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2013年8月 3日 (土)

僕が医師として考えてきたこと 7.「社会的な役割を演じきる」

「社会的な役割を演じきる」

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自分が医師として病院という現場で働く以上、必ず忘れてはならないことがある。患者、家族そして他の医療者、職員は、あなた自身に医師としての役割を期待している。一緒に働いていれば、あなたの私的な生活を知りたいと思うだろう。それでも、ベッドサイドや診察室では、医師としての働きが最も期待される。

例えれば、ディズニーランドでは、着ぐるみを着たキャラクター達には、プロとしての振る舞いを求めるのと同じである。ミッキーマウスが頭の部分を外して実はおじさんが中にいるとか、だらだらとした歩き方で移動していてはいけない。プロとして仕事に取り組むというのは、オフステージでの顔は決して出さないと言うことである。

患者、家族と長い時間接していると時に親密な会話が展開することもあるが、自分がプロの医師として相手と接していることを忘れない方がいいと私は考えている。患者に「先生の親ならこんなときどうしますか?」と、オンの状態の医師に、オフの状態の意見を求められたとしても、私は私的な自分の意見として患者、家族に語りかけることはない。「そうですね、どうしますかね。きっと今のあなたと同じように悩むことと思います。簡単に決められることではないですよね」という感じに対応すると思う。

ところで、私は社会的な役割を演じきることが、プロとしての医師の矜恃だと考えているので、仕事場では病院であろうと在宅であろうと白衣を必ず着用している。よく、患者と同じ目線でとか、同じ人間同士が助け合うという考えで医療に取り組んでいるのでと、私服やおおよそ医療者とは思えない制服で仕事に当たっている方もいらっしゃるが、私には理解できない。私的な自分を封鎖して、プロとしての社会的な自分にマインドセットを入れ替えるのに、白衣は必須のアイテムである。よほど訓練しないと、仕事ではプロとしての自分が言葉を語り、私的な自分を表に出さないという振る舞いはできない。私も以前どうしても幼い子供の守をする人がおらず、休日の職場に子供を連れて行き、別室で待たせている間に回診をしていたことがある。その時に感じた、プロとして自分の力を発揮できない違和感は、決して患者、家族にとってよい事とは思えなかった。在宅医療の診察をするようになり、ある施設で集団生活をしている皆さんのところへ、どうしても予定の調整ができず子供たちを連れて行ったときにも同じ事を感じた。その日はまず子供たちを待たせておいて、白衣を着て仕事をしてから、すぐに着替えて、一緒に子供達と患者と今に座って話をした。患者は、私的な私に触れることと、そして何よりも小さな訪問者たちをとても喜んでいた。

その時にも痛感したがやはり、自分にとっては、白衣というのは大事なスイッチのようなもので、私的な自分を封印するアイテムなんだと痛感した。私服を着た私的な自分のままでは、振る舞いも話し方も変わってしまう。医師としてのパフォーマンスは、意識している以上に抑制されてしまう。

とにかく、医師が私的な自分をむき出しにして患者、家族と接することは、プロとしての誇りを放棄することに等しいと私は思う。頭の部分を外してもなおミッキーマウスとして振る舞うことができるのは、ホンモノのミッキーマウスだけである。ホンモノは私的な自分と社会的な自分が完全に一致している。しかし、そんなホンモノの人なんて本当は一人もいない。同時に人は色んな役割を使い分け、それぞれの場所で演じ続けている。職場で、家庭で、また自分が大事にするそれぞれの場所で。プロとしての自分を演じきるには、私的な自分を封印する儀式が必要だと私は思う。だから私はこれからも白衣を着続けると思う。

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