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2013年8月10日 (土)

僕が医師として考えてきたこと 9.「症状の最小化よりも、QOLの最大化を」

「症状の最小化よりも、QOLの最大化を」

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患者に緩和ケアを提供する目的は、苦痛の緩和が第一歩となる。身体的な苦痛の甚大ながん患者に対しては特に緩和ケアは重要である。苦痛の中でも痛みの緩和が最も重要で、医療用麻薬を含む薬物治療が行われる。医療用麻薬を適切に使用し、痛みと副作用を最小化することで、患者のQOLを最大化する知識と技術が求められる。まず、何よりも最大の苦痛に対処しないことには先には進めない。

苦痛のような疾病に関する問題に直面したとき、臨床医は当然早く問題を解決しようと考える。そして臨床医は、短期的な治療計画を積み重ねることで診療を構築する癖がある。今日の問題を明日解決するにはどうしたらよいのかを第一に考える。例えば、医療用麻薬の投与量が不十分で、痛みが残っているのなら、明日からどれだけの量を投与したらよいのかを、診察の際に考える。そして、次の診察では、自分が為した治療の結果どうなっているかを確認する。このように診療毎に患者の状態の差分を観察し、次に何を為すのかを考え続けるのが診療という行為の根本であることは緩和ケアでもどの医療分野でも同じである。

このような診療を続けて行くと、前回よりも痛みが残っていれば鎮痛薬を増やし、便秘などの副作用が悪化していれば便秘薬を投与するのが、診療の中心になっていく。大きな目標である「苦痛の緩和」を目指していても、まずは目の前のことを一つ一つ丁寧に解決していこうとする。

しかし、多くのがん患者は診察毎に小さな状態の変化をおこし、病状は絶えず揺らいでいる。前回の診察と同じ状態であるということはまずない。患者の状態の差分を検討しても、病状の変化と治療介入による反応の区別が明確にはできない。苦痛な症状だけではなく、病状の揺らぎをさらに制御しようと、医師の提供する治療と処方も揺らぎ続ける。結果として、ゴールのない診療を続けて行き「これでいいんだ」という合意を医師と患者の間に築けなくなる。

こうして症状の最小化、いいかえれば症状の緩和を主目的とする緩和ケアは、悪循環となる。そして、仮に完全に痛みが緩和されたとしても、痛みの次に問題となっていた症状が次は最も大きな苦痛な症状となり、患者と医師の前に立ちはだかる。ただ苦痛の順位が入れ替わるだけなのである。このような診察を続けると、患者と医師はいつまで経っても、適切な緩和ケアを提供できたという実感を持つことができなくなってしまう。患者は診療の度にあらゆる症状の度合いを医師から尋ねられ、全ての症状が0になるという現実にはあり得ない目標を追求されてしまう。医師は診察の度に、行われている治療に何が欠損しているということに心が囚われ、患者は自分の症状だけが医師の関心事になっているという落胆が大きくなっていく。

この陥りやすい悪循環から診療している患者と診療に当たる医師が救出されるには、まず苦痛な症状が患者の生活にどういう影響があるのか考える。そして苦痛の緩和が患者の生活をどう変えたのかを対話の中心にしなくては、治療の目的を見失う。例えば患者は痛みがなくなりどういう生活を取り戻したのか、残った痛みのために生活の何が犠牲になったのかを診療の度に話し合うのである。生活のことを話題の中心にすれば、どんなことを毎日感じながら暮らしているのか、どんな人達が患者の周りにいるのか、どんなことを患者は大切にしているのかは自ずと明らかになっていく。

古代ギリシャの哲学者エピクロスが、「苦痛がないことこそが最高の快楽であり、人生の目標だ」と2000年以上前に指摘した。苦痛がないことの境地には、真の幸福があるというシンプルな幸福論である。緩和医療の主目的となる、苦痛の除去は幸福の境地への道中の対処である。

  ここで大切なことを指摘しておこうと思う。患者は、それまでの何気ない幸福を、発病と苦痛と共に喪失してしまう。手の中にあった幸福の大きさに、発病してから気がつく患者も多い。きっと私も将来同じ体験をすると確信している。当たり前に家族で過ごせること、元気に毎日仕事が出来ることの幸福をかみしめるのである。そして、医療者と共に、苦痛のないことの境地を目指していくと、以前の幸福を回復し奪還するのではなく、全く違った新しい幸福を手に入れる患者に出会う事がある。自然の偉大さに感謝したり、周囲の人達の真心に感謝したり、深い愛情の意味を見出したり。苦しみの中にいた患者に、崇高な羽衣が見えるような、素晴らしい目撃を何度もしてきた。幸福の境地に達する患者を道案内し、患者の幸福を目撃することができれば、医師にとっても大きな喜びを共有できるでろう。

 

苦痛の除去が主目的になるのではなく、幸福の境地を目指す患者の生活、暮らしがどういうものであるのかに医師は最も関心を払わなくてはならない。QOLを話題の中心に据えておけば、ただ痛みがどうなったのかという症状の最小化ではなく、QOLの最大化が緩和ケアの目的となり、患者と医師は、現実的な治療のゴールは何かを共有できるようになると思う。全ての苦痛が0になることを目指すのではなく、また発病以前の状態に戻るのを目指すのではない。例え苦痛が残っていても、その時の生活の中に、どのような幸福を見出しているかを話しあう。それがQOLを最大化することなんだと思う。そして、述べたように苦痛が最小化した境地には患者と医師の共有できる感動が待っていると思う。

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