、その時の生活の中に、どのような幸福を見出しているかを話しあう。それがQOLを最大化することなんだと思う。そして、述べたように苦痛が最小化した境地には患者と医師の共有できる感動が待っていると思う。

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2013年8月 4日 (日)

僕が医師として考えてきたこと 8.「自分を割れ」

「自分を割れ」

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医師であっても看護師であっても、またどんな職種にあっても、外側の自分つまり社会的な自分と、内側の自我つまり私的な自分がいつも葛藤をしている。社会的な自分は、いつも職業人として自分の役割を演じることで、社会を生きていく。患者と接するときも職業人としての役割を果たすことが、まずは患者から、そして社会から求められる。社会的な自分は、どんな患者でもどんな家族でも対応できる広い守備範囲をカバーできる長所をもつ。そして相手に自分の職業的な能力を、均一に高いレベルで提供することを可能とする。

しかし、自分の能力を十分に発揮できなくなることが日々おこりうる。外来の診療中でも、入院患者の回診でも、往診先の家でも。社会的な自分を演じている合間にも、私的な自分は、瑣末な要求を自分に向かってささやき続ける。「早めに仕事を終わらせて早く帰らなきゃ」「この患者と話すと長くなるからうまく話しを切り上げるにはどうしたらよいのか」「お腹が空いたなあ」「手術の始まる時間まであと15分しかない」など枚挙に暇がない。しかし、そのような心に浮かんだ言葉を口に出しながら仕事にあたるわけにはいかない。そして、私的な自分のささやきを聞かないふりをして、社会的な自分を演じていく。「まず今目の前の患者に向き合わないと」「今集中するべき事は何か?患者の治療以外ないはずだ」と心に言い聞かせて、医師としての職務を全うする。

また、大抵は私的な自分は社会的な自分の活動を妨げる。「本当にこの職場でいいのか」「他にもっと条件の良い病院があるのではないか」「キャリアアップを図るにはどういう職場が理想なのか」といった、私的な自分と社会的な自分の境目が分からなくなるようなささやきもまた、自分の毎日の活動を妨げる。

  自分を演じて仕事をするなんて、医師という役割を演じて病院にいるなんてとつい反発を感じてしまうのであれば、それは自意識に対する考え方が誤っている

自意識に対する考え方だが、本当の自分探しという物語を信じすぎている。自分の中には色んな自分があっても、その中でも一番大切な自分とは何かを追求する物語を信仰すると今の自分を認められなくなる。「すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である」(私とは何か「個人」から「分人」へ、平野啓一郎)との指摘通りである。医師であっても父親であったり、夫であったり、息子であったり、ある活動のリーダー的存在であったり、部下であったり、上司であったりあらゆる役割を同時にこなさなくてはならない。自分が本当に好きな自分は、「ある活動のリーダー的存在」なので、仕事はもう辞めて、趣味の世界で生きていきたいとか、本当に自分のしたいことが自分には分からない、本当の自分は何?と言いながら、急に自分探しの旅と称してどこかへ出かけていくとか、そういう「本当の自分」神話を信仰することで、今の自分を肯定できなくなる。(一神教的限界)

「たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」となる」(私とは何か「個人」から「分人」へ、平野啓一郎)と言うのが真理であろう。自分というのは置かれた立場、相手によって変化する。私的な自分も社会的な自分も全て自分である。どの自分が好きか嫌いかはもちろんあっても、「本当の自分」なんてどこにもないのである。あらゆる自分を同時に発揮しながら生きていくことが、元々の生き方なだと思う。求められるのは、あらゆる自分の複数の顔を切り替えるスピードだろうと思う。言い換えれば、今に集中する切り替えである。仕事を離れたら、別の顔になる。病院にったら、医師の顔になる。患者も様々である。どのくらい自分を割ることが出来るか、分人と呼ぶ複数の人格をどのくらい持ち合わせることが出来るかが、医師として求められる力量となるだろう。

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2013年8月 3日 (土)

僕が医師として考えてきたこと 7.「社会的な役割を演じきる」

「社会的な役割を演じきる」

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自分が医師として病院という現場で働く以上、必ず忘れてはならないことがある。患者、家族そして他の医療者、職員は、あなた自身に医師としての役割を期待している。一緒に働いていれば、あなたの私的な生活を知りたいと思うだろう。それでも、ベッドサイドや診察室では、医師としての働きが最も期待される。

例えれば、ディズニーランドでは、着ぐるみを着たキャラクター達には、プロとしての振る舞いを求めるのと同じである。ミッキーマウスが頭の部分を外して実はおじさんが中にいるとか、だらだらとした歩き方で移動していてはいけない。プロとして仕事に取り組むというのは、オフステージでの顔は決して出さないと言うことである。

患者、家族と長い時間接していると時に親密な会話が展開することもあるが、自分がプロの医師として相手と接していることを忘れない方がいいと私は考えている。患者に「先生の親ならこんなときどうしますか?」と、オンの状態の医師に、オフの状態の意見を求められたとしても、私は私的な自分の意見として患者、家族に語りかけることはない。「そうですね、どうしますかね。きっと今のあなたと同じように悩むことと思います。簡単に決められることではないですよね」という感じに対応すると思う。

ところで、私は社会的な役割を演じきることが、プロとしての医師の矜恃だと考えているので、仕事場では病院であろうと在宅であろうと白衣を必ず着用している。よく、患者と同じ目線でとか、同じ人間同士が助け合うという考えで医療に取り組んでいるのでと、私服やおおよそ医療者とは思えない制服で仕事に当たっている方もいらっしゃるが、私には理解できない。私的な自分を封鎖して、プロとしての社会的な自分にマインドセットを入れ替えるのに、白衣は必須のアイテムである。よほど訓練しないと、仕事ではプロとしての自分が言葉を語り、私的な自分を表に出さないという振る舞いはできない。私も以前どうしても幼い子供の守をする人がおらず、休日の職場に子供を連れて行き、別室で待たせている間に回診をしていたことがある。その時に感じた、プロとして自分の力を発揮できない違和感は、決して患者、家族にとってよい事とは思えなかった。在宅医療の診察をするようになり、ある施設で集団生活をしている皆さんのところへ、どうしても予定の調整ができず子供たちを連れて行ったときにも同じ事を感じた。その日はまず子供たちを待たせておいて、白衣を着て仕事をしてから、すぐに着替えて、一緒に子供達と患者と今に座って話をした。患者は、私的な私に触れることと、そして何よりも小さな訪問者たちをとても喜んでいた。

その時にも痛感したがやはり、自分にとっては、白衣というのは大事なスイッチのようなもので、私的な自分を封印するアイテムなんだと痛感した。私服を着た私的な自分のままでは、振る舞いも話し方も変わってしまう。医師としてのパフォーマンスは、意識している以上に抑制されてしまう。

とにかく、医師が私的な自分をむき出しにして患者、家族と接することは、プロとしての誇りを放棄することに等しいと私は思う。頭の部分を外してもなおミッキーマウスとして振る舞うことができるのは、ホンモノのミッキーマウスだけである。ホンモノは私的な自分と社会的な自分が完全に一致している。しかし、そんなホンモノの人なんて本当は一人もいない。同時に人は色んな役割を使い分け、それぞれの場所で演じ続けている。職場で、家庭で、また自分が大事にするそれぞれの場所で。プロとしての自分を演じきるには、私的な自分を封印する儀式が必要だと私は思う。だから私はこれからも白衣を着続けると思う。

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