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2013年1月27日 (日)

今どきの在宅医療12 がん患者さんは家でどんな風に過ごしているのかその1

「緩和ケアを受けるがん患者における、病院と診療所の連携」その1

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(症例にはモデルがありますがフィクションです)

原稿の依頼を受けて、今年の春ぐらいにとある専門誌に(余り一般の方は手にすることがないもの)掲載される予定です。その内容を拡大した内容をこちらに書き記しておきます。開業してから、6ヶ月足らずですが色んな出来事がありました。現場の状況を感じて頂ければと思います。(内容は一部変更しています)

はじめに

平成24年の医療保険制度の改正で厚生労働省は、在宅医療の推進を明示している[1]。一般人口に対する調査では、60%以上が自宅で療養を受けたいと考えている。また一般人口のうち、30%は自宅での死亡を希望している[2]。しかし、死亡場所として自宅は2010年には12%まで低下しており、希望とは乖離している[3]。阻害要因として、医療サービスの供給が不十分であること、家族に負担がかかること、24時間体制の医療提供が不十分であること、入院できる病院が確保できないことがあげられている。現実に診療している患者の中では、「今後自分がどうしたいのか、どんな治療を受け、どのように暮らしていくのか」を明確に意思表示できる方はそれほど多くない。意思は病状の変化、状況の推移により大きく変化していくのが普通である。

最近、Advanced Care Planning (ACP) と言われる、将来の病状の悪化に伴いどのような治療を受けるか、受けないか、どのような療養にしたいのかを計画する、患者の意思表示を援助する取り組みも拡がっている[4]。ACPは、患者と家族と、医師との話し合いの過程で意向が徐々に定まっていくことを前提としている[5]。患者の心の準備と、医師との信頼関係を基礎としてACPは具体化していくことが重要である[5]。しかしながら、急性期治療と外来、入院を大規模病院で、在宅での療養を別の診療所で、と療養の場所や治療内容で担当医師が変わっていく都市部の日本の現状では、医師との信頼関係が築きにくいことも現実である。

当院は、平成24年8月に開院し、神戸市北区を中心に在宅医療、緩和ケアの提供を実施している。在宅緩和ケアへの移行は、どのように患者、家族そして在宅医療を提供するチーム(在宅チーム)に体験されているか、症例を呈示しながら述べていく。

症例

1. 「できるだけ」家にいたい、でも・・・

(症例にはモデルがありますがフィクションです)

60代の女性。肺癌のため抗がん剤の治療中。肝臓への転移が見つかり発熱を繰り返し、痛みがあった。食事も徐々に食べられなくなったため、とある病院に入院中は毎日点滴を受けていた。この病院で、「ここは長く入院はできない。もう入院して3週間になったしそろそろ退院して欲しい」と医者に言われた。まだ家で過ごすには不安があったが、4人部屋は隣の人のいびきもうるさく、居心地が悪いためやはり家に帰ろうと思い立った。

一緒に暮らすご主人は、手先が器用で何事にも挑戦する方。家に帰っても本人が気に入っている点滴を続けるために、毎日看護師さんからやり方を一生懸命に習った。点滴は、抗がん剤を注射するために処置された、リザーバーポートという点滴をするための器具から毎日することになった。点滴の針は帰ってから医師や看護師に入れ替えてもらい、点滴を針につなぐのはご主人の役割になった。

家に帰ってから1週間後、私の診療所にこの方の在宅医療を引き継いで欲しいと連絡があった。既に退院しているので、できるだけ早く診察をと家に駆けつけた。リザーバー針を刺すのだけはどうしても怖くてできないと話していらっしゃったが、手技は確実で問題はなかった。確かに病院にいたときよりも眠れるようにはなったが、何かまだ治療の方法はあるのではないかと悩み続けているとのことだった。

退院前に病院の主治医から聞いた病状と今後の事についての説明を本人と妻に尋ねてみると、「もうできる治療はない。病院にいても家にいても同じ事。他にセカンドオピニオンをあたってみるのなら協力する。予後は1ヶ月かもしれないことを覚えておいて欲しい」という内容であったと。そのような説明の用紙も受け取っていた。

この方の診察を終えて、まずこの方には一番の優先事項として、セカンドオピニオンでまず本当に治療がないのかを一緒に考えていくことが必要と考えた。もちろん、この病院の主治医の意見に私も賛成で、既に新たな抗がん剤も新たな治療もないであろう事は分かった。しかし、気持ちに納得いくまで治療を探し続けることもこの方には必要なんだろうと感じた。診療情報提供書にあった、「日々の治療の継続、中心静脈栄養の継続」ではないことは明らかであった。また、本人も妻も現状に納得できず、何かしら治療はないのか探したい心境であった。私は、体力が落ちてしまう前にセカンドオピニオンを聞きに行き、それぞれの施設の治療を検討してもらうことが一番重要ではないかと助言した。

診療を始めて1週間が過ぎた頃、発熱のため緊急の往診をした。抗生剤の投与を自宅で実施していたにも関わらず発熱した。これ以上自宅に留まれば状態は悪くなる懸念があった。本人は「できるだけ」家にいたいと話していたが、これ以上状態が悪くなれば、セカンドオピニオンを受けるチャンスを失うことを話した。そこで、休日の午前中に病院へ連絡し入院を依頼した。普段診療している医師ではない内科の当直の医師からの返答は、「まず診察をしてから考える、入院できる確証はない」というものだった。そして、診察の結果、「CRPが前回よりもわずかに低下しているため、入院の適応はない。自宅へ帰るように指示」された。翌日、本人に往診で会いに行くとやはり体調の悪化を口にしていたため、改めて、病院の主治医に連絡したところ、2日後の入院が決まった。入院前に私は病院の緩和ケアチームの看護師に、自宅で話し合った内容、本人、妻の心境を伝えた。入院後本人に会いに行くと、「主治医から改めて『もう治療はない』ことを強調されて落ち込んでしまった」と話していた。

ここの症例を通じて感じたことは、まず退院前カンファレンスが開催されず、大学病院の医療チームと在宅医療のチーム(私と訪問看護師、薬剤師)が一同に顔合わせて話し合えなかったことで、連携に不備が生じたことである。このように自宅で中心静脈栄養を継続する症例では、連携する内容は、治療内容の細かな引き継ぎ、医療材料の手配、妻への指導、今後のスケジュール確認、それぞれのチームメンバーの役割分担が主になることがほとんどである。しかし、「治療」は引き継ぎできても、そこに患者本人の心境が引き継げなければその後の対応は難しい。がん患者は短い時間の中で状態が変わっていくため、ある一日を見逃せば途端に状態は悪化する。この方にとっては、全てのセカンドオピニオンのスケジュールを体調ができるだけ維持された状態で完了することが最も重要な課題と考えた。そのための再入院の依頼であった。「治療」の連携よりも、「思い」の連携ができないことが、在宅療養の問題点として感じる。本人の「思い」だけではなく、医療者の「思い」までも連携するには、大病院のチームと在宅のチームが「顔の見える関係」になることが必要条件である[6]。

1) 在宅医療の推進について、厚生労働省、2012、(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/zaitaku/index.html; 2013年1月13日アクセス)

2) 森田 達也, 宮下 光令, 井上 芙蓉子, 他 遺族調査に基づく自宅死亡を希望していると推定されるがん患者数 Palliative Care Research 7(2):403-407,2012

3) 在宅医療の最近の動向、厚生労働省医政局指導課、2012、(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/zaitaku/dl/h24_0711_01.pdf; 2013年1月13日アクセス)

4) Gillick MR. Advance care planning. N Engl J Med 350(1):78,2004

5) Sudore RL, Fried TR. Redefining the "planning" in advance care planning:

preparing for end-of-life decision making. Ann Intern Med. 153(4):256-61,2010

6) 森田 達也, 野末 よし子, 井村 千鶴 地域緩和ケアにおける「顔の見える関係」とは何か? Palliative Care Research 7(1), 323-333, 2012


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