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2013年1月

2013年1月27日 (日)

今どきの在宅医療12 がん患者さんは家でどんな風に過ごしているのかその2

2. ずっと家にいるつもりはないけど・・・

(症例にはモデルはありますが、フィクションです)

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55歳、男性、膵臓がんのため市民病院で治療中。通院が困難となってきたため当院に紹介された。経口抗がん剤と鎮痛薬が継続投与中の状況で、胆管の閉塞による黄疸があったため胆管ドレナージが留置されていた。事前にご家族が当院に相談にお越しになり、今後自宅療養している間の治療の対応をして欲しい、市民病院まで通うのが大変になってきたと相談を受けた。もしも、状態が悪くなったときには、すぐに市民病院に入院することにしているため、それまでの間だけ治療をして欲しいというのが家族の意向であった。

最初の往診時、ベッドに寝たまま話してはいたが、しっかりと自分の意見を話され、「今は大丈夫だが、いずれは妻に迷惑をかけないように入院しなきゃなあ」と話していた。妻は、慣れない看病に不安な表情で、本人の落ち着いた人なつっこい表情と対照的であった。

毎週数回往診し状況を見守った。毎回往診に行くと、いつも本人が昔取り組んでいた仕事の話をするのが常であった。病気や今後の療養方針といった事よりもずっと、日常的な会話を求めていらっしゃった。こうして、私と本人の信頼関係が徐々に形成されていく実感があった。一般に病院に入院中の時と違い、家族ケアとして介護者だけの不安に対応しようと思っても、本人に話が聞こえる場所では難しく、どうしても帰り際の玄関先や、庭先で小声でということが多い。それでも毎回、妻の今感じている不安を玄関先で聞きとり、小声で今後の事を話すように心がけた。訪問看護師も、同じくケアの比重を本人と妻の半々になるような配慮を続けた。それでも、妻の不安は高まり何かに怯えているかのような状況であった。

そんなある雨の日の朝、胆管ドレナージのカテーテルが抜けてしまったと電話があった。緊急往診で駆けつけると、完全に抜けており、家で再度挿入することは不可能であった。もう残った時間から考えれば、苦痛のある胆管ドレナージを入院してやり直すのも負担があると感じたが、最近不安が高まる妻の表情を見ているとこれをきっかけに一度入院することで、何かしらよい心理的な効果が得られるはずと直感し、自宅から近い総合病院へ連絡し緊急入院となった。

やはり、入院後も胆管ドレナージカテーテルの再挿入はされず、しばらく経過を見守っていた。入院後も私が訪問すると、患者さんといつものように他愛のない会話をし、帰り際には妻の不安のない表情をみて入院がうまくいっていることを実感した。予期しなかったレスパイト・ケアで妻も感情的に落ち着きを取り戻し、2週間足らずで再び退院となった。いずれは最期の時を病院で過ごすという、本人、妻の意向は変わらず、退院前に緩和ケア病棟への申し込みを済ませていた。

再度自宅に戻ってからは、ほとんど寝たきりとなったが、「入院するきっかけ」のような瞬間がなく、毎日少しずつ身体状況が悪化していく状態が続いた。妻は、服薬の管理、毎日の食事、おむつの交換、着替えといった看病に、以前よりも不安のない表情で毎日過ごしていることがありありと分かった。「こうして、夫のおむつをかえていると何だか愛おしくなってくるんです。2回目の新婚だって周りには笑われます」と話していた。こうした自宅療養が1ヶ月続いたある日、急に痛みが強くなった。すぐに緊急往診すると、残った時間がほとんどないことがすぐに理解できた。痛みというよりも、終末期の不穏、知覚の過敏で落ち着きがない様子であった。即座に持続皮下注射で鎮痛剤、鎮静剤を始めた。その後も内容にまとまりのない会話ではあったが、色んな事を話したと、この日の翌日看取りの後に教えてもらった。「結局最期まで家にいたわ。最初は病院と思っていたけど、ずっと見続けて本当に良かった。みんなにもこうするといいって教えてあげたい」と涙を浮かべながら話していた。

治療の内容や療養の場所というのは、この方のように、事前に考えていても実際に状態が悪くなるとその考えが変わっていくのは一般的なことである[7]。また、その時々の感情に応じて、本人の意向も変わっていくことが自明である[8]。このように事前の意向が経過と共に変わっていくことがACPの重大な問題点でもある[5]。この症例のように、疼痛、動けなくなることといった癌患者に生じうる苦痛があり、妻の不安、本人のいずれは入院するというはっきりした意向もある中で、最期まで在宅療養を続けた一番の理由は、やはり臨床経過言い換えれば「成り行き」であろうと思う。最期の1ヶ月ははっきりとした入院のきっかけがないまま、自宅で過ごし続けた結果、在宅での看取りになった。「在宅療養の良さと在宅チームのサポートに安心して、在宅での看取りを決断した」ということとは今思い返しても考えにくい。理性的な療養場所の判断よりも、毎日の連続する時間の中での「成り行き」が経過に一番影響したと思われる。この症例でも「成り行き」に合わせて瞬時に対応するには、すぐに緊急往診ができる体制、その都度思いを把握する姿勢、そして入院可能な病院との連携が大切であると考えた。

考察

以上、最近診療した在宅医療の症例を呈示した。呈示した症例のように、当院での診療の開始は、紹介元病院の地域連携室からの連絡があってからとなる。また、その連絡のほとんどは、診療情報提供書を中心とした書類であるため、治療の引き継ぎはできても、紹介元病院と患者、家族の間で何が話しあわれたのか、またどのような医師-患者関係であったのかまでは全く想像ができないこともある。診療情報提供書に記載されていない、行間、言外の情報が私にとっては最も重要であるが、そのような情報を得る機会がないことが、連携の問題点であると実感している。

さらに、一旦在宅療養を開始しても、様々な局面で紹介元病院や連携病院へ入院する必要が生じてくる。在宅療養を一旦中止、または断念する際にも、私のような在宅医師と患者、家族の間で何が話しあわれ、どのような状況であったのか、行間、言外の情報を紹介先の医師に伝えるには、医療者間のコミュニケーションが重要となる。結局、がん患者の連携医療において重要なのは、「顔の見える関係」であるというのが私の現時点での結論である。[6]そして「顔の見える関係」をその地域で形成するような企画、試みがなされなければ、医療情報を正確に伝える連携パスを作成しても無意味だろうと推測している。[9]

在宅緩和ケアへの移行は、患者、家族にとっては退院し自宅に戻る在宅療養への移行として理解され体験されている。緩和ケアを受けるために在宅療養へ移行するわけではない。従って、在宅チームは患者の状態を正しく評価し、適切な緩和ケアを提供する必要がある。つまり、緩和ケアの提供は在宅療養の過程の中で自ずと始まっており、患者、家族が求めて初めて提供されるものではないと私は考えている。

5) Sudore RL, Fried TR. Redefining the "planning" in advance care planning:

preparing for end-of-life decision making. Ann Intern Med. 153(4):256-61,2010

6) 森田 達也, 野末 よし子, 井村 千鶴 地域緩和ケアにおける「顔の見える関係」とは何か? Palliative Care Research 7(1), 323-333, 2012

7) Fried TR, O'Leary J, Van Ness P, Fraenkel L. Inconsistency over time in the preferences of older persons with advanced illness for life-sustaining treatment. J Am Geriatr Soc. 55(7):10071014,2007

8) Halpern J, Arnold RM. Affective forecasting: an unrecognized challenge in making serious health decisions. J Gen Intern Med. 23(10):17081712,2008

9) がんの地域連携クリティカルパスについて 兵庫県がん診療連携協議会, 2012 ( http://www.hyogo-ganshinryo.jp/critical_path/index.html; 2013年1月26日アクセス)

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今どきの在宅医療12 がん患者さんは家でどんな風に過ごしているのかその1

「緩和ケアを受けるがん患者における、病院と診療所の連携」その1

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(症例にはモデルがありますがフィクションです)

原稿の依頼を受けて、今年の春ぐらいにとある専門誌に(余り一般の方は手にすることがないもの)掲載される予定です。その内容を拡大した内容をこちらに書き記しておきます。開業してから、6ヶ月足らずですが色んな出来事がありました。現場の状況を感じて頂ければと思います。(内容は一部変更しています)

はじめに

平成24年の医療保険制度の改正で厚生労働省は、在宅医療の推進を明示している[1]。一般人口に対する調査では、60%以上が自宅で療養を受けたいと考えている。また一般人口のうち、30%は自宅での死亡を希望している[2]。しかし、死亡場所として自宅は2010年には12%まで低下しており、希望とは乖離している[3]。阻害要因として、医療サービスの供給が不十分であること、家族に負担がかかること、24時間体制の医療提供が不十分であること、入院できる病院が確保できないことがあげられている。現実に診療している患者の中では、「今後自分がどうしたいのか、どんな治療を受け、どのように暮らしていくのか」を明確に意思表示できる方はそれほど多くない。意思は病状の変化、状況の推移により大きく変化していくのが普通である。

最近、Advanced Care Planning (ACP) と言われる、将来の病状の悪化に伴いどのような治療を受けるか、受けないか、どのような療養にしたいのかを計画する、患者の意思表示を援助する取り組みも拡がっている[4]。ACPは、患者と家族と、医師との話し合いの過程で意向が徐々に定まっていくことを前提としている[5]。患者の心の準備と、医師との信頼関係を基礎としてACPは具体化していくことが重要である[5]。しかしながら、急性期治療と外来、入院を大規模病院で、在宅での療養を別の診療所で、と療養の場所や治療内容で担当医師が変わっていく都市部の日本の現状では、医師との信頼関係が築きにくいことも現実である。

当院は、平成24年8月に開院し、神戸市北区を中心に在宅医療、緩和ケアの提供を実施している。在宅緩和ケアへの移行は、どのように患者、家族そして在宅医療を提供するチーム(在宅チーム)に体験されているか、症例を呈示しながら述べていく。

症例

1. 「できるだけ」家にいたい、でも・・・

(症例にはモデルがありますがフィクションです)

60代の女性。肺癌のため抗がん剤の治療中。肝臓への転移が見つかり発熱を繰り返し、痛みがあった。食事も徐々に食べられなくなったため、とある病院に入院中は毎日点滴を受けていた。この病院で、「ここは長く入院はできない。もう入院して3週間になったしそろそろ退院して欲しい」と医者に言われた。まだ家で過ごすには不安があったが、4人部屋は隣の人のいびきもうるさく、居心地が悪いためやはり家に帰ろうと思い立った。

一緒に暮らすご主人は、手先が器用で何事にも挑戦する方。家に帰っても本人が気に入っている点滴を続けるために、毎日看護師さんからやり方を一生懸命に習った。点滴は、抗がん剤を注射するために処置された、リザーバーポートという点滴をするための器具から毎日することになった。点滴の針は帰ってから医師や看護師に入れ替えてもらい、点滴を針につなぐのはご主人の役割になった。

家に帰ってから1週間後、私の診療所にこの方の在宅医療を引き継いで欲しいと連絡があった。既に退院しているので、できるだけ早く診察をと家に駆けつけた。リザーバー針を刺すのだけはどうしても怖くてできないと話していらっしゃったが、手技は確実で問題はなかった。確かに病院にいたときよりも眠れるようにはなったが、何かまだ治療の方法はあるのではないかと悩み続けているとのことだった。

退院前に病院の主治医から聞いた病状と今後の事についての説明を本人と妻に尋ねてみると、「もうできる治療はない。病院にいても家にいても同じ事。他にセカンドオピニオンをあたってみるのなら協力する。予後は1ヶ月かもしれないことを覚えておいて欲しい」という内容であったと。そのような説明の用紙も受け取っていた。

この方の診察を終えて、まずこの方には一番の優先事項として、セカンドオピニオンでまず本当に治療がないのかを一緒に考えていくことが必要と考えた。もちろん、この病院の主治医の意見に私も賛成で、既に新たな抗がん剤も新たな治療もないであろう事は分かった。しかし、気持ちに納得いくまで治療を探し続けることもこの方には必要なんだろうと感じた。診療情報提供書にあった、「日々の治療の継続、中心静脈栄養の継続」ではないことは明らかであった。また、本人も妻も現状に納得できず、何かしら治療はないのか探したい心境であった。私は、体力が落ちてしまう前にセカンドオピニオンを聞きに行き、それぞれの施設の治療を検討してもらうことが一番重要ではないかと助言した。

診療を始めて1週間が過ぎた頃、発熱のため緊急の往診をした。抗生剤の投与を自宅で実施していたにも関わらず発熱した。これ以上自宅に留まれば状態は悪くなる懸念があった。本人は「できるだけ」家にいたいと話していたが、これ以上状態が悪くなれば、セカンドオピニオンを受けるチャンスを失うことを話した。そこで、休日の午前中に病院へ連絡し入院を依頼した。普段診療している医師ではない内科の当直の医師からの返答は、「まず診察をしてから考える、入院できる確証はない」というものだった。そして、診察の結果、「CRPが前回よりもわずかに低下しているため、入院の適応はない。自宅へ帰るように指示」された。翌日、本人に往診で会いに行くとやはり体調の悪化を口にしていたため、改めて、病院の主治医に連絡したところ、2日後の入院が決まった。入院前に私は病院の緩和ケアチームの看護師に、自宅で話し合った内容、本人、妻の心境を伝えた。入院後本人に会いに行くと、「主治医から改めて『もう治療はない』ことを強調されて落ち込んでしまった」と話していた。

ここの症例を通じて感じたことは、まず退院前カンファレンスが開催されず、大学病院の医療チームと在宅医療のチーム(私と訪問看護師、薬剤師)が一同に顔合わせて話し合えなかったことで、連携に不備が生じたことである。このように自宅で中心静脈栄養を継続する症例では、連携する内容は、治療内容の細かな引き継ぎ、医療材料の手配、妻への指導、今後のスケジュール確認、それぞれのチームメンバーの役割分担が主になることがほとんどである。しかし、「治療」は引き継ぎできても、そこに患者本人の心境が引き継げなければその後の対応は難しい。がん患者は短い時間の中で状態が変わっていくため、ある一日を見逃せば途端に状態は悪化する。この方にとっては、全てのセカンドオピニオンのスケジュールを体調ができるだけ維持された状態で完了することが最も重要な課題と考えた。そのための再入院の依頼であった。「治療」の連携よりも、「思い」の連携ができないことが、在宅療養の問題点として感じる。本人の「思い」だけではなく、医療者の「思い」までも連携するには、大病院のチームと在宅のチームが「顔の見える関係」になることが必要条件である[6]。

1) 在宅医療の推進について、厚生労働省、2012、(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/zaitaku/index.html; 2013年1月13日アクセス)

2) 森田 達也, 宮下 光令, 井上 芙蓉子, 他 遺族調査に基づく自宅死亡を希望していると推定されるがん患者数 Palliative Care Research 7(2):403-407,2012

3) 在宅医療の最近の動向、厚生労働省医政局指導課、2012、(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/zaitaku/dl/h24_0711_01.pdf; 2013年1月13日アクセス)

4) Gillick MR. Advance care planning. N Engl J Med 350(1):78,2004

5) Sudore RL, Fried TR. Redefining the "planning" in advance care planning:

preparing for end-of-life decision making. Ann Intern Med. 153(4):256-61,2010

6) 森田 達也, 野末 よし子, 井村 千鶴 地域緩和ケアにおける「顔の見える関係」とは何か? Palliative Care Research 7(1), 323-333, 2012


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2013年1月19日 (土)

今どきの在宅医療11 「彼」を救う一枚の紙

Medium_2264878048_2(「彼」の写真は本人にもきちんとお話ししています。個人が特定できない配慮をすることを約束しました)

僕が「彼」の話を書くかどうか、今でも迷っています。「彼」の毎日の生活を想像すると、正直とてもやりきれない気持ちになります。そして、医療の担い手である医師として何ができるのか、目に見えない大きな存在が僕を試しているような気がするからです。そして、医療しかできない自分は何もできないと無力感に苛まれるのです。「彼」の援助がしたいと思っても何から手をつけたらよいのか分からない。そんな敗北感に支配されるからです。でも、「彼」に無関心になることはできない、自分は援助したいから援助しているんだと自分の欲望に素直に、一度「彼」を皆さんに紹介したいと思います。

 「彼」と出会ったのは去年の夏。とても暑い夏でした。僕は、4月から10年ぶりの在宅医療の勘を取り戻すために、一足先に開業した先輩のクリニックを手伝い始めました。自分が得意とする、がん、緩和ケアの患者さんをはじめ、神経難病や、脳梗塞の後遺症の方々を診療していました。久しぶりに診療するがん以外の患者さんは、僕にとってとても新鮮で、脳の中にある長らく使っていなかった引き出しを開けた気分でした。今どきの在宅医療の特徴として、患者さんが関係各所から紹介されて始まることが多いということがあります。開業して長く診療しているうちに通えなくなった患者さんを往診(在宅医療)に切り替えるということではなく、新しい患者さんをはじめから往診(在宅医療)で診ていくのです。そして、新しい患者さんがクリニックに紹介されてくるのには、2つのルートがあります。

一つは市民病院や大学病院といった大きめの病院からの紹介で、「これ以上長く入院できない」から、もしくは「できるだけ入院しないように」、在宅医療を始めるという患者さんです。主に重病の方々がほとんどです。そしてもう一つのルートは、地域のケアマネージャー(ケアマネ)からの紹介です。通院困難、独居、認知症といった社会的に孤立した患者さんがきちんと医療が受けられるように紹介されます。

「彼」はその地域のケアマネージャーからの紹介でした。

 「彼」の住居は、神戸を象徴する夜景の写真の中にも映っています。でも「彼」の住まいは光のない黒い部分、暗い闇の中です。写真を見る人には、気づかれない、まるで明るい都会的な光を際立たせるためのブランクに「彼」は住んでいます。僕は初めて「彼」に会った時、その滑稽なほど古びた階段、直線がない壁、低い天井、そして狭く足の踏み場もないほどの狭い部屋に圧倒されてしまいました。そこに住む「彼」にも長年の垢と汚れを感じ、その姿は一瞬近づく事すら躊躇するほどでした。生活保護で、高齢の「彼」は、その風貌と年齢に似合わず頭のしっかりした方でした。自分の今までの人生を語りました。人をだますことなく、一生懸命に働くことはなかったかもしれないが、港湾地域で日雇いの労働をしていたこと、また労働者を募る役割をしていたこと、かつては奥さんがいたことを古ぼけた写真を見せて教えてくれました。



足が弱り、家の外に出ることもできず、狭い部屋の隅に置かれたポータブルトイレ(据え置きのトイレ)で用をたしていました。最近ではトイレまで立ち上がるのもおっくうになり、洗面器に排尿しポータブルトイレに捨てている生活です。部屋の隅に置かれた冷蔵庫まで歩くことすら面倒になり、這って動く気力もなく、中にはいつから入っているか分からない生卵が二つ並んでいます。小さな机には、恐らく共同の洗面所からくんできた水の入ったやかんがあり、お湯だけは電気ポッドでわかしてありました。食べ物といえば、出入りするヘルパーが買ってくる、コンビニのスナックパンとインスタントうどんのどん兵衛。いつ行っても同じものばかり。そして10円玉が目立つ小銭だけ。



「いつからここに住んでいるの?」と聞くと「もう10年以上、いやもっとかな。前は別の部屋だったんだけどある日急に大家にこの部屋にされた。私ら自由はないんですわ。大家が勝手に部屋をかえてしまうんです」足の悪い「彼」は1階に住んでいるが、もう外出する力はない。週に1回だけ近くのデイケアで入浴しまともな昼食を食べるのが、唯一の外出で人らしい生活ができる日。「最近は、ヘルパーも来るはずの日に来なかったり、またケアマネージャーの人に言っても、とりあってもらえない。生活保護のお金は自分は受け取りに行っていないから一体誰が受け取っているのかも全く分からない」「彼」が受け取るはずのお金がどこに消えているのか、「彼」にも分からないのです。 

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「ここから逃げ出すことはできないかな」僕が聞いても、「彼」は「もういいんですわ。先生どこかええところ探して下さい。先生がええと思うところならどこでも行きますわ」と返事。その「ええところ」のあても全く思いつかず途方に暮れる。そんな「彼」の毎日を想像しながらも、聴診器をあてて診察する。何の病名もつけられず、何の処方もできず、何の処置もできない。医療や医学では「彼」の事を1ミリも引き上げることができない。今まで自分が診療していた、痛みに苦しむがん患者さんや、行き場のないがん患者さんに薬の処方や、病棟への入院を提供することで何かしら毎日の暮らしの手伝いができていると自負していました。でも目の前で布団に座る「彼」に自分が何ができるのか全く見つけることができず、ただ無関心にならないことだけを、「彼」と自分を試す“大きな存在”に誓うことだけです。

 クリニックの立場から言えば、生活保護の患者さんであれば治療費を全て国から徴収できます。「彼」の場合は、月に2回決まった日に往診することで(訪問診療)およそ月60,000円の収入がクリニックにはもたらされます。そして月に2回「彼」を診療する約束と引き替えに、24時間365日「彼」の要請があれば往診に出かける約束が医師との間で交わされます。その60,000円が先輩のクリニックに毎月振り込まれます。しかし、「彼」への診療がこの値段に見合うものなのかどうか、いつも心には小さな不快感が残ります。本当に僕(や先輩医師)という存在が「彼」にとって何らかの支えになっているのか。もしかしたら、端から見れば悪質なクリニックと同じく、生活保護の人達の診療費で荒稼ぎしている状況なのではないか。

 地域のケアマネージャーも、介護を提供するヘルパーも全て費用は国からまかなわれます。「彼」はケアマネージャーや、ヘルパーに大事にしてもらっているという実感が全くないと話しています。「彼」は介護を提供する人達の機嫌一つで対応が変わることに呆れながらも忍耐強く耐えています。機嫌を損ねれば食料が手に入らない、買い物に行ってもらえない、風呂には入れない。「彼」にとってはぎりぎりの生活が、さらに悪化することを恐れているからです。「もう生きているのもイヤになったよ」といつも「彼」は話しますが、それでも朝が来れば腹がへるのです。生きて生き抜かなくてはならないのです。

「彼」の消えた生活保護費、劣悪な環境から逃げられない事情、「彼」を支配する得体の知れない大家、「彼」に提供される手抜きの介護、「彼」に提供される生活を向上できない医療。全てが「彼」の心を絶望させていくのです。それでも毎日腹がへる。

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 僕は、胸騒ぎがして「彼」の所に診療とは関係なく行ってみました。「彼」はたった一本のスナックパンで1日を過ごしていました。いやな予感は当たっていました。それから数日迷いに迷い、コンビニでどっさり食料とバナナ、助六寿司とあったかいぶたまんを買い込み持って行きました。「こんなことしかできなくてごめんな」と僕は「彼」に言いました。僕の名前を覚えることができない「彼」ですが、「おお、ありがとうな、先生。また来てな」と長い眉毛と屈託ない笑い。そして僕は「彼」のへんてこな形の家を後にしました。

 多分、地域のケアマネージャーは、高齢の彼がもしもあの部屋で死んでいた時、どの病院に連れて行くのか、いやもしかしたら警察を呼ぶことになるのか、そんな厄介ごとを想像するのでしょう。そんな時、地域のクリニックから定期的に往診していたとしたらどうでしょう。クリニックの医師が「彼」を穏便に処置(いや処理)することができるのかもしれないのです。そんな依頼が、「今どきの在宅医療」には存在するかもしれないのです。

 医師としての僕(や先輩)は、かつてナチスに迫害されたユダヤの人々を、一枚の紙(ビザ)とサインで亡命させ、救命した杉原千畝のように、「彼」をあのぎりぎりの生活から亡命させることができるのかもしれません。貧困のまっただ中にいる「彼」を、医師である僕はどうしたら亡命させられるのでしょうか。その一枚の紙が、「彼」を避難させるどこかの病院への紹介状なのか、「彼」を安らかに送り出す死亡診断書なのか、そのことをずっと僕は考え続けているのです。いや、それ以前に一枚の紙のことしか思いつかない自分のアイデアの貧困をまず僕は悔やまねばならない。

そして、悩むこと約半年。「彼」の救出に成功しました。

Img_5209 市内某所で温かい暮らしが始まっています。そこに行き着くまで多くの人達の援助とそして妨害がありました。その妨害のほとんどは生活保護に関する問題でした。

それでも新たな生活は始まり人並みな生活が送れそうです。他人の援助の仕方は様々ですが、こういうやり方が良いかどうかは分かりません。よく「たった一人にお節介をやいてそれが何になるんだ」と言う方もいらっしゃいますが、「たった一人」を救うことで、自分の経験値とそして新たな人脈と社会の仕組みを学ぶことができます。「次の一人」はもっと円滑に援助ができるようになるのです。それでも今回のお節介はあまり良いやり方ではないとも思っています。これからも「彼」に会いに行こうと思います。それが僕に課せられたお節介の代償だと思っているからです。

協力して下さった皆様本当にありがとうございました。

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