« あなたの緩和ケアはどうしてうまくいかないのか 後編 | トップページ | 僕が医師として考えてきたこと 2.「自分の直感を高めよ」 »

2013年7月 6日 (土)

僕が医師として考えてきたこと 1.「薬物では新しい力は生まれない」

「薬物では新しい力は生まれない」

Medium_2078412018

診察中の患者が、「痛みがなくなった」と喜ぶを姿を見た時、「先生ありがとうございました」と言われた時、自分自身の仕事に誇りと大きなやりがいを感じた経験もあると思う。 痛みに対する医療用麻薬の実力は、患者のみならず緩和ケアに関わる医師にとっては、とても信頼できる大きなものである。自分の治療が患者の生活を改善することに感動した経験のある医師は、緩和ケアの魅力に心を惹きつけられる。治療の成功体験は、患者の医師に対する信頼感に、医師の患者に対する情愛に結びつく。しかし、医師として忘れてはならないのは、自分が処方する医療用麻薬を含むあらゆる薬物は、患者に新しい力を生むのではなく、病気に妨げられてしまった、患者自身が元々持っている力を、ただ引き出す助けをする物質だという事である。

治療の成功を体験した医師は、自分の力で苦しむ患者に魔法をかけたかのような錯覚を感じてしまうこともある。こういう体験は、患者の生殺与奪権利を得たような錯覚を医師に抱かせてしまうこともある。「自分が患者を救った。自分の治療で患者は生きていけるようになった。自分は患者を救った」と錯覚すれば、医師は患者の生活と心を支配してしまう。患者の人生の指針を共に考えるという立場ではなく、この患者にとって最良な生き方はこうであるという、暴力的なパターナリズムに陥っていく。そして医師はそういう自分に無自覚になりやすい。

医師は、自分の処方した薬物、自分の施した処置、自分の立案した治療が、患者のQOLを高めると考えてはならない。自分の為したことは、もともと患者が自分の持っている力を十分に発揮できるよう、病気の力を抑制したに過ぎない。病気という患者の毎日を妨げる負の力を弱めただけで、患者が生きていく基になる正の力は、医師の手が及ぶものではない。医師は、薬物を含むあらゆる治療で、患者の生きていく上での障害物を取り除くだけであり、患者自身がQOLを高める準備を手伝うことしかできないということである。

したがって、患者自身に生きる力がなければ、緩和ケアを適切に施しても、患者のQOLは高まらない。例えば、ほぼ寝たきりの状態で痛みのため、日中も夜間も顔をしかめて呻いている患者を診察したとする。患者にはもう既に生きる力が残っていないとしたら、鎮痛薬で適切に痛みの治療を実施したとき、この患者は穏やかな表情で眠る時間が長くなるはずである。すでに生きる力を失った患者は、再び立ち上がり、歩行や外出ができるようにはならない。医師は、患者が本来苦痛がなければどのような状況で毎日を送るのかという観点から診察をしなくては、治療のゴールを見失ってしまう。 医師は、患者に残っている力をそれまでの経過や、経験、検査の結果から推測し、治療の結果どのような状態になりうるのかを適切に患者や家族に伝え、話しあう必要がある。治療によって患者が再び立ち上がることを期待していれば、現実に苦痛なく眠っている患者を見た家族にとっては、苦痛がなくなったという治療の成果ではなく、治療により患者は寝かされた、鎮痛薬で眠らされたと誤解が大きくなる。また医師も患者に残っている力を見誤ると、自分の治療がうまくいっていないと思い込み、連日治療を調整し続けたり、薬物をめまぐるしく変更したりと無意味な対応をいつまでも繰り返してしまう。そして、患者の状態を楽観的に誤解した医師は、結果として治療の成果が得られないため、患者、家族と相対することが苦痛になってしまう。

このように、治療を担当する医師も、治療の恩恵を受ける患者も、治療の成果を期待する家族も、薬物では新しい力は生まれないことを十分に理解する必要がある。

|

« あなたの緩和ケアはどうしてうまくいかないのか 後編 | トップページ | 僕が医師として考えてきたこと 2.「自分の直感を高めよ」 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 僕が医師として考えてきたこと 1.「薬物では新しい力は生まれない」:

« あなたの緩和ケアはどうしてうまくいかないのか 後編 | トップページ | 僕が医師として考えてきたこと 2.「自分の直感を高めよ」 »