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2013年7月14日 (日)

僕が医師として考えてきたこと 3.「三位一体の苦痛に対処せよ」

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緩和ケアは、患者とその家族に提供されるものである。苦痛に苛まれた患者を側で見続けている家族にも、その苦痛は伝播する。痛みに苦しむ患者の身体を、為す術もなくたださすり続ける家族は、第2の患者とも言えるほどの苦痛を抱えることとなる。

例えば、がんの進行と共に、患者のほとんどは食欲不振に陥る。普通に食事を食べるという毎日の営みを喪失することで、患者は健康の喪失のみならず、死への恐怖を日常的に感じるようになる。「食べられるようになれば元気になる」という信念の元、患者は必死に食事を食べようとする。そこには、味覚を楽しみ、季節を感じる余裕はない。「生きていたい」という生への本能的な欲望が、食行動の根幹となる。

そんな恐怖と向き合う患者を、家族は必死に支えようとする。料理の仕方を工夫し、栄養を考え、少しでも食べられるように、そして毎日患者の苦痛を軽減しようと、家族も苦悩に包まれていく。以前のように食べられないと悩む患者の恐怖と、自分の料理を食べてもらえない家族の落胆は、同じ時間の同じ状況下での出来事でありながら、それぞれ全く種類の異なる苦痛となる。何とか今の状況から脱したいと患者も家族も苦悩しながらも、時には衝突するようになり、患者は「家族から食事を食べろと強要される苦痛」を訴え、家族は「自分が作ったものを患者が食べようとしない思いの届かない苦痛」を訴え、葛藤が強くなる。

このような状況の時、医師を含む医療者は、患者と家族の苦痛にそれぞれ別の観点から、それぞれに対応する必要がある。このような、それぞれ別種の苦痛を抱く患者と家族を同時に診察室で対応しても、かえって葛藤は深くなるばかりである。まず患者の苦痛を対応し、次に別の場所、機会に家族の苦痛に対応しなくてはならない。患者と家族、それぞれに同じ時間と労力を注ぎ対応することで、初めて良質な緩和ケアの実現が可能となる。それぞれの苦痛に対して、時間をかけて丁寧に対応することで、必ず患者と家族の苦痛を同時に緩和するよい方法が自ずと見つかってくる。

加えて、第3の患者とも言うべく、患者の主治医や看護師の苦痛にも対応する必要がある。特に、 緩和ケアチームのように、他科のコンサルテーションを中心に活動する際には第3の患者への迅速な対応が求められる。患者と家族の苦痛に直接対処している医療者もまた、同時に苦痛を体験していると考えておく必要がある。

例えば、患者の痛みが十分に緩和されていない状況では、患者を担当する看護師も「どうやったら、自分の受け持っている患者の痛みが緩和されるのか」と悩んでいる。繰り返し「痛い痛い」と訴える患者の苦痛を受け止めて、まず主治医に相談する。緩和ケアに十分習熟していない、別の専門家である主治医は、「がんの治療が功を奏せば、痛みもなくなる。今はがまんの時だ」とか「麻薬を使えばかえって患者の体力はなくなり、結果として予後も悪くなる」と言う信念で患者の痛みに対応しようとしない。

こんな状況で、もし緩和ケアの専門である医師が相談を受けたらどのように対応するのがよいか。主治医に医療用麻薬の使用を勧めて、時には処方箋を自ら発行し、患者の苦痛を少しでも早く緩和するのが一番よい対応であろうか。それとも、患者そして看護師の苦痛を軽減するために、主治医に対して「治療と同時に緩和ケアは行うべきです。同時に治療するのが今どきの対応です。麻薬は患者の寿命を短縮するエビデンスはありません」と主張するのが一番よい対応であろうか。

どちらのやり方も、結局は緩和ケアの専門家と主治医との間に、信念の対立を生む可能性が高い。患者の苦痛の緩和を第一に考えて行動し、主治医の信念はそれを妨げるものと考えていると、高いレベルの緩和ケアの提供はできないばかりか、コンサルテーションを受けるという専門家としての対応が習熟できなくなる。主治医を通り越して患者の処方に対応し、患者の苦痛が速やかに緩和されたとき、患者は治療に対応する主治医に対して、これからも信頼を維持できるであろうか。主治医に緩和ケアの重要性とエビデンスを突きつけて説得し、もし信念対立が生じてしまったら、主治医は、次に苦痛に悩む患者のコンサルテーションをするであろうか。

患者の苦痛にうまく対応できない主治医に対して、第3の患者として接することで新しい関係を構築する事が、まず緩和ケアのコンサルテーションを受けたときの第一歩である。そして、緩和ケアの始まりはいつも対話である。まず主治医が患者に対してどう考えて治療に対応してきたのかを聞き、患者の苦痛を主治医がどう体験してきたのかを聞けば、主治医の苦痛は自ずと伝わってくる。すると、必ず緩和ケアに強い信念を感じている医師にも、相手に対する寛容さが生まれてくるはずである。相手が対話に応じない医師であっても、真正面から対話を求めるだけではなく、剛柔様々な方法で相手にアプローチし続けるのである。

例えば対話を通じて、「痛みのある患者の話を聞くことは、自分にとってつらいことだ」という苦痛を体験していれば、まず緩和ケアの医師が患者の苦痛を主治医に代わって十分に聞く時間を確保することを約束するのが、主治医に対する緩和ケアの提供である。

主治医が外科医で、外来、手術、そして管理的な仕事に追われ、「本当は患者の話を十分に聞かなくてはならないことは分かっている。でも自分にはその時間がない」とさらに心の内を話してくれれば、「先生の忙しい時間には、まず私が患者の苦痛に対応し、後で状況を報告します」と返答すれば、主治医の苦痛はさらに緩和されるかもしれない。

このように主治医の苦痛を緩和すると、患者、家族の苦痛も不思議と緩和されていく。そして、主治医は再び自分自身の力を発揮し、患者と家族に自信に満ちた表情で接することができ、結果として良好な関係に復帰していく。緩和ケアの医師がただ単に、痛みに対する薬物治療の提案をカルテに書き残し、たまたまその場に居合わせた看護師に自分の考えを述べるだけでは、緩和ケアの提供ができているとは言えない。患者、家族、そして一番身近で苦痛に対処している医療者の三位一体の苦痛を同時に評価し対処することが、自分の関わる臨床現場で緩和ケアを提供し続けることができることにつながる。誰の苦痛が一番早く緩和できるか、成果が出せるか、そんな観点で状況を眺めることで緩和ケアの新たな展開が見えてくることと思う。

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