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2013年4月

2013年4月24日 (水)

今どきの在宅医療17 終末期がんの症状緩和 その3 在宅での持続皮下注射

 がん、悪性腫瘍の患者に対する症状緩和を実践する上で、持続皮下注射は必須の手技である。持続皮下注射には、携帯型シリンジポンプと27Gの翼状針、または24Gのテフロン留置針を組み合わせて、患者の胸部に刺入し、プラスティックフィルムで保護する。針の使い分けは、寝たきりで全く動けない患者であれば、翼状針でも支障ないが、トイレへの移動、外出など動ける患者や金属アレルギーの患者ではテフロン留置針を使用する。

 連日医師や看護師による機材の管理が可能な病院ならどのシリンジポンプでも特に不便を実感しないが、在宅では診療の間隔、訪問看護師が別の事業体といった問題もあり、機材の管理と、薬液の充填に工夫を必要とする。

PCA

流量

持続投与

日数

電動

あり

可変

4-7

ポンプ式

あり

一部可変*

4-7

* 一部可変ではあるが、持続皮下注射の投与量の上限は、1ml/hr 程度と考えられる。上限を超えると、持続的に皮下の吸収がされず、計画された投与ができない。ポンプ式の投与量可変タイプでは、1,2,3ml/hrのように、ほとんどが1ml/hrを超えるため、持続皮下注射ができないでは使用できない。

 携帯型シリンジポンプは、充電式で時々コンセントに接続する必要があるタイプと(電池寿命1-2日以内)、通常の乾電池の交換が必要なタイプ(電池寿命 7日程度)とがある。 在宅では、電動の携帯型シリンジポンプは、電池寿命が長い方が有利である。また、程度重量はあるが、投与量の変更や、早送りによる臨時投与がしやすい。充填する薬剤の日数は4-7日分を準備する。苦痛が強いときの早送りボタン(PCAスイッチ)が使用できるタイプを必ず使用する。早送りに、看護師や医師がその度に現場で対応すると、持続皮下注射の利点は半減してしまう。本人、家族に必ずどのような症状のときに早送りボタンを押すのかを指導する。

総量

PCA

コメント

シリンジポンプ TE361

テルモ *

5 ml

10 ml

あり

・操作ボタンが少なく、設定が簡単で誰でも使いやすい

10 mlでは日数がもたない

・ 充電が頻回に必要(2日はもたない)

デルテックポンプ

スミス **

50 ml

100 ml

250 ml

あり

・操作がやや煩雑

・カセットが高価

4-7日間の連続投与が可能

*  テルモ TE361 ホスピス、緩和ケア病棟で最も頻用されているタイプImg_3675

** スミス デルテックポンプ 私が臨床で最も頻用しているタイプ

Img_3676

 一方で、ディスポーサブルタイプは、バルーン式やスプリング式で充電の必要もなく全く動作音がない。しかし、投与量は例えば0.5 ml/時間と固定されているため、投与開始後の投与量の変更はできない。1.0ml/時間以上のタイプは、投与量が多すぎるため持続皮下注射には不向きである。早送りができるタイプもある。持続皮下注射が可能な投与量のタイプでは、充填できる薬剤は、50-100mlで3-7日間である。

シュアフューザー PCA スイッチ付き 私が臨床現場で実際に使用しているタイプ

PCAスイッチなしなら、0.3 ml/hr 50 ml (7日間)から、1.0 ml/hr 50ml (2日間)のタイプがある。PCAスイッチありだと、0.5 ml/hr 50ml (PCAボーラス量 0.5ml、ロックアウトタイム 15か30分)(4日間)タイプのものしかない。

Img_3522

製品の例

流量

PCA

リニアフューザー

テルモ

可変

なし

シュアフューザーA

ニプロ

不変*

あり

* 持続皮下注射ができる投与量のタイプでは可変のものはない。1.0 2.0 3.0ml/hrといった持続静注、硬膜外麻酔用のものは存在する。

 充填する薬液が、訪問診療の時にある程度余るように計算し投与量を決定する。頻回の早送りで当初の予定よりも早く薬液がなくなることもあり、そんな時は、電動のシリンジポンプでは、真夜中に警告音が鳴り響き、本人、家族も困ってしまう。また不必要な医師の往診が発生してしまう。早送りボタンの回数を必ず確認しながら、薬液を充填するスケジュールを管理する。

持続皮下注射はがんに限らず終末期医療の症状緩和には、とても有用な方法です。私のようにずっと持続皮下注射を活用してきた立場からは、この方法が使えないと、患者の苦痛は最小化できないと思います。「持続皮下注射なんてしなくても問題ない」「在宅で注射なんて」「そんな病院治療を在宅に持ちこむな」などという先入観から、実施を毛嫌いすると、患者の苦痛は放置されます。在宅医療に限らず、医療者は見えない苦痛はないものとして扱う傾向があるのです。つまりセンサーの感度が低ければ苦痛は見えない。そのような目線からは、私のような緩和ケアの専門医は「やり過ぎ」に見えることでしょう。しかし、在宅の現場では、医療者の観察時間が短いことからも、多くの苦痛は放置されている可能性があることをどうか忘れずにおいて下さい。

是非とも持続皮下注射を、在宅で苦痛に対応する医療者は習得して頂きたいと思います。(持続皮下注射のやり方のムービー

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今どきの在宅医療16 終末期がんの症状緩和 その2

Bm047web   臨床で患者が看取りの時期に入ると錠剤の内服ができなくなる。在宅医療の治療では、入院と異なり毎日、また1日に何度も診察、評価し指示、治療薬を変更することはできない。そのため錠剤の内服ができないという現実に直面したら、薬剤の中止と、内服できないときの指示を行う。薬剤の中止には、表を参考に症状緩和に関わるもの以外は全て中止する。この時期になると診察の度に処方薬が減っていく。

表 看取りの時期に再検討する薬剤 [14]。

必要だが

投与経路の 1)

変更を考慮する薬剤

以前は必要だったが

中止を検討する薬剤

すでに必要ではなく

中止が勧められる薬剤

鎮痛薬

制吐薬

鎮静薬(鎮静を目的とした薬剤,

もしくは睡眠の確保を目的とした薬剤)

抗不安薬

ステロイド剤 2)

ホルモン補充療法

血糖降下薬

利尿薬

抗不整脈薬

抗けいれん薬

降圧薬

抗うつ薬

下剤

抗潰瘍薬

抗凝固薬

長期投与の抗生物質

鉄剤

ビタミン剤


1)経口投与から,貼付剤、坐薬、持続静注,持続皮下注射への変更など

2)ステロイド剤は徐々に減量すること。特に高用量のステロイド剤を脳浮腫に対して投与しているときには注意が必要である


がん患者に多く投与されている、ステロイド剤は予後が1週間程度の患者には既に食欲不振や倦怠感に対するいわゆるドーピング効果はなくなり、かえって活動型のせん妄の原因になることもあるため、中止していくことが看取りの穏やかさには関連する可能性もある。そして、内服ができないときは「スキップしてよい」のか「1日の間に必ず服用する」のかを家族や看護師に指示する。例えば、睡眠薬は内服できなければ服用しなくても良いが、疼痛を緩和する経口もモルヒネは数時間内服時間が遅れても内服するという指示を、投与中全ての薬剤に対して明確にしておく。
次に、苦痛緩和に対する臨時投与薬を予め処方しておき、家族や看護師に使用する状況を明確に指示しておく(表)。

表 訪問看護師、家族でも使用できる臨時投与薬 (コンフォートセットの例)

症状

薬剤

コメント

疼痛

ボルタレン坐薬  or/and

アンペック坐薬

定期的にオピオイド投与中ならアンペック坐薬10-30mgを投与。

呼吸困難

アンペック坐薬 or/and

ワコビタール坐薬

オピオイド未使用ならアンペック坐薬は半量の5mgとするか、ワコビタール坐薬を投与することもある。

せん妄(不穏)

ワコビタール坐薬 or/and

ダイアップ坐薬

リスパダール液 0.5 mg

なかなか効果が得られないこともあり、繰り返し投与することもある。

気道分泌過剰(死前喘鳴)

アトロピン点眼薬 (舌下投与 1回2-3滴)

医師、看護師によりハイスコ or ブスコパンの舌下投与、注射で対応することもある


また処方をしておくことで、医師に対する緊急時の電話連絡にも対処しやすい。コンフォートセットを処方しておかないと、結局は医師が現場に到着するまで患者と家族は苦痛を体験することになる。また時間外に処方薬がすぐに手に入らない可能性もある。苦痛の原因となる症状や発現時期は予測できないため、内服できなくなった時期を見逃さずに必ず処方しておく。
苦痛緩和の基本薬である、医療用麻薬は内服ができなくなれば、貼付剤、坐薬、注射のいずれかに変更する(表)。

表 医療用麻薬(オピオイド)の投与経路の変更

投与経路

薬品名

投与量

経口・坐薬・経皮

経口モルヒネ (mg/日)

30

60

モルヒネ坐薬 (mg/日)

40

オキシコンチン (mg/日)

20

40

デュロテップMTパッチ・フェンタニル3日用テープHMT (mg/3日)

2.1

4.2

フェントステープ (mg/日)

1

2

ワンデュロパッチ (mg/日)

0.84

1.7

コデイン (mg/日)

180

トラマール (mg/日)

150

300

レペタン坐薬 (mg/日)

0.6

1.2

ノルスパンテープ * (mg/週)

10

20

静脈・皮下

モルヒネ注 (mg/日)

15

30

フェンタニル注 (mg/日)

0.3

0.6

オキファスト (mg/日)

15

30

* 適応外使用 ノルスパンテープは、1週間に一度貼付。非がん性の疼痛が適応。がん性疼痛には使用できない。1週間に一度の貼付なので、在宅医療では医療者が訪問時のみ貼り替えられることから、認知機能の低下した患者、独居の患者に有利である。他のオピオイドとの換算比は、ノルスパン 5mg≒5μg/hr ≒ 経口モルヒネ 20mg/日を参考にした。 (海外マニュアル1海外マニュアル2
注射に関しては静脈ルートの持続的な確保が困難な患者が難しい患者がほとんどであることから、小型の電池式携帯型シリンジポンプや、ディスポーサブルタイプの注入器で持続皮下注射が行われる[4]。
4. Ellershaw J, Ward C. Care of the dying patient: the last hours or days of life. BMJ 326:30-34,2003.
14. Furst CJ, Doyle D: The terminal phase. in Doyle D, Hanks G, Cherny N, Calman K, (ed): Oxford textbook of palliative medicine. 3rd ed. New York, Oxford University Press, 2004, pp 1119-1133.

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今どきの在宅医療15 終末期がんの症状緩和 その1

とある出版社から、終末期がん患者の看取りの時期に関する原稿を依頼されました。特に在宅医療の観点から考えた、具体的な対応方法について執筆しましたのでその一部を改編し掲載いたします。

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看取りの時期とは概ね予後が1-2週間程度の時期で、Liverpool Care Pathwayの表1を参考とする。
 
表1 亡くなることを診断する所見 [3]。
下記の2項目以上を満たし、かつ予後が1週間前後と予測される
・寝たきり状態
・半昏睡/意識低下
・ごく少量の水分しか口にできない
・錠剤の内服ができない
看取りの時期になってからよくみられる症状は、疼痛、呼吸困難、せん妄(不穏)、気道分泌過剰(死前喘鳴)である[5]。まずこの4つの治療対応に関しては必ず熟知して欲しい。具体的な治療方法は表にまとめた。

2 苦痛緩和の具体的な方法(持続皮下注射) 

症状

方法

コメント

疼痛

塩酸モルヒネ注 10mg (1A)/ 日

フェンタニル注 0.1mg (1A)/日

トラマール注** 100mg (1A)/日

・疼痛が中等度以上ならモルヒネで開始。

・高齢者、腎機能障害のある患者ならフェンタニルで開始。

・麻薬の使用ができないとき、または軽度から中等度の疼痛ならトラマールで開始。

呼吸困難

塩酸モルヒネ注* 5-10mg (0.5-1A)/ 日

トラマール注* 50-100mg (0.5-1A)/日

・ 全身状態が悪いときには、モルヒネを5mg以下の少量から開始する。

・ 麻薬の使用ができないときは、トラマールで開始。

・ 呼吸困難が強いときには、抗不安薬としてドルミカムを併用。

・ 気道分泌過剰(死前喘鳴)の合併、痰が多いときには、分泌抑制薬としてハイスコを併用。

せん妄(不穏)

セレネース注 5-10mg (1-2A)/日

ドルミカム注* 5-10mg (0.5-1A)/日

・ 比較的会話ができるならセレネースで開始。

・ 不穏が強ければドルミカムで開始。

気道分泌過剰 (死前喘鳴)

ブスコパン注* 20-40mg(1-2A)/日

ハイスコ注* 0.5-1mg(1-2A)/日

・眠気がある方がよいならハイスコで開始。

* 適応外使用の薬品 ** トラマールは筋注のみ適応

疼痛や呼吸困難にはオピオイド、モルヒネが投与されることが多い。
過去の研究から、最後の3日間に中等度から強度の痛みが半数の患者が経験したことが遺族調査で分かっている[6]。適切な疼痛治療、緩和医療を受けている患者には、亡くなるまでほとんど苦痛がないとも報告されている[7]。
一方で、意識が低下しつつある患者の疼痛や苦痛をどのように医療者が評価するかという課題もあり、表情、仕草から苦痛を評価する方法が提案されている[8]。疼痛に対する治療は、看取りの時期に入ると内服薬での治療が困難となること以外は、通常のがん性疼痛に対する治療と同じと考えて良い。
 
呼吸困難に対しては、酸素投与が行われることもある。しかし、看取りの時期の患者は、筋力低下、るいそうから、胸郭の呼吸運動が低下し、その結果として酸素飽和度が低下する。またこのような状況の患者は、呼吸困難を自覚し苦しんでいないことも多い。従って、苦痛のない患者の、酸素飽和度を上昇させる目的のみに酸素投与を行うことはすすめられない。
せん妄(不穏)は、終末期がん患者の85%とほとんどの患者でみられる[9]。せん妄とは、身体疾患が原因となる、精神状態の変化を指す。外科手術後や、集中治療室で状態の悪い患者が一過性の不穏状態となることが、臨床的には一般的である。そして、身体の状態が回復するにつれて、せん妄も回復することがほとんどである。(可逆)しかし、がん患者が看取りの時期に体験する終末期せん妄は、がんの進行により発症するため、回復する見込みはほとんどない[9]。
終末期せん妄は、回復しないことを前提に治療や家族ケアを行う必要がある[10]。終末期せん妄には、興奮、幻覚が特徴的な、過活動型と眠っている時間が長い、意識の抑制され、うとうとと眠っている時間が長くなる低活動型に区別される。臨床的にはその両者が時間と共にみられる混合型が多い[11]。低活動型のせん妄は、看取りに向かう臨死期の患者にとっては、平穏に経過していくように周囲からはみえるため、治療対象となることはまずない。したがって、終末期せん妄は、過活動せん妄を回避し低活動型せん妄の状態に誘導する、つまり「穏やかさ」を取り戻す治療が目標となる。
気道分泌過剰(死前喘鳴)は、「死が迫った患者において聞かれる、呼吸に伴う不快な音」で、唾液や気道に蓄積した分泌物によっておこる。「意識が低下して、自分自身の唾液が飲み込めない」ことが関連すると言われている。その診断と、治療が重要となる[12]。死前喘鳴を観察した医療者が知っているかどうかにより、患者の苦痛が反映される。医療者が死前喘鳴の存在を知らなければ、不用意に喀痰吸引をくり返す結果となる。そして、吸引は看取りの時期にある患者に最も強い苦痛を与える。治療としては、抗コリン薬である、ブスコパン®、ハイスコ®(注射薬)、またアトロピン点眼薬を代替薬として投与できる[13]。

引用文献
3. Seow H, Barbera L, Sutradhar R, et al. Trajectory of performance status and symptom scores forpatients with cancer during the last six months of life. J Clin Oncol. 2011;29(9):1151-8.
4. Ellershaw J, Ward C. Care of the dying patient: the last hours or days of life. BMJ 326:30-34,2003. 5. Hallenbeck J. Palliative care in the final days of life: "they were expecting it at any time". JAMA. 293:2265-2271,2005.
6.The Study to Understand Prognoses and Preferences for Outcomes and Risks of Treatments (SUPPORT). A controlled trial to improve care for seriously ill hospitalized patients. JAMA. 274:1591-1598,1995.
7. Lichter I, Hunt E. The last 48 hours of life. J Palliat Care. 6:7-15,1990.
8. Herr K, Bjoro K, Decker S. Tools for assessment of pain in nonverbal olderadults with dementia: a state-of-the-science review. J Pain Symptom Manage. 31:170-192,2006.
9. Breitbart W, Strout D. Delirium in the terminally ill. Clin Geriatr Med. 16:357-372,2000.
10.  Morita T, Akechi T, Ikenaga M, et al. Terminal delirium: recommendations from bereaved families' experiences. J Pain Symptom Manage. 34:579-589,2007.
11. Bruera E, Bush SH, Willey J, et al. Impact of delirium and recall on the level of distress in patients with advanced cancer and their family caregivers. Cancer. 115:2004-2012,2009.
12. Wee B, Hillier R. Interventions for noisy breathing in patients near to death. Cochrane Database Syst Rev 1, CD005177, 2008.
13. Shinjo, T, Okada, M, Atropine eyedrops for death rattle in a terminal cancer patient., J Palliat Med, 16, 2, 2013, 212-213

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2013年4月16日 (火)

今どきの在宅医療14 在宅療養の患者さんは長生き? 「経験の檻」

 言いたくなかったけど、在宅で末期のがん患者さんを多く診察してすっかり自信をなくしてしまった。ホスピスで2000人近くの方との関わりを持ちながら、大切な事を心に留めてなかったことに気付いた。この10年、自分は緩和ケアと終末期医療を勉強し、研究し、患者さんの状況に寄り添い、看取りを何人も経験しながらある種の確信を得ていたはずだった。

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 「奥さん、もうご主人は数日の命だと思います。身体にはそういう徴候(しるし)がでています。こんな風にのどがごろごろと鳴るとき、目が半分開いたようになっているとき、これは残った時間が数日の時が多いです。」

 ある日の晴れた午後、あるお宅でこんな事を話した。病院で働いているときも何度も何度も説明してきたこと。どんな検査をするよりも、患者さんの身体を診察すればおおよその残った時間は分かる。特に1週間以内になった患者さんの徴候は随分と確かなものと研究からも経験からも分かっている。

 奥さんに説明し、自宅での穏やかな看取りになるようにこれからも手伝うこと、何かあったらすぐに呼んで欲しいと伝え、また状況を訪問の看護師、薬剤師の在宅チームと話し合った。その日からしばらくは、夜にお酒を飲まず、夜中の呼び出しにも備えることにした。未明に呼ばれても大丈夫なように早寝をすることに心がけた。

 

 しかし、あの日から1週間、何の連絡もないままだった。訪問看護師からは、状態が落ち着いていること、また診察に行くと患者さんに話しかけると、声は出ないが、表情を変えてほほえんで返事をしている。この状況を奥さんはとても喜んでいらっしゃったが、僕は正直困惑した。一度見切った命が再び力を盛り返すことは、少なくともがんの患者さんでは、今までほとんどなかったからだ。

 

 次の日別のお宅にお邪魔すると、同じように身体の徴候から残り時間が1週間以内と考えて対応していた患者さんが、ソファーに座りぼんやりとした意識の中でも握手を求めてくれた。こんな毎日が続くと自分の今までの経験と、知識、そして、臨床医としての自分の勘を刷新する必要に迫られていると実感している。

 

 予後の予測はとても緩和ケアにとっては重要で、ケアの対応、今後起こりうることの想定も含めて、計画の目標の基礎になる。しかし、最近はこの予後の予測を繰り返すことで違和感も感じている。それは予言者の様に患者さんの今後を占うことができるという、不遜のようなものが心に宿ることだと思う。それでも、毎日患者さんの状況を診ながら、これ位でこんな事がおこるな、あとどの位の余命だなとある種の見切りをして、周りの家族や医療チームに伝える。それは、周囲の人達にとってはとても大事な情報で、気持ちの緊張、毎日のスケジュールを考える基礎になるからだ。みんな、毎日の日常と共に看病、仕事をしているからだ。

 

 こういう命の見切りがはずれることは、きっとどんな医者でも体験しているだろう。そして、「在宅の患者さんは穏やかだ、彼らは在宅での毎日に満足してる」と語りたくなる気持ちもよく分かる。さらには、在宅のがん患者さんの痛みは軽い、鎮静はいらない、注射なんてしなくていいとか言う医者を見る度に、それは、経験の量が苦痛への配慮と関係するという根拠のない自信からの発言で、彼らは何か大事な事を見過ごしているのではないかと思っているし、在宅医療がイデオロギーになるのを嫌っている。だから、在宅礼賛の話しには荷担したくないといつも考えている。もっと目の前にいる患者さんに何が起こっているのかフェアに判断しなくては、大事なことを見誤る。この事は今でも強く自分の心に言い聞かせている。

 

いつも、在宅礼賛の医者の発言に触れる度に在宅でがん患者さんを診察する医師は自分の経験を過信しないで、もっと緩和ケアのよいコーチについてちゃんと研修を受けて欲しいと心から思う。座学ではなく、同じ空間で同じ時間を緩和ケアのコーチと共有しながら、同じ患者を診察した後にお互いが感じた印象を話し合ってそのギャップを埋めてほしい。講義や、座学、研修会や宴会では緩和ケアの技術は伝授できないと僕は思う。

 

話を元に戻す。実は、僕が在宅を始めて8ヶ月で発見した大きな見落としとは、言葉にすると小さな事に思えるけど、相手の力を信じることだ。

 

 自分が今までの経験から見切った余命が全く当たらない。もうこれ以上は時間はないだろうと、苦痛なく穏やかに亡くなる様に治療を組み立てても、そこからなお力をその身体に宿し、立ち上がり、笑顔で話しかけてくる患者さんを何人もみてしまった。こんな体験が続くと自分の今までの活動そのものを見直さなくてはならないと確信してしまった。そう、僕は在宅礼賛の医者と同じ「経験の檻」に入っていた医者だったという確信に至った。きっと誰もがこんな風に壁にぶつかり、また新しい自分のあり様を探さなくてはならないのだろう。

 

 これからも「経験の檻」に入り続けるのはきっと簡単だ。そう、自分が感心しない医者のように明日から、「在宅の患者さんは穏やかだ、彼らは在宅での毎日に満足してる。だから在宅の患者さんは長生きだ」と言ってしまえばよいのだから。そして、「病院で過ごせば、そこがホスピスであっても患者さんは居心地の悪さを感じている。また、規格化された部屋での治療やケアはどれだけ洗練していても、それは盆栽の技術のようだ。本質的に命を阻害している」と、今まで自分を捧げてきた時間と仲間を蔑めばよい。

 

でも僕は、この「経験の檻」の中に居続けられる程、檻の鍵を檻の外に放り投げて、二度とここを出ないと決心を付けるほど、檻の中に守るものもない。一番は周りの世界への好奇心が止められないから、この檻からは出て行こうと思う。在宅のがん患者さんは穏やかで長生きだ、病院のがん患者さんは苦痛が強く短命だ、そんなつまらない檻から出なくてはならない。まだ幾分若く力のある自分が、弱った患者さんの力を信じる事を礎に、どんな活動をして行くのかその事と向き合わなくてはならなくなった。

 今までの着心地のよい服を捨てて、また裸になって新しい服を作らなくてはならない。しばらくは寒いけど、きっと大丈夫。今までのように檻の中で古びた服を着ているよりずっといい。夜は冷えるけど、昼間はもう五月晴れが近づいている。そして、最初はその服はパッチワークのように最初はおかしな生地のつなぎ合わせになるかもしれない。でも、そのパッチワークの一つ一つは、これから出会う患者さんとの時間で、時間と共に徐々に身体に馴染んでくる、そんな気がしている。その服は、「在宅医療」という服ではなく、もっと人間の力を命を根底から信じるような、そんなものなんだろうなと思う。

 

さて、最初の問いに戻る。「 在宅療養の患者さんは長生き? 」今の自分が着ている服、持っている自分のものさしが古びてしまった以上、長いのか短いのかを測るものさしすらなくなってしまった。控えめに言うなら、今の僕には、患者さんの余命は分からない。医者には余命を的確に指摘することは出来ない、それが僕の経験からの真理である。

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