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2013年7月27日 (土)

僕が医師として考えてきたこと 5. 「過去の概念を超えろ」

20130727_114710 まず、緩和ケアではどのように患者の苦悩と向き合うかについて考察してきたかを述べる。1960年にイギリスでホスピスと終末期医療の先駆的な活動をしていた、シシリーソンダースが、全人的苦痛(total painの概念を述べた。人の苦痛を、身体、精神、社会そしてスピリチュアルの4つで構成されているとした。シシリーソンダースは、看護師、ソーシャル・ワーカーそして医師と様々な職種を経験した。亡くなりゆく様々な職種での経験の集約から、人の苦痛は単に、痛みや呼吸困難とった症状と言われる体の苦痛だけではなく、不眠やうつとった精神の苦痛、そして社会的な役割や仕事を失う社会的な苦痛、生きる意味や信仰などと関連したスピリチュアルな苦痛もあるという多面的な問題を提唱した。

患者の体験や考えを中心に、医療を提供するというホスピスケアの原則と、あらゆる苦痛に職種で対応するというのが、患者の苦悩との向き合い方であると提唱した。そして、モルヒネを定期的に使用することで、特にがん患者の身体的な苦痛の代表である痛みに対応することを治療の根幹と主張した。

全人的苦痛、職種連携、モルヒネに代表される医療用麻薬の適正使用現在も将来も緩和ケアの根幹とあり続けるであろう。全人的苦痛の概念はとてもうまくできており、シンプルかつ盤石であるからである。また、射程が広くソンダースの活躍したイギリスのみならず、この日本も含め全世界的に適応できる普遍性の高い概念である。

しかし、普遍的で盤石であるからこそ考えておかねばならない事がある。こういう盤石な概念というのは、世界に境界をつくり新たな構造を作る。クロード・レヴィ=ストロースが「野生の思考」で指摘したように、「分類はいかなるものでも、渾沌にまさる」のである。恣意的であれ、混乱した状態よりも人は秩序のある状態を好む。秩序を作り出さない限り、物事は伝達可能な事象にはならないし、次に何を行動したら良いのかもわからない。だから、人はあらゆる事を分類し境界線を引き続ける。全人的苦痛の4つの苦痛も例外ではなく、人間を洞察する上での恣意的な境界線に過ぎない。

盤石な概念に自分の心が支配されてしまうと、世界は狭くなる。目の前の患者をみても、4つの苦痛から物事を考えるようになる。短い時間で効率よく患者の状態を評価するには、全人的苦痛の概念は非常に便利である。しかし、この概念は道具の1つに過ぎないのに、概念に対して信仰にも近い感覚を持つようになると、概念は教義に昇格しさらに厄介な事が起きる。

さらに、人間は自分の世界を「自分のお気に入りのもの」で構成する。自分の関心の強さにより、患者も医療も意味づけしようとする。自分の関心が弱いものは、あたかも世界に存在しないかのように受け止め、関心が強いものは、大きな意味と価値があると考える癖がある。 患者に起こる問題、例えば胸痛を、循環器内科医は心臓から、消化器内科医は食道と医から、整形外科は骨から考えていくのは、それぞれの関心の違いからである。 さらには、各科を横断した救急、総合内科、家庭医は、関心により構成される世界観からの呪縛から逃れるための方法を探し続けている。そして関心で世界を構成するという、人間として逃れられない癖は、一つの深刻な問題を生み出す。

深刻な問題とは、教義となった概念は、どんなに盤石で普遍的であっても、他者との対立を生む可能性があるということである。緩和ケアに関心が強い医師にとっては、全人的苦痛を中心に考えない他の専門分野の医師を軽蔑する可能性がある。なぜ外科の医師は患者の苦痛が理解できないのか、化学療法に熱心な医師は患者の苦痛に関心がないのかと、他者と対立する機会を増やすようになるのである。あらゆる宗教を巡る争いもほぼ同じ問題を内包している。教義は信仰する人の心の中で絶対的な価値を獲得すると、排他的となる危険を帯び、時に他者を攻撃することとなる。全人的苦痛という博愛の概念が、皮肉にも他者を攻撃する可能性もあるのである。

盤石で普遍性の高い概念であっても、それは世界をみるメガネのような道具の一つに過ぎない。患者の訴えを4つの苦痛に分類し、まだ未知の苦痛を探索するのは、医師にとって大切な仕事である。しかし、全人的苦痛を含む緩和ケアの根幹に執心すれば、結局患者を狭い世界に閉じ込めて、協働するべき大切な同僚を失う。

自分が人生を捧げる分野を決意したときから、過去の偉人とその概念を絶えず超えていくことが求められる。超えていくときには、必ず自分の心に合図のメッセージが来る。「緩和ケアってそもそも何なのか」という自分の概念アップデートを促すメッセージが。メッセージを受け取ってしまったら今まで居心地の良かった過去の概念を一新する苦しい時が来る。今まで自分が目を向けなかったあらゆる知的な体験から次の概念を探さなくてはならない。

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